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『福澤諭吉と榎本武揚』
【2010/12/31 00:54】 エッセイ
明治24年、福澤は有名な『瘠我慢の説』を書く。但し、脱稿のみで公刊はしていない。この開示は紆余曲折した事情があり、10年程後に予期せぬ事情から公刊されて、話題となる。
略記すると「勝海舟と榎本武揚」の明治以降の生き方に対する、福澤の武士道論的な考え方からみた批判の書である。
福澤写真--------榎本武揚


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吉田松陰の『草莽崛起論』
【2010/12/28 09:20】 エッセイ
(1)「草莽崛起論」とは何か?
  草莽 = 在野、民間、草叢の意味。転じて「官に仕えないで民間に在る人」
崛起 = 急に聳え立つ。起ち上がる。
草莽崛起の人 = 在野から奮い立ち、尊皇攘夷の「志」ある人。

(2)安政6年4月7日、佐久間象山の甥「北山安世」宛書簡(在、野山獄)
 「独立不羈三千年来の大日本、一朝人の羈縛を受くること、血性ある者視るに偲ぶべけんや。那波列翁を起してフレーヘードを唱へねば腹悶医し難し。僕固より其の成すべからざるは知れども、昨年以来微力相応に粉骨砕身すれど一も裨益なし。徒らに岸獄に座するを得るのみ。・・・今の幕府も諸侯も最早粋人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼みなし。」

吉田松陰画像2012.3.30

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「福澤諭吉と木村喜毅」
【2010/12/19 08:22】 エッセイ
幕府は、万延元年(1860)使節を米国に派遣することになった。日本初の太平洋を航海したことで有名な「軍艦・咸臨丸」はこの警護の役目でであった。その最高責任者は当時の高級旗本「木村攝津守喜毅」であった。福澤は蘭学での人脈から桂川甫周を通じて木村に米国行きをお願いする。そして木村個人の下僕ということで了解され、西欧文明に接する機会に恵まれた。これが福澤の生涯にとって、決定的な出来事となった。誰も志願する者のいない時代、命懸けに近い渡航の希望を木村の好意で受け入れてもらったのである。
福沢諭吉   木村喜毅4


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「福澤諭吉と吉田松陰」
【2010/12/12 14:45】 エッセイ
尊王論は攘夷論と相俟って幕末期の政治的なスローガンとなり、苦悶する徳川封建体制を瓦解させる力となった。つまり、徳川幕府への大政委任の名文論に対する突破口となったのであった。江戸期を通じて、それまで存在感のなかった天皇と朝廷は、衰退する幕府の統治能力に呼応するかのように、開国を機に復権を果たす事になる。
________________福沢諭吉      吉田松陰
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再びの『留魂録』
【2010/12/08 20:26】 エッセイ
明日(2010.12.09)の講義は、松陰の遺書『留魂録』である。安政6年10月25日から書き始めたこの書は翌日の黄昏に二通を書き上げた。処刑の前日である。二通書いた理由は門下生に届くかどうか危ぶまれた、松陰の周到な配慮からである。伝馬牢の司獄か幕府に没収されることの懸念である。万一に備えて牢名主「沼崎吉五郎」にも頼んだのであった。現在、萩の松陰神社に残るのは、こちらの方である。明治9年神奈川県令で門下生だった野村靖に遠島の刑期を終えた沼崎から手渡された、数奇な運命を辿った。
留魂録24.3.25



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吉田松陰の討幕論と安政の大獄
【2010/12/06 12:51】 エッセイ
安政5年、日米修好通商条約が勅許を得ないまま調印された。これに怒った松陰は『大義を議す』という時務論を書いた。時に安政5年7月13日。ここで初めて松陰は討幕を唱える。尊皇開国の考えをかなぐり捨てた。『戊午幽室文稿』に収載されているので討幕に触れた部分を書いてみる。
吉田松陰自賛画像2012.4.13


「今征夷は國患を養ひ、国辱を胎し、而して天勅に反き、外、夷狄を引き、内、諸侯を威す。然らば則ち陶なる者は一国の賊なり。征夷は天下の賊なり。今措きて討たざれば、天下万世其れ吾れを何とか謂はん。而して洞春公の神、其れ地下に享けんや。義を正し道を明らかにし、功利を謀らず。是れ聖賢の教へたる所以なり。勅を奉ずるは道なり、逆を討つは義なり」。(吉田松陰全集第四巻:372頁)
ここでは、幕府を「征夷は天勅に叛いた天下の賊」と決めつけている。その昔、主君の大内義隆に謀叛を起こした陶晴賢を討った、毛利元就の義の戦いに準えて「義を明らかにし道を明らかにし・・・逆を討つは義(正義)なり」と言っているのである。儒学の申し子のごとき松陰は、「道」や「義」の徳目を旗印にして公然と討幕を口にしたのであった。


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