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久坂玄瑞のこと
【2011/02/23 15:23】 エッセイ
久坂玄瑞は松下村塾で、吉田松陰が最も信頼した人物である。高杉晋作、吉田稔麿、入江杉蔵とともに「松下村塾の四天王」といわれ、また、高杉とともに「松門の双璧」ともいわれた。
現代人から見ると、高杉晋作にくらべ存在感や知名度においては一歩譲るように映るが、松陰の評価は高杉以上ともいえる。
松陰全集の関係人物略伝に、松陰の久坂に対する人物評が書かれているので記してみる。
久坂玄瑞


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吉田松陰の「人間観」と「学問観」
【2011/02/04 17:26】 エッセイ
「学は人たる所以を学ぶなり」と松陰は『松下村塾記』で明言している。これが書かれたのが安政3年(1856)9月4日で、松陰27歳の時である。
松陰を学ぶ者は、この「建学宣言」ともいうべき文稿を、彼の生涯で最も大切にすべきものであると受け止めなければならない。
「吉田松陰に学ぶ」とはこういうことだと思っている。
即ち、「人間学」という普遍性を持つもので、時代を超えたテーマといってよい。


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松陰の東送(江戸送り)
【2011/02/03 15:37】 エッセイ
「帰らじと思ひ定めし旅なればひとしほぬるる涙松かな」・・・この歌は、安政六年五月、幕府から呼び出しのため、萩を旅立った時に詠んだ歌である。
井伊直弼正装24.3.25


萩城下から「萩往還街道」を通って、瀬戸内海に出る道があるが、萩の郊外に「大屋」と呼ばれるところがある。ここに一本の「松」がある。萩から江戸へ向かう時、萩の城下町市街が見えなくなる場所なのだそうである。ここには「涙松」という石碑も建っている。故郷への郷愁に、万感の思いを込めて振り返り見ることの出来る最後の場所なのだそうである。「死」を覚悟していた松陰は、再び見ることのできないであろう萩城下の市街を見納める心中を詠ったものである。
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