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『東行前日記』 連載⑨
【2012/09/16 17:17】 エッセイ
『東行前日記』⑨

二十三日(安政六年五月)

家大人に別れ奉る
平素趨庭違訓誨    平素趨庭(すうてい)、訓誨に違ふ、
其行獨識慰巌君    其の行獨り識る巌君を慰むるを。
耳存文政十年詔    耳に存す文政十年の詔、
口熟秋洲一首文    口に熟す秋(しゅう)洲(しゅう)一首の文。
小少尊攘志早決    小少より尊攘の志早く決す、
蒼皇輿馬情安紛    蒼(そう)皇(こう)たる輿(よ)馬(ば)、情安(いずく)んぞ紛せんや。
温情剰得留兄弟    温情(おんせい)剰(あま)し得て兄弟に留む
直向東天掃怪雲    直ちに東天に向って怪雲を掃(はら)はん。

【用語】
趨庭 = 庭桜の花。厚い兄弟の情を秘めている。出典は詩經。
訓誨 = 教え。
巌君 = 父の敬称。
文政十年の詔 = 文政十年、徳川家斉が太政大臣に任ぜられた時に、仁孝天皇の賜った詔書。家斉はこの詔を江戸で受け、そのお礼は近臣を京都に派遣、言上させただけであった。松陰の父は、幕府のその非礼を嘆き、この詔書を謹書して松陰兄弟に与え、この詔を読み聞かせて大義を教えた。
秋洲一首の文 = 吉田流神道の布教師「玉田永教」(賀茂神社の神官)の著『神国由来』。
         百合之助は、松陰兄弟達にこの書を暗誦させ、勤皇精神を養わせた。
蒼皇輿馬情安紛 = 慌ただしい檻送であるが、どうして私の心が乱れようか。
温情剰得留兄弟 = 暑さ寒さにつけて、父母の身を労り仕えること。出典は『礼記』。
松陰先生24.3.31


【通釈】(松風会刊行、吉田松陰撰集より)
日頃は父上からお教えを受けながら、背いてばかり、
此の度の檻送は父君の心を慰めるものになると、密かに思う。
私の耳の底には父上から説き聞かされた文政十年の詔書が今なお残り、
脣には『神国由来』の書の言葉も習熟して暗誦できる。
少年の頃から尊王攘夷に親しみ、これに捧げる決意を早くから固めており、
慌ただしい檻送だからとて、今さら心が乱れることはない。
両親への孝養は尽くすことが出来ないまま、兄弟に委ねて、
直ちに江戸に赴き、空をおおう怪雲を一掃したい。

   ○
徐階の語に跋す
是れ明の徐階の語なり。此れ等の妙境は唯だ我が清太深くこれを知るのみ。是を以て別れに臨みて録し贈る、泛々たるに非ざるなり。
又曰く、椒山の戮さるるとき、華容は學の師たり、位も又首相たり、而して一言も之れを救済する能はず。
吾れ初め其の人を鄙みしに、復た其の本傅を讀みて、乃ち其の事を為すの大人物たるに服せり。嗚呼、是れ淺人の能く伺ふ所ならんや。

【用語】
徐階 = 明の嘉靖の進士。直諌正義の人で、宰相の巌嵩を放逐し悪政を正し救った。
徐階の語 = 無競之地、可以遠忌。 無恩乃身、可以遠謗。の四句。
清太 = 久保清太郎。
泛々 = 浮薄な言。
椒山 = 楊繼盛。嘉靖の進士。宰相の巌嵩を弾劾して殺される。徐階の門人。
華容 = 華亭(出身地を借りて徐階をさす。)の誤りか?
淺人 = 識見の淺い者。
萩市24.7.7

   ○
東行別詩に跋す
吾れの将に東せんとするや、藍田畫史手描の二扇を出して贈と為す。其の一披老の檜の詩意、而して其の一は藍關深雪なり。藍關深雪は眞に人をして盛夏に膚に粟を生ぜしむ。因ってその蓐きを拝す。其の檜の圖は在獄の友子遠兄弟に寄せて之れを觀し、此の詩を録呈す。木桃笑ふべきなり。

【用語】
藍田 = 藤井藍田。松陰を尊敬し「詩」を贈った人物。
披老 = 宋の文豪・蘇東披。檜の詩を作った。
藍關深雪 = 唐の文豪韓退之の潮州刺史に左遷時の詩。藍關は陝西省にあった関所。
木桃 = 山杏の異名。ここでは粗末な贈り物の意。出典は詩経

   ○
小川氏後亭の記を評す
䔥海は無用の男子なるに、輙ち能く事を濟し、又其の經營の跡を見さず、吾が輩の有用を以て志と為し、遂に濟すに益なき者と似ざるなり。吾れの将に執拘せられ命に赴かんとするや、猶ほ此の文を出して評を求む。是れ無用の文字にして、又多く無用の處に就きて着色す。理學家の數語を為ずして、綱擧り目施し、條理本哲かにして一望際なし。是れ其の文其の人に似たりと謂ふべし。讀み了り一笑して之れを書す。

【用語】
無用の男子 = 詩文を作るのみで役に立たない意。䔥海は文章巧の評価が高かった。
經營の跡を見さず = 苦心経営の跡が見えず、手際の良いこと。
理學家の數語 = 宋代、理気の説を唱えた學。性理學とも言う。
綱擧り目施し = 大綱を挙げ細目が施されていて理路整然としていることを言う。


安政六年五月は、長野義言の暗躍により「一橋派の志士」や「幕政に批判的な公卿」をはじめ、反幕府的行動の人物は逮捕または処罰の対象になり、大方処罰の方法が固まっていたころである。。「将軍継嗣問題」と「無断勅許」が絡んで、幕府と意見を異にする廷臣たちは、「孝明天皇の譲位表明」を撤回さすべく方策を案出する。朝廷から見れば、無断勅許の条約調印は大半が批判的であった。

薩摩藩の日下部伊三次(海江田)は、京都に潜入し、三条実万に逢い、井伊大老を辞任に追い込むべく入り知恵を提案。
これが、勅諚に従わない井伊政権に打撃を与えるべく、朝議がこらされる。近衛左大臣主導で「戊午の密勅」が水戸藩に下されることになる。
親幕派の関白九条尚忠は、この朝議には無論出席していない。そうして、水戸藩から、井伊大老に辞任を求めようとして、幕府より先に、水戸藩に勅諚が下り、これが井伊の憤激を呼び起こす。

吉田松陰は、独自に「草莽崛起」の実践を計画していたころであったが、藩政府に間部殺害計画を打ち明けたことから、二度目の野山獄に収監中であった。松陰の指弾の元凶は長野義言であった。これを防ぐべき長州藩の直目付の要職にあって、江戸藩邸にいた長井雅樂が反対の判断をし、幕府に松陰を召喚することになった。
一連の「東行前日記」を読むと、松陰は生還が難しいと考えていたことがよくわかるのである。


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