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「個人の全集」への思いについて
【2014/06/16 22:10】 エッセイ
「個人全集のいろいろ」

「吉田松陰全集」は昭和六年九月五日に企画の発議がなされた。(編纂発行の経過大要・定本版・第十巻巻末・山口縣教育會主事・齋藤彦一氏記述)
そうして、この刊行がなされたのは、発議から四年半の日時を要してこぎつけたのであった。この間の裏事情は、上記に精しく記述されており、私はかつてこの自分のブログに全文を転記したことがある(大変でした)。「菊版で13頁」を費やして詳述されている。大変な労力を費やしたことに敬意を表したい。


精読すると、殆ど「国家的な事業」に匹敵するような印象さえ受ける。さらに、この全集が完結した時に「宮内大臣」の許可を得て「天皇陛下」、「皇后陛下」、「皇太后陛下」に獻上を差し許された(第十巻・巻末十四頁)との記述があるように、山口縣教育會の執念に思いを致さざるを得ない。 「一市井人の個人全集」が、皇室関係者に「献上」される栄誉は聞いたことがない。まさに、吉田松陰が高杉晋作に教えたとおり、「死して不朽の見込みあらば、いつでも死すべし」を、先生が実践して見せたのである。これに奮起した高杉晋作のその後の活躍ぶりは、多くの高杉ファンを持つことになった。「吉田松陰なくして、高杉晋作なし。反対に、高杉晋作なくしても、吉田松陰は不滅の人として、今後も生き続ける」だろう。

吉田松陰結跏趺坐小

今日、「山口県出身者」との会話から読み取れることは「明治維新」の実現努力への誇りが、会話の端々に感じられる。極論すれば「明治維新は、長州が成し遂げた」と云わんばかりと聞き違える程である。その原点に「吉田松陰」が存在しているわけである。
通常、明治維新を概観した言葉として、その貢献度からの序列的な云い方として「薩・長・土・肥」の四藩が語られる。だが、一人「長州藩」は、その努力において、そして「費やしたエネルギー」の「高温度」的な感覚が突出している。

掲題に戻ろう。「坂本龍馬全集・全一巻」が昭和五十三年五月に「光風社」という出版社から、「限定千五百部」として刊行されている。監修者は、かつての土佐藩主の「山内家」の文書研究のしごとに携わった「平尾道雄」氏で、編集・解説は「宮地佐一郎」氏である。
およそ「一千頁」の菊版で大著である。

坂本龍馬には、吉田松陰の「藩主への上書」のような「公的な文書」がない。大半が「書簡」である。しかも、この全集の価格は「二万円」という高価である。ご丁寧に、各書簡に「解説」が施されている。唯一の興味は「史料」が写真として掲載されていることである。「全集」に編者や監修者の解説が施されていると、「研究の完成」のイメージがあって、そのまま受け入れればよいような錯覚を起してしまう。 でも、これは「親切な編集」と言ってよいのだろう。「高杉晋作全集」なども、現代語訳が付されていて、「大意」を理解するのには、大変便利である。

同じ、「全集」といっても随分とその内容は異なるようだ。完成度の高さからすると「吉田松陰全集」と「福澤諭吉全集」が最もそれに近いように思われる。福澤諭吉全集は、慶應義塾の創立者ということも与かって、慶應義塾の総力を挙げて編纂された思いが伝わってくる。私達は「全集」ということばに「先入観」を抱いているかもしれない。
「研究者への資料(史料でなく)」を提供するというのが「全集」と私は思っていた。
それは、先入観であって、眼目とするところは、多くの理解者を得るための一助となる。


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『吉田松陰の功績評価』をめぐって
【2014/06/15 21:40】 エッセイ
『日本の歴史』―「開国と攘夷」再読のこと

仕事の必要上から、標記の本の「文庫版」(中公文庫)を購入して再読をはじめた。文庫はどこでも持ち歩けるので便利である。電車の中でも気楽に紐解ける。文庫版になって「解説」も巻末に記されているので、親切である。元版は高校時代に全26巻を読了して、受験勉強に使ったので手放せずに半世紀もの間全巻を保持している。

今回、読み直してみて非常に名著であるとの印象がある。「アヘン戦争」から書き起こして、「王政復古のクーデター」までを記述。著者の小西四郎さんはかつて「東大史料編纂所」に勤務し、「維新関係史料」を精査研究した方である。
通史の敍述形式だが、さすがに「史料」が程よく挿入されていて「読みごたえ」がある。「安政の大獄」まで読み進めたが、概説通史の書物としては詳述されていると云ってよい。
吉田松陰


井伊直弼の評価、橋本左内への高い評価は読んでいて説得力がある。左内と吉田松陰はかなりの紙面を充てて「さすが」と思わせる叙述となっている。面白いのは、吉田松陰への評価である。とりわけ「松下村塾」出身者が幕末維新期に多くの人材を出したことを以て松陰一人の功績とすることに、過大評価への誡めとも取れる記述は、現代の「松陰研究の泰斗」たる「海原徹」先生の評価と近いものがあって興味をそそる。勿論、吉田松陰に対して最大級の賛辞を惜しまないが、それでも行き過ぎた高評価への警告的言辞は流石と云うべきであろう。

