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『定本版・吉田松陰全集』刊行事情②
【2012/07/02 17:00】 エッセイ
「吉田松陰全集」編纂発行の経過大要②

玖村教授は囊(さき)に私から編纂上に就いて意見を求めた際、同氏年來の希望が郷土の教育會によって實現される機運に到達したことを喜び白熱的の賛意を表し、この事業は實に國家的にして且つ永劫性のものである、重大な決心と準備とを整へ、邦家のため完全なものを後世に遺されたい、自分は全力を擧げて犬馬の労に服するを辞さないと大いに激勵を加へたくらいであるから、計畫行悩みの報に接しては殘懷遣る方なく、急遽上京して先づ吉田家に於て廣瀬豐氏と會し、ついで本縣出身の先輩湯淺倉平氏・粟谷謙氏・渡邊世祐氏・野村益三氏・入江貫一氏・藤本萬治氏などを歴訪し、計畫の現況を説明して後援を求め事業更生に百方斡旋せらるゝところがあった。
吉田松陰画像2012.3.30


然るに清水谷會長竝に島田・末宗両幹事轉任のため、本會幹部に少なからぬ異動を生じた。私は一般の要望と吉田家の期待とを力説して副會長白石喜太郎氏の決心を促したところ、副會長は四月九日に遂に決心の臍(ほぞ)を固め、來たるべき代議員會に諮ってその賛否を確むることとせられ、かくて四月二十三日代議員會を招集し、その賛否を求めたところ全會一致の協賛を得て直ちに準備金の支出を可決した。よって五月一日本會から吉田家に對し正式の諒解を求めた。
時恰も會長の選擧に際し、事情紛糾してその決定を見ざること實に三ヶ月の長きに及び、本事業の進捗上少なからぬ障碍を見た。五月三日には缺員幹事の補充を行ひ、新に山本昇氏・原田一二氏・岩崎卓一氏を委嘱し、二十一日玖村教授の來會を煩はして、本會館に於て幹部參集し事業方針の大綱を定め、編纂委員には松陰研究の権威者たる安藤紀一氏・廣瀬豐氏・玖村敏雄氏を嘱し、監修には徳富猪一郎氏・文學博士渡邊世祐氏を戴くこととした。
至誠 松陰


ついで玖村教授の指導によって、編纂方針の原案を作成し、私はこれを携へて六月四日上京の途についた。途中玖村教授を廣島に訪ひ、翌日京都に退隠せる安藤氏を訪問して親しく意見を叩き、且つ編纂委員たるの内諾を求めた。東京に着しては先づ吉田家を訪問して諒解を得、渡邊博士を訪ねて事業計畫の大要を述べ、且つ監修たらんことを懇請した。博士は快諾を與へられたが、自分は従來から名義ばかりの監修ならば引受けないことにしてゐるから原稿は必ず見せて貰ひたいと折角當方の切望する條件を、博士から先んぜられて大いに喜び種々懇切な指導を受けて辞去した。

ついで六月十日市外保谷村に海軍大佐廣瀬豊氏を訪問して、本會の計畫を述べ編纂委員としての承諾を求めたところ、自分は福島縣人であるが、かかる仕事に従事するには防長先輩の諒解を必要と認める、萬一その諒解がなければ資料の閲覧謄寫において支障を生ずる場合がないとも限らない、幸に余を紹介して諒解を得る見込みあらば喜んでその需めに應ずべしとのことであった。
吉田家家紋24.3.25


そこで私は再會を約して辞去し、都野知若氏・圖書監修官藤本萬治氏・府立第六中學校長阿部宗孝氏・子爵野村益三氏・毛利家史料編纂所員妻木忠太氏・富田武一氏・末村吟藏氏等を訪問して諒解を求め種種有益な教示を受けた。かくて十三日再び保谷村に廣瀬豐を訪問して先輩の諒解を得るの見込みを報じ、本會調査の原案と廣瀬氏の調査案を參酌し、出版業者の意見を徴して出版経費の概算を立てた。
楫取素彦24.4.24


翌十四日には楫取三郎氏を訪ねて賛助を求め午後江木千之氏を訪問した。氏は病中にも拘らず、快く引見せられて懇切に教示せられた。氏は全集の發行はもとより可なり、敢て異議は挟まないが資料の半は漢文であって、讀解が困難であるから果して普及するであらうか、購入者は或は圖書館位に止まりはせぬか、又先生を長州のものの如く取り扱ふことは先生を小さくするものである、編纂委員が何縣人であらうとも、そんなことは問題ではないと極めて公正な意見を披瀝せられ、その上需めに應じて一書を認め、私を徳富蘇峰氏に紹介せられた。
徳富蘇峰の写真


