長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

「ある明治人の記録」読書のススメ
【2011/03/23 21:47】 エッセイ
これは中公新書252(石光真人編著)である。副題に「会津人柴五郎の遺書」となっている。
昨日、再度読み直した。落涙なくして読めない。餓死との戦いの末、生き抜いて、必死に生き抜いて、辛抱、また辛抱、忍耐、また忍耐の壮絶な人生の記録である。困難に耐え抜いて「陸軍大将」まで登りつめた感動の実話、記録である。
ある明治人の記録


[READ MORE...]
スポンサーサイト
「東北・関東大震災」と「寛政の改革」
【2011/03/20 19:08】 エッセイ
この度の「東北関東大震災」の惨状は、自然災害としては、戦後の最大の災害であることは勿論、日本の歴史上にも刻印される程の規模での災害である。本当に被災した方々には気の毒としか言いようがない。復興への団結と国民的規模での努力で、一日も早く生活の復旧がなされることを祈るばかりである。

今回、初めて知ったのは「津波」と「波」の根本的な違いと、その恐ろしさであった。地震の規模の大きさも記録的ではあったが、見逃してならないのは「津波」がほとんどの死者および災害を引き起こす原因だったということである。大地震はそれ自体「恐怖」であることは論を待たないが、それが引き起こす「大津波」は「更にそれを超えて、想像を絶する恐ろしいもの」と改めて認識した人々が多かったに違いない。「世界一の堤防」もなす術がなかった。人命のみならず、街そのものまで破壊してしまった。原子力発電も、完全に安全神話が崩れた。「想定外」は言い訳にならない。今後を見守りたい。
天明の飢饉



[READ MORE...]
土佐藩における「勤皇」
【2011/03/20 12:09】 エッセイ
冒頭に、その格調高い宣言書を掲げる。

土佐勤皇党血盟
盟白

堂々たる神州、戎狄の辱しめをうけ、古より伝はれる大和魂も今は既に絶えなんと、帝は深く嘆き玉ふ。しかれども久しく治れる御代の、因循委惰といふ俗に習ひて独りも此心を振ひ挙て、皇国の禍を攘(はら)ふ人なし。かしこくも我が老公(山内容堂)夙に此事を憂ひ玉ひて、有司の人々に言ひ争ひ玉へども、却てその為めに罪を得玉ひぬ。
斯く有難き御心におはしますを、など此罪には落入玉ひぬる。君辱かしめを受る時は臣死すと。況(まし)てや皇国の今にも衽(おくみ)を左にせんを他に見るべき。彼の大和魂を奮ひ起し、異性兄弟の結びをなし、一点の私意を挟まず、相謀りて國家復興の万一に裨補(ひほ)せんとす。
錦旗若し一たび揚らば団結して水火をも踏まむと、爰(ここ)に神明に誓ひ、上は帝の大御心をやすめ奉り、我が老公の御志を継ぎ、下は万民の患をも払はんとす。左れば此中に私もて何をかくに争ふものあらば、神の怒り罰し給ふをも待たで、人々寄つどひて腹かき切らせんと、おのれが名を書きしるし、おさめ置ぬ。
武市半平太小楯
文久元年辛酉八月
武市半平太24.4.24



[READ MORE...]
「奇兵隊」誕生事情
【2011/03/19 19:34】 エッセイ
いきなり、引用文から入ります。
「萩ノ家中ハ下関ニテ ガチャガチャ致シ候者 逃支度在ル体ヲ見テ、町人百姓迄ガ武士ト申ス者ハ アノ様ニ弱リテ役ニ立タヌモノ歟(か)ト 皆々大ニ歯ガミ致シ候由」(匿名書)

これは、文久3年(1863)5月10日に、長州藩が下関でアメリカ商船、ベムブローク号の下関海峡通過に対して、幕府の約束した攘夷実行日の名分にて砲撃したことに対する米・英・仏・蘭の四ヶ国による反撃で、長州藩(軍)が壊滅状態にされた時の武士の戦いぶりの「腰抜けぶり」を暴露した書である。
四ヶ国艦隊との一戦で、太平の世に慣れきって、戦いに役立たずの武士の姿をさらけ出してしまったのを見た民衆が、揶揄しながらも冷静にみている大変興味ある文である。
元来武士の職分は戦闘集団であるはずなのだが、「元和偃武」以来の太平で武士が変質してしまったのである。治者階級として官僚化してしまった武士の末期的症状とでもいったらよいのか。
騎兵隊 

[READ MORE...]



サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

検索フォーム ×

RSSリンクの表示 ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム ×

この人とブロともになる


QRコード ×
QR