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『東行前日記』 連載⑥ 補足
【2012/08/24 17:40】 エッセイ
『諸妹宛』書簡

五月十四日(安政六年)
松陰在野山獄 諸妹在萩   二十九才
松陰正装画像


拙者儀此の度江戸表へ引かれ候由、如何なることか趣は分り申さず候へども、いづれ五年十年に歸國相成るべき事と存ぜず候へば、先づは再歸仕らずと覺悟を決め候事に付き、何か申し置くべき儀あるべき様に候へども、先日委細申上げ進じ置き候故別に申すに及ばず候。

拙者此の度假令一命差棄て候とも、國家の為に相成る事に候はば本望と申すものに候。两親様へ大不孝の段は先日申候様其の許達仰せ合され、拙者代わりに御盡しくださるべく候。

併し两親様へ孝と申し候とも、其の許達各々自分の家之れある事に候へば、家を捨てて實家へ協力を盡され候様の事は却って道にあらず候。各々其の家其の家を齊へ夫を敬ひ子を教へ候て、親様の肝をやかぬ様にするが第一なり。

婦人は夫を敬ふ事父母同様にするが道なり。夫を輕く思ふ當時の惡風なり。又驕りが甚だ惡い事、家が貧に成るのみならず、子供の育ちまで惡しく成るなり。心學本間合い合いに讀んで見るべし。高須の兄様抔に讀んで貰ふべし。高須兄は従兄弟中の長者なれば大切にせねば成らぬ御方なり。

五月十四日夜            寅二
 松陰の妹・寿
(松陰の妹・壽、小田村伊之助と結婚したが早世)



児玉お方様
小田村お方様
久坂お方様  參る。
尚々時もあらば又々申し進ずべく候。

【用語】
先日委細申上げ進じ置き = 四月十四日付け「千代宛」書簡をさす。野山獄中から。
肝をやかぬ様に = 心配をかけたり、悩ませたりしないように。
當時 = この頃。
心學本 = 石田梅岩が創唱した平易な実践道徳。神・儒・仏・道諸教のあらゆる心理を摂取して、農工商平民のために通俗卑近の例をあげて、忠孝信義を説いたもの。
高須の兄様 = 高須為之進。松陰等兄弟の従兄弟にあたる。
児玉・小田村・久坂お方様 = 児玉祐之妻千代(祐之は杉家五代目百合之助常道)の妻瀧子の義父児玉太兵衛寛備の嫡子である)・小田村伊之助妻寿・久坂玄瑞妻文、ともに松陰の妹。文は寿の死後、小田村伊之助(後の楫取素彦)の後妻として嫁している。

、安政六年五月、野山獄にあった松陰は兄より「幕府召喚命令」を伝えられた。生還の実現性が少ないと考えた松陰は、嫁いでいる妹たちに事情説明と心の内を語り、なおかつ「婦人の道」を説きつつ、従兄弟の高須為之進に教育の一助を願えと進言している。

小田村伊之助


嫁ぎ先の家の親族に孝養を説き、実家の両親へも心遣いを忘れぬよう諭して(ほぼ遺言に近い内容)いる。
「人の道」を説いて止まなかった松陰、覚悟の東行にあたっても妹達への心得を申し送る姿に感動せずにはいられまい。誠に「言行一致」で、己を欺かないだけでなく、親族に対しても礼節を盡そうとする「誠実な人」は読み取れる。
この半年後に、斬刑となるのであるが、覚悟ができていたようで、刑場に臨む姿が全集の『関係雜纂』に収録されている。一部、世古格太郎の語りも伝えられているが、松陰の生涯を追ってゆくと、これが誤りで、命惜しさに「気色」も荒々しく云々は、全体を知らずに部分のみの点描に過ぎないことがわかる。吉田松陰の名誉のためにも、わざわざ茲に特筆しておきたい。そうでなければ、高杉に与えた「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし」と書簡に書いたこと等が、松陰の常なる言動が偽りとなってしまう。


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『東行前日記』 連載⑥
【2012/08/24 11:00】 エッセイ
『東行前日記』⑥

二十日(安政六年五月)
傅輔に別る、傅輔時に揚屋に繋がるその近作の韻に仍る
松陰先生24.3.31


坐死嘗慙状蓐間    坐死嘗て慙づ状蓐の間、
此行豈是涙潸々    此の行豈に是れ涙潸々たらんや。
幽囚汝自知吾志    幽囚汝自ら吾が志を知らん
欲向芙蓉照笑顔    芙蓉に照向って笑顔を照らさんと欲す

