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『高杉晋作への信頼』の書簡
【2016/10/10 21:54】 エッセイ
『高杉晋作宛て松陰書簡』

吉田松陰は、その短い生涯で大変な数量の書簡を遺して(書いて)いる、その中で、幾つか松陰の松下村塾における有名な書簡の一つに、高杉晋作宛の「安政六年二月一五以前」がある。吉田松陰の人物眼の一端を知る上で貴重なものであるので、全集から転記して見る。愛弟子の高杉宛に書かれた、貴重な書簡である。松陰の人となりを理解に大変に有用です。

150101高杉晋作150420正装の吉田松陰



高杉晋作宛 安政六年二月一五以前 松陰在野山獄 高杉在江戸
此の書には御答は御無用。只だ屈平の詩一見したとのみ小田村か愚兄か其の外久坂なりかに御申し贈り下され度く候。
先日は御書成し下され候虚言々服鬱問休まず候處、今日また家兄より承り候へば口羽にも御申越され候由、覚えず感泣。さりながら、天子は不世出の聖王、君公の賢明は申すに及ばず、御當年の御勧政は恐れながら御世始め已來稀有の御事なるに、有司德意を奉ずること能はず今日の次第に成り降り、此の時を失しては三四十年も只々此くの如きのみ。誠に恐れ多き事に候へども萬々一も近年の内公御遁世遊ばされ候はば、吾が輩の忠竭すべき所なし。小子今公樣への忠心止む能はざるは抑々故あり。小子幼年より深く御知遇を蒙り、往年は御前會にも屢々召出され親しく德音を伏聽仕り、一々肺肝に徹し候。其の後感慨已む能はざる事之れあり亡命仕り候處、後にさる人より承り候處、其の節斯様の事他言必ず無用君公國の寶を失うたとの御意あり由。
一乳臭國に何の損益ありてかく難有く仰せられ候事か、何とも誠に忝く候へども、小生に於ては感激身に餘り此の世に生きては居られ申さず候。墨夷行思ひ立ち候處、夫れも遂げず死にもせず、剰へ昨年已來又々恩旨を蒙り候事ぞもあり、昨年より屹度志を立て當御在國中には是非一死を遂げ、積る重罪の申譯仕るべくと存じ候處、又死にそこなひ野山屋敷にて三度の食事衣服襟枕等事を缺き申さず、最早御発駕も近く候へども死すべき折も之れなし。加之、世間は俗論の眞晝にて一事の快と称すべきものなし。風聞には至尊も御禅位の叡慮など、誠に鳴く鳥もさく花も涙の種ならざるはなし。端なく屈平の往時思ひ起し頻りに死に度く相成り食を絶ち死を待ち候積りの處、二日にも滿たざるに又由ありて食に復し、靈均の九原に笑ひて死を顧みざる事止みに致し候。さりながら君公は遠からず御發駕あるべし。國是は立たず、御發駕相済み候へば國相府の手合いは肩の任を卸したる心地にてぐっすり寐込むなり。大臣の般楽台敖いかんいかん。御着府の上は長井・井上・周布などの俊才相連結してさぞ巧みなる處置あるべし。來る御歸城の上は地・江戸合體、國事一定すべし。其の後の御参府は恐れながら期し難きなり。天朝の論は別にして吾が藩の事を案ずるに、今公の為めに死なんとすれば當御在國中より他なし。墨今公の恩遇を蒙り當御在國中に得死に申さず、天地に辜負し、父母に辜負す。かく申す事老兄には嘸々不満なるべし。然れども此の心事語るべき人なし。岸獄獨座、諸友を回顧するに、老兄ならでは聞いて呉れる人なし。故に一言を此の世に留むるなり。哀し哀し。平生無二の知己なる來原・桂さへ僕が心事を知る能はず、何ぞその他を望まんや。哀し哀し。今後才略功業の人は出來もしよう、忠義の種は最早絶滅と思召さるべく候。
晁錯・朱雲・屈原・楊繼盛・翟儀・徐敬業・燕太子丹・田光・侯嬴、此の人々は勿體なき人樣なり。
子遠が心事は僕と一般かと察し候。其の他は青年の人なれば留めて足下輩の用に供すべし。僕は君に負き父に負くの人、死を求むべきの人、萬事念なし。但だ朋友の情甚だ深し、良朋親友寝寐も忘るべからず。此の念頭だに絶ち候へば眞の槁灰死木となることを得らるるなり。天野清三郎、此の生昨年以來一事も吾が説に同意せず。奇見異識他日必ず異人たあん。此の人深く老兄に服す、其の他一人も服する人なし。僕遂に其の才を竭す能はず。足下幸に之れを心に記せよ。

161010毛利敬親161010屈原


屈原
楚國無謀却秦。宗臣未死生憂辰。漁父何知行唫意。枯形顦色屈靈均。
すなどりのささやくきけば思ふなり澤邊に迷ふ人の心を。
古人云はく、「泣かんと欲すれば婦人に近し」と。信なるかな。今七ツ時、足下書を口羽に寄せられ候事を承り感泣休まず。然れども泣けば他囚の笑はんことを恥ぢ、病と称し被を擁し打伏し、夜食後又此の書を作る。
中谷・久坂も山口まで歸り候由なれど未だ歸萩せず、仮令歸萩したりとて喜ぶべき事もなし。人間の楽しみ盡きたり。死生の年忘れたり。

野山獄小木戸孝允26.02.01


余獄に赴くの前二夕、桂小五郎至る。小五郎は僕無二の知己なり。話中左の問答あり。僕今叙して以て足下に遺る。
寅云ふ、「暢夫如何」。桂云はく、「俊邁の少年なり、惜しむらくは少しく頑質あり、後来來の人言を容れざらんことを恐る。老兄何ぞ今に及んで一言せざる、必ず益あるなり」と。寅云ふ、「然り、僕も亦之れを思ふ。但だ暢夫は十年遊方を期す。僕心に書信を絶ち其の為す所に任せんと期す。暢夫後必ず成るあるなり。今妄りに其の頑質を矯めば、人と成らざらん。暢夫他年成るあらば、假令人言を容れずとも必ず其の言を棄てざらん。十年の後、僕或は為すあらば、必ず之れを暢夫に謀らん、必ず吾れに負かじ。二人相濟へば、以て大過なかるべきなり」と。
桂之れを肯んず。
此の談今僕既に自ら負く。桂の苦心故老兄に通ずるなり。その當否は僕知らず。然れども桂は厚情の人物なり。此の節諸同志と絶交せよと、桂の言なるを以て勉強して之れを守るなり。深愛の無逸にすら一書を通ぜず。小田村と子遠とは由ありて書を通ず。

※ 松陰の高杉への愛情と(師として)、甘え(信頼する弟子へ)とが一緒に伝わってくる書簡である。高杉が涙を溜めながら読んだであろうことは、容易に想像がつく。尊敬する恩師への「思い」を強くしたに違いない、心の籠った書簡だと思う。


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