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維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

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講座『吉田松陰』のこと
【2012/10/17 22:15】 エッセイ
「大東文化大学」オープンカレッジ

平成24年10月13日、『幕末維新のヒーロー達』の講座が開始された。
第一回はもちろん「吉田松陰」である。
九州大学の名誉教授・山口宗之氏の言葉では『明治維新志士中の第一等星』(幕末江戸:学研)と称される吉田松陰である。

松陰正装画像


この言葉通り、吉田松陰なき明治維新は考えられない。「殉難」は愛国心の極致であったと考えられる。「政治犯」としての権力による処罰であったから、「吉田松陰精神」は殉難後に現実の大きな変革のエネルギーとして日本の歴史上、最大の変革として結実した。

日本の哲学者・教育学者として著名な「森信三(のぶぞう)」先生は『修身教授録』(現代に甦る人間学の要諦・知致出版社)で、吉田松陰についての勉強を奨めている。

修身教授禄


やや、長いがそのまま引用してみる。
『さて講義は一応これまでとして、今日は一つ書物のご紹介をしましょう。

実はこのたび吉田松陰先生の非常に手ごろな「全集」が出ることになりました。先生の「全集」は、この前にも一度岩波書店で出ましたが、その時のは、全部原文のままで大部分が漢文でした。ところが今度のは、旧版の漢文を全部仮名混り文にして、かつ難解なところには一々註をつけて、だれにも読めるようにしたものです。

そこで諸君にはやや高価なものではありますが、これだけは何とか工面して求めるようにされるがよいと思います。そして私の考えではこれをもって、諸君の卒業記念とされるがよいと思うのです。実際、国民教育者は、ある意味では、この本だけを読んでいても十分と言えるほどで、あらゆる人生の教訓はこのうちにこもっているとも言えます。もし諸君が、この本を求めて三年間読んでも、その真価が分からなかったら、私が引き取らしてもらってもよいです。古本屋へ持っていっても、おそらく原価に近い値段でとってくれましょう。

最新版松陰全集


マア諸君!!一つ私にだまされたと思って、求めてごらんなさい。三年もたてば、必ずうなずける時が来ましょう。私は以前の版を持っていますが、今度の分も買おうとおもっているのです。これによっても私が、諸君にお奨めするわけが分かりましょう。』(443~444頁)と絶賛している。


これは、言葉だけのハッタリではない。実はこの本は、大阪の「天王寺師範」での講義録なのです。このたび、「ノーベル医学・生理学賞」を受賞された山中伸弥教授の、戦前の母校にあたる?のである。この森信三先生は、西田幾多郎と併称される教育学者だそうである。

森信三先生


この先生が、吉田松陰全集(普及版)のススメを語っているのである。しかも、「三年間取り組んで、その真価が分からなかったら自分が責任をとって引き取ってよい」とまで言い切っているのである。


「人生の教訓」が籠っているいるというのである。

この称賛の仕方は、この上ない賛辞である。
吉田松陰が日本人の心の代弁者であるかの如くである。
私のブログを読んで下さる方々に、この言葉をかみしめながら読んでいただけたらと、願うばかりである。

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『東行前日記』 連載⑩
【2012/10/02 15:44】 エッセイ
『東行前日記』⑩ 

二十四日(安政六年)

   發っするに臨み前田治遠老丈に柬(かん)す。勤皇の儀興りてより、老丈深く予が議を右け、時に或は下問せらる。予罪を獲るに及びては老丈、救解頗る力む。此の行檻輿護送、防禦甚だ巌なり、而して老丈議して其の苛法數條を除かる。終始余を愛すと謂ふべし。

正装の吉田松陰2012.3.30


 世態遷移大義存    世態遷移するも大義は存す、
 斯行我敢訴吾冤    斯の行我れ敢へて吾が冤(えん)を訴へんや。
 梅天黯澹啼鵑苦    梅天黯澹(あんたん)、啼鵑(ていけん)苦(いたま)しく、
 夏木陰森鵑棘繁    夏木陰森、鵑(ほう)棘(きょく)繁し。
 本擬抽身當國難    本より身を抽(ぬ)きんでて國難に當らんと擬し、
 肯於知己謝私恩    肯へて知己に私恩を謝す。
 泮林飜想十年事    泮(はん)林(りん)飜(かえ)って想ふ十年の事、
 一巻易經曾細論    一巻の易經曾て細論す。


  予、曾て史を讀む。陳東未だ李綱を識らざるも、上書して之れを留めん事を請ひ、終に坐して市に戮せらる。東、既に死す。許翰乃ち哀辭を為り、八たび章を上りて罷めんことを求む。古人の事、千歳の如し。今國事已に去り奸慝、心に生ず。正を得て斃るると、明哲身を保つと、皆宜しからざるはなきも、正士の仰ぎ膽るは實に老丈に在り。既に知己を辱くす、聊か復た言を盡す。此の幅願はくは深く之れを藏せられよ。己未五月念四日。
【用語】
前田治遠老丈 = 前田孫右衛門。長州藩の重役。
柬す = 書簡をしたためる。
防禦 = 松陰の逃亡を防ぐための掟。
苛法 = きびしい掟。
冤 = 無実の罪。
黯澹 = うす暗いこと。
啼鵑 = 叙景をかりて杜鵑(ホトギス)にたとえたもの。
鵑棘 = 茂ったいばら。ここでは松陰の考え方や行動を妨げようとする人々をさす。
泮林 = 学校の事。ここでは藩校明倫館をさす。
陳東 = 北宋末の人。逆臣を誅する建言をしたが反って市に磔せられた。
李綱 = 高宗即位後宰相となったが、七十日で排除された。
許翰 = 正直不撓不屈の人で正論を主張したが、排斥された。
奸慝 = 安逸を求める狡い悪心。
明哲 = 知恵が優れて聡く道理に明らかで身を全うする。誌經にでている。
己未五月念四日 = 安政六年月二十四日。
野山獄24.3.23