【用語】
傅輔 = 伊藤傅之輔。大原三位(重徳)西下策に活躍して萩の岩倉獄に投ぜられた。
坐死嘗慙状蓐間 = 生きている時に何の功業も立てず、寝床の上で安らかに死ぬことは、男子として恥ずべきことであると考えていた。
此行豈是涙潸々 = この東行は幕府吏に尊王攘夷の大義を説く好機であるから、どうしてさめざめと別れの涙を流すことがあろう、の意。
芙蓉 = 富士山。


  ○
野村靖
(野村和作、後の内務大臣・神奈川県知事、入江杉蔵の弟。『留魂録』受取者)

 和作に與ふ
和作は鋭敏果斷なること、頗る阿兄に過ぐ、而れども精思熟慮は少しく譲る。其の資性異るものありと雖も、抑々學問經歴未だ足らざるなり。今、獄に在りて書を讀むは天の佑これより大なるはなし。和作の後來、眞子と詢に賴むべきなり。


【用語】
和作 = 野村和作。入江杉蔵の弟。後、神奈川県知事、内務大臣。子爵。
阿兄 = 和作の実兄、入江杉蔵。字は子遠。
今 = 和作は当時、兄杉蔵と共に要駕策の一件で萩の岩倉獄に収監中。

 
清狂道人の賛
四十二年    四十二年、
寓身塵域    身を塵域に寓す。
腹富文章    腹は文章に富み、
世滿相識    世に相識滿つ。
瀝誠動人    瀝誠人を動かし、
血涙塡臆    血涙臆を塡む。
状貌奇偉    状貌奇偉に、
氣魄鬱塞    氣魄鬱塞す。
尊王攘夷    王を尊び夷を攘ひ、
護法護國    法を護り國を護る。
清哉狂哉    清なる哉狂なる哉、
頭髠衣黑    頭は髠に衣は黑し。
月性

(勤王僧・月性。松陰と親交があり、この肖像画は門弟の松浦松洞作になる)

實甫、清狂の像を出し、文を余に索(もと)む。余、向に祭文一篇あり。已に實甫に託して、清狂の稿の後に附す、因って復た賛を撰ぶこと此くの如し。嗚呼、清狂は死せり。囘も亦将に去らんとす。一幅三人、死別の感深し。実甫、時々出して之れを觀よ。

今茲に東行す、舊友䔥海頗る周旋を為す、微言もて之れを謝す
 此行吾死所    此の行は吾が死所、
 百年心已抛    百年の心已に抛つ。(なげうつ)
 猶存緒里感    猶も緒里の感を存し、
 含涙謝故交    涙を含んで故交を謝す。


【用語】
清狂道人 = 周防、妙円寺住職「月性」上人。安政五年五月没。勤皇僧として有名。
       「男児志を立てて郷関を出づ。學若し成る無くんば復た還らず。骨を埋むる何ぞ期せんや墳墓の地、人間到る処青山有り」の立志の詩が有名。
塵域 = 俗世間。
腹 = 詩文に秀でた才能を有していたことを言う。
相識 = 知人。
瀝誠 = にじみ出る至誠心。
血涙塡臆 = 事に対して感じやすい情熱家であったことをいう。
氣魄鬱塞 = 気力が満ち溢れていた。
髠(こん) = 髪を剃り落して、青々としているさま。
實甫(じっぽ) = 久坂玄瑞。村塾の双璧といわれ、松陰の妹婿。禁門の変で自刃。
祭文 = 『己未文稿』に収載。清狂の死を悼む詩。安政五年三月頃。
囘 = 二十一回猛士。即ち松陰自身をいう。
一幅三人 = 月性・松陰・久坂。
䔥海 = 土屋矢之助(䔥海)。佐世の臣。幽室に松陰を訪問、文章の添削を求めた。
     松陰の幽室・東行の時にも厚い友情を寄せた。
緒里 = 『左伝』の成公三年の条に晋の荀罃(じゅんおう)が楚に囚われた時、商人が緒中即ちに衣囊に入れて脱出させようとしたが、結局は商人の手を借らないで晋に歸ることができた。後にその商人に会った時、あたかもその囊中より脱出したかのごとく感謝善遇したことが見えている。ここでは土屋䔥海の周旋ならびに計画は実現出来なかったが、なお荀罃が商人に感謝したと同じように感謝の気持ちでいっぱいである、という意。
故交 = 古くからの交わり。

※ 東行前日記を筆写しているが、幕府からの江戸召喚に對し、生きて帰れぬ覚悟と、身辺整理、門人・知人への感謝をこめた詩や文が書かれ続けている。
誠実な人となりを絵に描いたような松陰の人となりである。至誠という言葉を座右の銘にし続けたが、将に言行一致で、こうした松陰の人柄が、門下生たちに感化力となって、自己教育として結実したのであろう。
讀む者をして胸の詰まるような思いである。
愛国心も、このように至誠から発したものであろう。
しかも、死を掛けての信念の実践であった。






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