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名著の変容「吉田松陰」ー徳富蘇峰ー
【2011/11/29 12:46】 エッセイ
明治26年、徳富蘇峰が「吉田松陰」の伝記を書いた。今日に及ぶまで、この「松陰の伝記」を越えると評価された本はないとは、松陰に関する勉強をしている者はしばしばこういった解説がなされた書物に接する。
しかし、これは松陰の門下生だった人物や敬慕する人物にとっては耐えられぬ内容であったようである。

それは「革命児」という松陰の人物側面の表現であった。革命は現状を否定して新たな国家形態を創り出す意味があって、明治の世で栄達を遂げた人物から、松陰先生は恩人と心中で期している人々にとっては、高い評価に納得が出来なかった。子爵・内務大臣・野村靖や伯爵・陸軍大将・乃木希典が改訂版を要請したらしい。以下の文は、それが記されていて、大変興味深い。その改訂版(著者の蘇峰は普及版と表現)が出たのは、明治41年秋。この15年間の明治日本は、有史以来の大変な経験をした。日清戦争と日露戦争に勝利したといわれる対外戦争である。これを踏まえて普及版の緒言を読むと、意味深長なことが見えてくる。
松陰研究者は、この普及版を高く評価していないようである。最初の伝記が、最高の評価を受けたことからの、比較した相対評価の為と思われる。しかし、私に言わせれば、この緒言は松陰の本質的な深層部分を剔抉しているように思えるのである。大変興味を覚える文なので、転記してみた。
以下に記すので、少し長いが是非とも最後までお読み頂きたい。改訂した事情も著者が正直に書いています。
徳富蘇峰「吉田松陰」 

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吉田松陰の母の手紙
【2011/11/18 17:23】 エッセイ
吉田松陰の母「たき」は良妻賢母のモデルに近い程に礼賛されている。此の母にしてこの子ありと云うべき母のイメージである、珍しい松陰の母の書簡を書きます。
安政5年11月、松陰が毛利藩の重役宛に老中「間部詮勝」を暗殺したいので、武器弾薬の貸与を願う書簡を送ったことで、嚴囚の意味を込めて、松陰の思いとは反対に、二度目の「野山獄」へ入れられてしまった。

このため門下生との齟齬を来たしてしまい、松陰は自分の「誠」が正しいかどうか「天」の裁きなり、声を聴きたいとして絶食に入ったのであった。安政6年1月末のことである。この背景に、木戸孝允が松下村塾の「客分」という立場にあったことから、時勢に先鋭化しすぎる松陰に対して、一定の冷却期間を置かせようとの判断から、門下生との交信を絶たせたという事情があった。
当時江戸にいた久坂玄瑞や高杉晋作が、師である松陰の「草莽崛起」の実践決起プランに対して、時期尚早との江戸情勢を伝えてきたことに、松陰が納得しなかった。
親のこころ 

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