   ○
同囚に別る
別れかな入合早し梅雨のそら
栖に馴れて人屋も流石床しけり別れに絞る五月雨の袖
  

 ○
飯田吉次郎に留別す
一夫寧無望後人    一夫寧んぞ後人に望むこと無からんや、
少時了々汝當振    少時了々、汝當に振ふべし。
弱冠而立白駒隙    弱冠(じゃっかん)而立(じりつ)は白(はっ)駒(く)の隙(ひま)、
勤學只須及是時    勤學只だ須らく是の時に及ぶべし。


 ○
獄を脱す、司獄福川氏に謝す 二十四日
素 行 吾 豈 企    素 行、吾れ豈に企たんや。
諸 友 學 師 門    諸友、 師の門に學ぶ、
司 獄 好 男 子    司獄、好男子、
権 宜 想 赤 藩    権宜、赤藩を想ふ。

    ○
 将に輿(こし)に上らんとして子遠に寄す 二十五日
噫吾去矣汝何如    噫、吾れ去る、汝何如、
囚室只秖讀舊書    囚室只だ秖(まさ)に舊書を讀むべし。
満天梅雨灞城曉    満天の梅雨、灞城の曉、
千里単身發檻輿    千里単身、檻輿(かんよ)發す。

    ○
 來別の諸友に答ふ 同上
吾 豈 無 情 者    吾れ豈に情無き者ならんや、
相 知 生 別 離    相知生別離。
雖 然 何 用 泣    然り雖も何ぞ泣くを用ひん。
梅 雨 有 晴 時    梅雨、晴るるの時あり。

涙松


    ○
 村塾諸生に示すの詩、 録して宍戸生に與ふ
離合嘗慙涙濕巾    離合、嘗て慙づ涙巾を濕すを、
一囘用猛一回新    一囘猛を用ふれば一回より新たなり、
吾州我去何加損    吾が州我れ去るも何ぞ損を加へん、
松下陰深更有人    松下陰深きところ更に人有り。

    ○
 子楫に與ふる詩の序
僕の足下に於ける、交情自ら諸友より深し。別れに臨みて豈に癡情なきを得んや。足下奮勵して、能く自ら師友を得よ。然らずんば滔々として下流に趨かん、慮るべきなり。子遠・八十は最も善く足下を知る者、之れを親しめ、之れを愛せよ。

 【用語】
入合 = 日暮れ。
人屋 = 牢屋。ここでは野山獄をいう。
飯田吉次郎 = 松下村塾生。
少時了々 = 少年時代は早く過ぎ去ってしまうものだ。
弱冠而立白駒隙 = 二十歳、三十才に至るのは忽ちだ。歳月の経過は早いのたとえ。
司獄福川氏 = 野山獄の番役人。松陰を尊崇した人物。松陰は賛と跋を書き与えた。
素 行 = 君子は各自の地位境遇に応じて、その身を修め行うこと。
諸 友 = 諸友は師(山鹿素行)の学派に学んでいる。
権宜想赤藩 = 臨機応変の処置。赤は赤穂藩。転じて見に余る厚遇に感謝をいっている。
子遠 = 入江杉蔵。村塾晩年、松陰が最も期待した門下生。村塾の四天王。当時投獄中。
囚室只紙讀舊書 = 囚室只だ秖(まさ)に舊書を讀むべし。(子遠は投獄中であった)。
灞城曉 = 萩の雅称。
檻輿 = ここでは、罪人護送用の駕籠のこと。
宍戸生 = 山形半蔵。山県太華の養子となる。松陰の兵学門下。
子楫 = 岡部富太郎。
詩の序 = (東行前日記)の「密かに子遠、和作に寄す」。の詩。
足下 = あなた。対等の人に対する敬称。
癡情 = ここでは、友情にほだされる思い。
滔々として = 流れゆくさま。転じて世間の風潮に従うさま。
八十 = 前原一誠。維新後、兵部大輔となったが、木戸と意見が合わず辞職。萩の乱を起こす。
吉田松陰とその門下24.3.25



※この翌日松陰は厳重な、警戒守護(護卒つき)の下に、駕籠で江戸に向かうのである。 此処に出て来る「司獄福川氏」は福川犀之助、松陰の人となりを尊崇して、獄舎で弟子入りしてしまった人で、更に弟も共に松陰に弟子入りして學ぶほどであった。
最後の夜は、自己責任の判断で、松陰を実家に帰らせ、家族と一夜を共にさせた。ここで松陰のは「母に背中を流してもらう」光景と「松陰の安全帰還」の願いの会話がなされる。更に松陰のを祈って、仏壇に祈り続けていたのである。涙を誘う母子の美しい情愛の場面があった。

門弟たちとも、最後の別離の盃と、各々に与えた「別離のことば」は、松陰の几帳面な人柄と、門下生への愛情が読み取れ、更に福川に感謝し、翌早朝に野山獄に戻した。此の為、福川は、藩から処罰を受けるのであるが、納得して受け入れた事であろう。こうして、安政6年5月25日、五月雨の梅雨空のもと、萩を出発したのである。

次回は、全集編者による附載の松陰の関係者への、別離の言葉を掲載します。





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