ついで私は徳富氏を訪問して事業企畫の大要を語り、その意見を叩き且つ監修たるの内諾を求めた。氏は全集發行の企ては極めて結構である、是非完成して貰ひたい、この事業は教育會として最も相應しいから資料の散逸しない内に何を差置いても實行されたい、資料は一日遅るれば一日だけなくなる、先生は山口縣人に於てよりも却って他府縣人によって研究されてゐる情況である、先生の書かれたものはいかに斷簡零墨と雖も、後世に於ては頗る貴重な資料となるから成るべく悉く掲載して頂きたい、抄録の如きもその實先生の見識によって成されたもので、同じ書を讀んでも人によって見方が違ふ譯だから、一種の著書と見ても差支ない、紙數の許す限り載せらるることを希望する、山口縣から偉人が澤山輩出したが、先生は實にその師匠であるからその事蹟は是非これを後世に遺さなくてはならぬ、お示しの編纂方針大綱はこれで結構だと思ふ、渡邊博士が既に御參加になるならば私も喜んでおつき合ひ致すとのことであった。 次回へ

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『定本版・吉田松陰全集』刊行事情①
【2012/07/02 16:59】 エッセイ
 
「吉田松陰全集」編纂発行の経過大要①

これは、「定本版・吉田松陰全集」刊行の苦労談、経緯等々の貴重な編纂にまつわる、「秘話」等が記されたものを紹介したいための」記事です。
長文ですので、七回に分割して掲載いたします。
今回は第一回として①との記号を賦して書きます。
原文は、菊版13頁にわたります。

これを掲載することは、「吉田松陰研究者」への多大なる便宜を供するとの確信にて敢えて再録致します。
定本吉田松陰全集


吉田松陰全集編纂発行の希望をはじめて本會の議に上したのは、昭和六年九月五日に開かれた幹事會の席上であった。その席で近時松陰先生の研究は漸く旺んで、先生に私淑せんとする者の日に増し多くなることは、現下社會の情勢に鑑みて誠に喜ぶべき現象であるが、何分にも先生の殉節後既に七十餘を経過してゐて、既刊の著述は曾孫庫三氏編纂の「松陰先生遺著」をはじめいづれも絶版となり、容易に手に入れることが出來ないばかりか、未刊のもので、尚ほ幾多の貴重な資料がある。
吉田松陰自賛画像2012.4.13


これ等の文献を蒐集整理して後昆に傅へることは、吾々の義務であって、且つ又國民精神涵養の上にも極めて喫緊のことと信ずるから、資料の散逸せざる今日本會に於て全集の編纂発行を計畫し、先生の人格思想業績等を千載に傅へることとしては如何と私から提案した。當日出席の幹事島田民治氏・武智啓次郎氏・水沼正一氏・弘中傅人氏・末宗殷門氏はいづれも異口同音に賛意を表し、中にも島田氏は特に熱心にその必要を強調し實現の一日も速からんことを切望された。
松陰岡部本24.4.23


そこで私は事業計畫の準備として、松陰研究に造詣深き廣島高等師範校教授玖村敏雄氏をはじめ、萩市の安藤紀一氏・居田泰輔氏・香川敬一氏・藤本瀧江氏に編纂発行についての意見を求めたところ、熱烈なる賛同と懇切なる注意とを寄せられて益々意を強くするに至った。因って十一月には、本會機関誌「山口縣教育」を松陰研究特輯號として発行し、大いに先生の研究を鼓吹した。

全集編纂の計畫に就いては爾来幹部で屢々協議を重ねて見たが、當時本會は教育會館建築費の負債を有し、向後四ヵ年間は毎年経常費を節約して償却の資に充てなければならない情勢にあったため、この事業が會として極めて有意義であることは認めながらも聊かその實現を危ぶまれた。
歴史に学ぶ


ついで昭和七年二月十三日に幹部参集してこの問題に就いて更に討究したが、會長清水谷徹氏は事業の性質としては極めて結構で別に異議はないが、経済上について種々困難が伴ふからこれを見合はせ、手近い事業に力を入れることが本畫としてはむしろ適當ではあるまいかとの意見であった。しかしこれは早晩本會が實行すべき性質の事業でであるから、先づ主事から非公式にでも、吉田家に對し本會に全集編纂の希望を有する旨を通じ、豫め諒解と援助とを求めて置くべきであるとの意見もあって、早速私からその意を通ずるとともに、玖村教授に對してこの成り行きを通知した。続く。





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