非常に良い文章なので、長文ながら転記して見る。 吉田松陰は、安政の大獄関係志士の中では、もっとも異彩を放つ人物であった。松陰が「松下村塾」を開いて(註:主宰と表現すべき。開いたのは叔父の玉木文之進。)、後進を指導したことはあまりにも有名な話である。・・・・・・ペリー来航に当っては、いち早く浦賀に行って、その様子を偵察している。そのさいかれは幕府の無能さを、「なにぶんにも太平の世を謳歌して、なんの対策もたててこなかった。こうなって大狼狽しているさまは、まことにあわれるべきことだ」と述べ、しかもまた、「これによって、日本の武士が、心機を一転する機会がきたのであるから、黒船も喜ぶべきことだ」とも述べている。

そして翌安政元年(註:これは嘉永7年と記述すべき)には、あえて国禁をおかして海外情勢をじっさいに見聞しようとして、下田で密航を企てたのである。そして捕えられ(註:自首しての文言を挿入すべき)て、藩地に送られ幽囚の身となった。そこで、松下村塾の後進指導が開始されたが、その門下からは幕末維新から明治にかけての人材が多数育成された。高杉晋作・久坂玄瑞・前原一誠・伊藤博文・品川彌二郎らがそれであり、木戸孝允もまた松陰の強い影響を受けた一人である。

わずか三十歳、妻も娶らず、一生を童貞ですごし、理想に燃えて生きた彼の人間教育は、たしかにすぐれていた。だがここでひとつ考えておかなければならないことは、松陰門下からたしかにのちの日本を背負った人材が出たが、そのことをすべて松陰の功績として賞賛してよいかどうかという点である。松陰の功績を無視するわけではないが、その後人材が人材として成長していった過程、その条件のほうをより重視する必要があるのではなかろうか。

松陰がたしかにすぐれた理論家であり、指導者であることを認めるにやぶさかではないが、しかしあまりに超人的讃辞を送ることはまちがいであろう。
松陰の松下村塾における教育の眼目は、君臣の義と、内外華夷の瓣を明らかにすることであったが、合わせてつねに当時の世界の形勢、日本の実状に通じ、塾生らが各自の個性と境遇とをかえりみながら、このような時代にいかに働くべきかの方法を考究した。・・・・・・己の信ずるところを直進する狂熱的な指導は、たしかに若い後進の魂をゆすぶるものであり、その感化力はすばらしいものであったことは疑う余地はない。
(以上164~167頁)
松下村塾24.4.25 

現代の松陰研究の第一人者である「海原徹」先生も、「松下村塾」出身の栄達者が多数輩出したことを過大評価する風潮に疑問符を投げかけている。無条件の「吉田松陰礼賛・崇拝」を戒めている。確かに、吉田松陰の様に己の全人生を賭けるほどの情熱や「狂」と謗られても信念を貫く教師は、歴史上稀有な人物であろう。

人間は「神」ではなく、長短所は一人の人格に併存する。教育は、こうした人間の「あるがまま」を承認してこそ、長所の引き出しを以てその営為の意義があるのだろう。私達は軽軽に吉田松陰を論じてはならないのである。己の信念を信じて、精一杯生きる人間を願った松陰の胸の内を察してこそ、初めて松陰の何たるかを語れるのではないか。家庭不和を抱えながら、反面教師とならないよう心したいものだと思う。


「長州藩の武士階級のこと」
【2014/06/04 20:52】 エッセイ
『もりのしげり』

長州藩のことについてはこの本が必携品である。著者の「時山彌八」という方は「毛利家」に関する文書編纂に携わった方のようである。「毛利家の家臣団」の詳細が整理して記述されており、幕末の長州藩についての研究には欠かせないとても大切な本である。
奥付を見ると「大正五年十一月二十日」の初版となっている。さらに、「昭和七年八月二十日代謄写印刷再版」(非賣品)となっている。
毛利敬親像


「舊長藩士卒階級一覧表」が収載されているので、記して見る。


① 「一門」:創始時代は輝元時代。禄高は自一萬七千石、至六千石。一門とは猶一族と云うが如し。一門は「六家」あり。曰く、三丘宍戸、右田毛利、厚狭毛利、吉敷毛利、阿川毛利、大野毛利、是なり。世々老臣たり。明治元年十二月官制改革の後「大夫」と称す、明治二年九月大夫の名を廃し「上士」と称す。

② 「永代家老」:禄高は自一萬三千石、至一萬石。老臣にして別格のもの二家あり、永代家老とす。曰く須佐益田、宇部福原、是なり。明治元年十二月官制改革後、「大夫」と称す。明治二年大夫の名を廃し「上士」と称す。
筆写註:第一次長州征伐の収拾条件の時に、家老の切腹が幕府側(参謀は西郷隆盛)から提唱された。此の時、「益田親施」、「福原越後」他に家老の「国司信濃」(家老)が切腹し、「首級を差し出す」ことになった。これは、作家の「古川薫」さんが『野山獄相聞抄』のなかで「見事な御最期」として短編小説に書かれている。

