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『村田清風』小伝の「序」
【2014/08/20 19:50】 エッセイ
 
『村田清風小傅』のこと

我家に掲題の本がある。萩市の香川政一さんと云う方の著作で、昭和十三年に刊行された古書であるが、一定水準の条件を満たした「村田清風の伝記」が存在しない以上、これは貴重な本である。巻末には「古式豊かな」年譜も記されている。 この本の『序』に村田清風の孫にあたる村田峰次郎さんが、謝意の文を書いている。大変参考になるので、転記してみようと思う。
村田清風


長防二州の夙に勤王の大義を唱え、時難匡済の国策に務めて克く大政維新の鴻業を賛襄せるは、もとより天下周知の偉勲にして、盛名赫々、金石竹帛を仮らずして万世に伝わり、以て日月を光と争う、およそ物の現わるるや必原由あり、事の成るや必ず之を為すの力無かるべからず、仍て維新の史蹟を知らんと欲せば、當初に長防史伝の読習を忘れることなかれ、これ二州人が同心一致、率先して難局に貢献せるもの多ければなり。

幕府の末造に當り、風雨晦明変異多く、山川草木震動の擾乱を演ぜり、二州は幸に藩政の陋弊を掃蕩して好模範を天下に垂れる、いわんや歴世の藩主賢明相継ぐ、就中天保の改革に際して奮って善政興隆の術策を施したり、特に毛利敬親公は不世出の英資を抱きて、専ら藩治の難局を整理し、教育、軍備、理財に新生面を開けるもの少なからず、又さらに新時代の需求に応じて外来の長技を択んで我が短所を補い、往々後人を驚かすべき現象を観しにあらずや、しかのみならず公が列祖の偉蹟を承け絶代の大功を樹てたるに対し、朝廷は特に正一位を陞贈し、別格官幣社を以て永久に追祀し、光栄豊なる褒賞を賜りたり。

この非常時難局に當たり、公の事業を補佐せるもの其人少なからず、吾祖父村田清風も亦公の殊遇を承け、諸君子の翼尾に附して多年藩政に参与したりき、清風渾身の努力、屢々死を賭して斡旋せるも事長く命短し、如何に勤勉するも平生志望の万一に酬ゆる能わず、然れども多年奮勉の効果果して幾分なりとも補益するあらば、清風の幽魂必ず感喜瞑目せるならん。

進藤義輔君は稀に見る豪俊なり、夙に清風を欽慕して已まず、今回独力に頼り銅像建設を計画せり、惜しむらくはその事未だ成らずして卒然長逝す、姻戚陸軍中将藤田鴻輔君、進藤君の遺族と謀り、遺志を継ぎて之を完成し、萩市勤王館庭上に建設したり。
銅像製作は東京美術学校教授、関野聖君担当し、礎石嵌入の絵画は藤井禎三郎君之を考案す、又萩図書館司書香川政一君伝記著作を担当せられ、いずれも十二分の精能を竭くされたり、眞に永遠不滅の記念なり。
いまや進藤君を地下より起し、式場に迎えて共に大杯を傾け、快絶なる壮語を聞く能わざるを以て無窮の恨事となすのみ、ここに伝記稿成り将に印刷に付せられんとす、仍て詹言を識し謹みて謝意を表す。

昭和十三年戊寅四月十日
村田峰次郎拝記


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『吉田松陰の高杉への最期の手紙』
【2014/08/09 11:16】 エッセイ
『高杉晋作』への最後の書簡(安政六年十月六日)

安政六年、江戸にいた高杉晋作は松陰の「伝馬牢」の収監中に、何くれとなく「師」の世話をしてくれた。この安政六年七月から十月中旬までに於ける数度にわたる『師弟接触』の機会を通じて、高杉の松陰の思いに対する思いが深まったことは想像に難くない。お互いの態度がそれを物語っている。

比較的短文なので、松陰からの最後の書簡となった十月七日付のものを転記して見る。
高杉晋作25.12.07


『僕此の度の災苦、老兄在江戸なりしのみにて大いに仕合せ申候。御厚情幾久しく感銘仕り候。 急に御帰国とあれば残念なり。
然れどもこの間の様子、父兄朋友へ御話下され候はば又喜ぶべし。是れ望外の大幸なり。

○爰に一つの御面倒の御願いある。何卒小生心中御体認下され御計ひ下さるべく候。其の事件は別府小林民部の一翰なり。帰途京師へ御立寄り此の符御届け下さるべく候。鈴鹿筑・石両人は小林の知己の人なり。此の事別紙に具す。

