FC2ブログ
長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

松陰と山鹿流兵学
【2010/08/18 19:30】 エッセイ
今日は、松陰の精神的支柱となった山鹿流、孟子との関連を書いて見ました。
松陰には『師』と呼ぶ人物が二人いた。一人は「吉田家の家学」である『山鹿流兵学』の素、山鹿素行である。松陰は『先師』と呼んで尊崇し、もう一人は佐久間象山で『師』と呼んだ。5歳で叔父の吉田家の假養子となって「山鹿流兵学師範」としての人生が義務付けられた。江戸時代は「職業選択の自由」がなかった。

山鹿流兵学の伝授書
無題1
▲△写真をクリックすると画像が拡大します


[READ MORE...]
スポンサーサイト



『留魂録』―死に際までの教師―
【2010/08/18 09:49】 エッセイ
処刑前日に書き上げた2通の遺著『留魂録』です。

安政6年10月26日(処刑前日)黄昏に書き上げた2通の遺書(全集第6巻、275頁)
今日は、吉田松陰の遺書ともいうべき『留魂録』についてです。10日前の10月16日に評定所で口書き(調書)の読み聞かせがあった。7月9日の第一回の評定所呼び出し以来、これまでの取調べ中で、老中の間部詮勝要撃策を巡って、論争までした松陰であったが「末文の改まらざるを見れば首を取るに違いない・・・」と確信した松陰は、以後、人生の締めくくりに向けて大忙しとなる。親族、門下生宛てに書き上げた書簡や遺書、そして伝馬牢名主に遺書を託す迄の10日間、多くの遺文を残した。
留魂録
▲△写真をクリックすると画像が拡大します

[READ MORE...]



サイドメニュー ×
メニューA  メニューB