③ 「寄組」:創始時代は「秀就時代」。禄高は自六千二百石、至一萬石。往昔は「寄組」の名無し。「秀就時代」高禄の士を録して此一階級を置く。蓋し、「寄組」とは、大組卽ち八組の各組へ一人宛分配して、統轄寄力すると云う義より起れりと総て六十二家あり。組頭なくして「家老」の直属たり。明治元年十二月千石以上の寄組を上士と称し、以下を中士上等とす。筆者註:吉田松陰関連で名の出て来るものに「口羽徳輔」がいる。

④ 「手廻組」:テマワリグミと読む。禄高不詳。手廻組とは、藩主に接近の職務に服する者を以て、其の在職中特に編入組織する所なり。因って八組の如く世襲の一階級にあらずして、或は「八組」あり、或は「遠近附士」、或は儒者醫師、或は膳夫等あり、而してその統轄に手廻頭(寄組士)あり、其の配下に手廻物頭(大組士)あり。(明治元年十二月大組士より手廻士組たりし者は中士上等と改む)。」

⑤ 「物頭組」:禄高不詳。「物頭組」は大組頭より大組物頭に至る者を以て組織す。物頭なる名称は、慶應元年七月廿七日廃止せられ、更に中隊司令士と称えしむ。但し、他藩応接等に必要の際は従前の如く物頭と称えしむ。明治元年十二月中士上等と改む。

⑥ 「大組」:創始時代は「秀就時代」。禄高は自千六百石、至四十石。一つに馬廻りとも云う。総て八組あり、よって「八組」とも称す。寛永二年大組六組江戸組に二組と定め輪次に其の一組宛を江戸邸の警備に充て、一ケ年毎に帰國休養せしむ。他の六組は藩城の守備(此の守備は慶應元年七月十一日廃止)に任ず。各組長を大組頭(寄組頭)と云い、其の配下に大組番頭(六組士)あり。慶應元年七月十一日八組を合して一組とし、組頭番頭をも各三人に減ず。明治元年十二月中士上等と改む。筆者註:高杉晋作、桂小五郎はこの階級に属していた。高級家臣団であった。

⑦ 「船手組」:創始は輝元時代。禄高は自五百石、至四十石。一つに馬廻通りとも云う。往昔は七組ありしか、後五組となり又三組となり終に二組となる。多くは三田尻に往し水軍たり。寄組士村上二家をして其の組頭となす。明治元年十二月中士上等と改む。

⑧ 「遠近附」:エンキンヅキと読む。創始は綱廣時代。禄高は自百五石、至十三石。一つに馬廻通並とも云う。此の階級の濫觴其の他末考又此の階級の下に遠近付觸流と云うあり。又其の義末考。明治元年十二月中士下等と改む。

⑨ 「寺社組」:禄高は自百石、至十四石。儒者醫師書畫家騎馬師能言師等の技藝を以て仕える者、階級にして寺社奉行之を統轄す。明治元年十二月下士上等と改む。筆者註:久坂玄瑞はこの階級に属していた。

⑩ 「無給通」:創始は綱廣時代。扶持方九人、高六十石以下。一つに近習通とも云う。無給通とは、給地にあらざるを意味するなり。嘉永四年頃総人員五百十二人あり。明治元年十二月下士上等と改む。筆者註:吉田松陰はこの階級に生れ、吉田家(大組)に養子となったのである。

⑪ 以上が、藩士の階級上位十傑である。此の下には順に、「鷹匠」、「鵜匠」、「膳夫」、「大船頭」、「中船頭」、「地徒士」、「供徒士」、「陣僧」、「三十人通」、「小船頭」、「士雇」、「御細工人」、「船頭稽古扶持取」、「濱崎船大工」、「大阪船頭」、「検断」、「手大工」、「手廻足軽」、「先手足軽」、「城代足軽」、「濱崎梶取」、「濱崎手舸子」、「濱崎歌舸子」、「山口馬刺」、「梶取」、「手舸子」、「平郡舸子」、「藏元付中間組」、「地方組中間」、「十三組中間」、「百人中間組」、「新百人中間組」、「六尺」、「新六尺」、「船大工」、「木挽」、「杣」、「鍛冶」、「御茶屋組」、「山代地手子」、「大阪淀舸子」、「大阪屋敷蕃」、「京手子六尺」、「四役」、「厩ノ者」、「雜色」、「煮方」、「食焚」、「天下送場中間」、「武具方中間」、「時打」、「水仁」、「野山屋敷中間」、「石切」、「吉田茶屋道具番」、「籠番」、「鷹方下役」、「鳥飼」、「藏元付支配中間」と、これだけの階級があった。江戸時代が、別面、階級社会と言われる所以である。この、固定的な「閉塞感」を打破したことで、列国に擬して独立を全う出来た。




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