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「いきいき埼玉」講座
【2016/05/25 19:08】 エッセイ
『坂本龍馬と幕末維新のヒーローたち』

明治維新は、日本の歴史上最大の『国家レベルの存亡を賭けた一大変革』であった。
「元和偃武」といわれる徳川政権の開府以来、およそ2世紀半もの平和の時代を日本人は享受した。一方、西欧文明は着々と近代国家形成への努力と相俟って、第一次産業革命を現出させ、基本的人権の獲得や資本主義の生成発展と共に「近代国民国家」へと大きな変貌を成し遂げていた。資本主義は必然的に地球規模の地域対象への広がりを内包しており、資材の獲得と生産物の販路拡大を宿命的に伴う。

160516坂本龍馬全集写真160515薩長同盟4 いきいき埼玉2016



19世紀はこの地球規模の市場開拓という「うねり」が、当時の後進国家群としての南アジアから東アジアへの東漸となった。
徳川政権下の中期より、日本に西欧先進国の「交易・開国要求」の使命を持った船舶が出没するようになる。これに対し徳川幕閣は「祖法遵守」として「鎖国」政策継続の姿勢で対応をしたが、国内的には貨幣経済の発展と共に幕府・藩ともに財政は慢性的に窮乏を来し、年々その実態は深刻化して、数度の改革実施も再建策は破綻を来していた。

米墨戦争に勝利したアメリカは太平洋への航路が開けたため、ペリー提督を特派し軍艦四隻を率いて嘉永四年浦賀に来航する。強大な軍事力を背景に「砲艦外交」で日本に開国を迫り、それに屈した徳川政権は開国を余儀なくされた。
その対応策は結果として徳川政権の基本政策を根幹から崩壊させることになる。国政レベルの「海外対策」は幕府の専権事項であったが、海防問題(国防)が日本の存亡をかける重要課題となった。徳川幕藩体制下でのこうした国防への国家的対応は構造的に困難であった。

日本は、こうして世界史の舞台に引き出されることになるが、その方法、対策等をめぐる思潮は「尊王論」や「攘夷論」の主張、「天皇を中心とした朝廷」が様々な主張が絡んで桎梏を重ねた。それとともに、幕府は政権の弱体化を招き、再建を果たそうとして「朝廷」と「幕府」の協力体制による「公武合体政策」でこれを克服しようとするが、最終的に「国家の改造」により近代国家への変貌をもって国際社会に生き残れる国家形成が実現する。
この一連の変革課程が「明治維新」であり、徳川政権末期を「幕末」、明治新政府後を「維新期」と言う。また、両者を包含したものを「幕末維新」とひとくくりで捉える事も可能である。明治維新とは、日本国が存亡をかけて国際社会に対応する懸命の努力でもあった。

161004坂本龍馬 いきいき埼玉161004大政奉還 いきいき埼玉



「歴史は人が動かすものであり、時代への対応努力は幾多の志ある人達によって進展が図られ、そこに介在する個人の活動は必然的に個人的な伝記物を必要とする」。
こうした観点から、幕末維新期に活躍した人物像を学ぶことは、そのまま荻生徂徠のいう『学問は歴史に極まり候ことに候』の言葉に繋がる。
今回は、こうした考えのもとで「歴史を学んで、歴史に学ぶ」を楽しみながら学ぶこととしたい。今回は「坂本龍馬」を中心に、幕末維新期を彩った人達を取上げ「明治維新への道」を勉強したい。

以下、開講日と講座演題・内容を概略列記。

第1回   2016.10.04:坂本龍馬と幕末維新(開講と概略説明)
第2回   2016.10.11:坂本龍馬と長州藩の志士たち
第3回   2016.10.18:坂本龍馬と薩摩藩の志士たち
第4回   2016.10.25:坂本龍馬と幕府要人たち
第5回   2016.11.01:坂本龍馬と土佐藩の要人たち


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