○口羽の病死は如何にも痛哭なり。諸友中小田村大いに進歩、且つ深く足下を知る。与に語るべし。杉蔵学問さぞ進なるべし。弟和作敏才、学問も進むべし、傅之助と三人獄に在り、憐むげし小生一件落着まで待ち居れと御傳へ。 實甫必ず進境あらん、但し才勝ちて動き易し、能々御添心下さるべく候。久保は不動心、吏事錬達ならん。徳民平生に負かじ。弥二・作間、後進中属望のものなり、鼓舞し給へ。福原又四郎必ず進境あらん、変事はすまじ。岡部富太亦用ふるに足る、軽佻を以て是れを捨つるは偏なり。栄太と天野は同志中にても別ものなり。老兄深く顧みて呉れ給へ。天野少しく才を負み勉強せず、是れ惜しむべし。栄太の心中誠に憐むべし。彼れ自ら曰く、「復た慈母の涙眼を見るに忍びず」と。其の言甚だ悲しむべきなり、而して亦才智あり』唯小生一面して志を言はざること残念なり。此の間多少血涙の談あり。吾れ栄太を愛すること昔日の如し、栄太吾れの愛する所となるは却って禍根たるを洞視して吾れを疎んぜんと欲す。吾れ深く栄太が心事を知れども栄太遂に棄て難し。旧臘二十四日夜、こうせんを一杯呑んで栄太と別れしは永訣かも知れざるなり。

○同志中の事時々胸中を往来して忘れ難し。然れども僕大いに趣向をかへた。たとへ帰国することありても同志と同志に非ず、唯だ老兄に一言し度きあるのみなり。しかし諸友も一言すると又吾れに動ずるかも知れ申さず候。一笑一笑。

○老兄帰国に付き、別に言うことなし。且つ短景多用、何分行届き申さず。只だ願はくは愚兄へ御面会、小生安全の事御申し伝え偏に願ひ上げ奉り候なり。
十月七日
松陰拝
高杉暢夫兄  足下
御道中寒冷御自重専一に存じ奉り候。
吉田松陰


【この書簡の背景】
松陰は、七月九日に幕府からの第一回の吟味を受けた。この日、松陰は「間部詮勝」要諌プランを誘導尋問のままに、自ら告白してしまう。
松陰は、江戸召喚命令を受けた時から、幕府は当然このことを知っていると思い込んでいた。だから取り調べが「梅田雲濱」との会合で何を相談したかとの訊問、そして御所の「落とし文」の筆跡が松陰の文字に似ているとの訊問だけだったことに気付いて、内心では、こんな程度のことでわざわざ三百程もの遠路から呼び出したのか?と拍子抜けしてしまった。

ところが、訊問中、萩で謹慎中のはずなのに、江戸や京都などの情報に精しすぎることを訝った取調官から、思うところを開陳して見よとの言葉を信用してしまった。結果からすれば、これが命取りになってしまった。間部一件を告白するや、俄然取調官の態度が豹変し「即刻揚り屋入り」を命ぜられてしまう。当時高杉は前年七月に萩を出発して以来、そのまま江戸にいた。そして、松陰の伝馬牢収監でこの事が二人の交わりを深くしたものと思われる。ここで「心の交流」が頻繁に交わされたと想像される。

高杉は、此の時とばかり松陰の世話を尽くすことから、松下村塾では打ち明け得ない話を交わしたことであろう。有名な「丈夫死すべき所如何」という高杉の問いに松陰が『生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし、死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし』答えたのも、この頃の話で、これは七月中旬の書簡に出てくる。


実は、この晋作が松陰に近づくことを、高杉の父は苦々しく思っていた。前年七月に江戸に修業させたのも父親(高杉小忠太)の藩政府への依頼(根回し)によるもので、こうすると晋作の松下村塾通いが出来なくなり、松陰との接触機会がなくなるとの思惑からであった。だが、運命の歯車は見通し通りにはいかない。十一か月後には今度は「師」の松陰が江戸に呼び出され、子弟間の交流は益々濃密になる。当然萩藩の江戸藩邸詰めの者は此れを知って居り、これを好ましくないことと思う人達もいた。そうして、再び松陰と高杉を引き離しにかかる。それが高杉への「帰国命令」となる。果して、松陰も、高杉も此のことを承知していたかどうか。江戸期における藩政府の命令は絶対である。素直に従わなければならない。そこで、急遽高杉は「萩」に戻されることになる。くどいようだが、高杉と松陰の接触を避けさせるための「謀略」なのである。

そうして、高杉の生涯における最後の「師」からの書簡と成るのであった。ついでに記しておくと、高杉は萩への帰国途中に松陰の処刑が行われたのである。萩に着いてこのことを知った高杉の「周布政之助」宛ての憤怒の書簡がその辺の事情をものがたっている。「吾が師の首を遂に幕吏の手にかけ候事、この仇を撃たなくては」との怒りである。高杉が、乾坤一擲の大勝負(元治元年の功山寺挙兵)は、この松陰の教えが生きて居る事、そして「師」の思いを継承する為に決起した高杉の命を度外視した行動へと繋がっていくのである。

従って「松陰なくして、高杉はなく、松陰ありて高杉あり」となるのである。安政六年正月、桂小五郎との高杉育成策の話し合いで、「高杉の欠点の矯正よりも長所を伸ばすべし」との松陰の教育観は間違っていなかったのである。此の時、十年後に國家の大事を謀る時は、高杉晋作に相談すると言い切った吉田松陰。ここにも、個性を見抜き、高杉の才能を洞察した「教育者吉田松陰」の非凡さの一端がうかがい知れる。





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