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エッセイ (370)
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『子遠に語ぐ』
【2016/12/13 18:29】
エッセイ
子遠に語ぐ
(己未文稿野山日記) 安政六年正月二十七日(一八五九)三十歳
安政六年正月、吉田松陰は二度目の野山獄に在った。前年の暮れ、潘府の『周布政之助』は、松陰の間部襲撃策に驚き、毛利藩を潰しかねないと判断して、厳囚させ、さらに野山獄に再度収監した。さらに、江戸にいる久坂玄瑞や高杉晋作は『安政の大獄』の指揮権発動を現実に見て、崛起を思い留めて時期尚早の手紙を出す。これを受け取った松陰は、『僕は忠義を為す積り、諸友は功業をなす積り』と憤った。そして、絶食に入るが、母や、叔父の玉木文之進の諫めで中止した。そして、やや気持ちが落ち着いて、信頼する入江杉蔵に村塾生の松陰評を書き綴っている。今日、松下村塾の主立った塾生の人となりを知る手掛かりとなる資料で貴重な文献である
。
念七日
家兄臨まる。星巌の往復、幕府弁解等数密議あり。又前田の説あり、諸友の絶交の事に係る。
夜、子遠獄に来り、船越清蔵.村田蔵六、萩に来るの事を談ず。
○
子遠に語ぐ 正月念七夜
桂生吾れをして諸友と絶たしむ、今謹んで其の言を奉ぜり。独り汝は絶つべからざるものの存するあり、故に絶たず。汝其れ之れを察せよ。防長絶えて真の尊攘の人なし、吾れと雖も復た尊攘を言ふを得ざるなり。然らば則ち防長唯だ汝一人のみ。切に自ら軽んずるなかれ。
汝、国を去りて後は僧となるを妙と為す。一には決志の機あり、二には身を隠すの便あり、三には生活の計あり。且つ僧侶にして反って天朝を尊ぶことを知る者あり。禅学も亦心志を定むるに足るものあり、是れ亦一益なり。
兵は精なるを貴び、衆きを貴ばず、況んや有志の士は募りて求むべきものに非ざるなり。切に記せよ、伏見の事、万々敗蹶背ば即ち嘯集して賊となれ。頼政の事は汝固より自ら任ずる所なり。但し今日の時勢、宜しく佳賊となるべし、切に無頼の賊となるべからず。
徳川は万々扶持すべからず。徳川を扶持するは、聖上の大仁なり。然れども仁既に至らば則ち之れに継ぐに義を以てせざるを得ず、義尽くれば則ち仁其の中に在り。天祖の訓へに曰く、「宝祚の隆えまさんこと、天壌とともに窮りなし」と。此の言、天胤世々信奉すれば則ち天下太平なり。草莽の臣切に謂へらく、聖上社稷に殉じたまひ、天下の忠臣義士一同奉殉せば、則ち天朝寧んぞ再興せざるの理あらんやと。
天朝の論、万一姑息に出でば、神州中興の理なし。吾れ将に中興の論を上らんとするも、思慮未だ足らず、且く後日を待つ。
墨夷を屈せしむるの辞、吾が説を首と為す、聴かずんば則ち平象山の説之れを佐けん、猶ほ聴かずんば則ち干戈を用いて可なり。是れ亦仁至り義尽くるの論なり。汝識高く胆大、吾れの愛敬する所なり。恨むらくは才足らず、学尤も足らず、怨讎の気過当なり。是れ汝の病なり。必ず荘四を罪せんと欲するが如き、是れ過当の怨讎なり。然れども吾れの有隣を怒るも、亦此れに類す、並に宜しく改むべし。才は言ふに足らず、学に数種あり、礼楽制度は興王の規模にして、自ら其の人あり。戎馬甲兵は攘夷の籌略にして、自ら其の人あり。但だ、真心実意、自ら信じ自ら靖んず、道学の心法、真箇に味あり。
吾れ曾て王陽明の伝習録を読み、頗る味あるを覚ゆ。頃ろ李氏焚書を得たるに、亦陽明派にして、言々心に当る。向に日孜に借るに洗心洞箚記を以てす。大塩も亦陽明派なり、取りて観るを可と為す。然れども吾れ専ら陽明学のみを修むるに非ず、但だ其の学の真、往々吾が真と会ふのみ。
今のせかい、老屋頽廈の如し。是れ人々の見る所なり。吾れは謂へらく、大風一たび興って其れをして転覆せしめ、然る後朽楹を代へ、敗椽を棄て、新材を雑へて再び之れを造らば、乃ち美観とならんと。諸友は其の老且つ頽なるものに就き、一楹一椽を抜きて之れを代へ、以て数月の風雨を支へんと欲す。是れ吾れを視て異端怪物と為して之れを疎外する所以なり。汝に非ずんば安んぞ吾が心を知らん。
是れに由りて之れを観るに、尊王攘夷豈に其れ容易ならんや。須らく中大兄と鎌足と南淵(みなみふち)先生に往来し、路上に如何の話を為せしかを思量すべし。(余書してここに至り覚えず泣(なみだ)下る。自ら其の由る所を知らざるなり)吾れ本と愚物なり、然れども吾が家の家風学術、篤厚真実を以て世々相伝ふ。ここを以て吾れの敬愛する所と、其の吾れを敬愛する者と、皆忠厚の君子なり。之れを軒輊すること実に難し、然れども一、二之れを言はん。
旧友は前書に略ぼ之れを言へり。新知の暢夫、識見気魄、他人及ぶなし。但だ一暢夫を得て之れに抗せしむるに非ずんば必ず害を生ぜん。然れども両暢夫相抗すれば必ず一暢夫の斃るる者あらん。是れ亦憂ふべきなり。此の間の苦心、吾れ桂と一言せしに、桂も之れを首肯せり。
無逸の識見は暢夫に彷彿す。但だ些の才あり。是れ大いにその気魄を害す。気魄一たび衰へば識見亦昏む、歎ずべし歎ずべし。諷するに老屋の説を以てせば、或いは一開発あらんか。抑々面従腹誹せんか、亦未だ知るべからず。但し前日絶粒の事の如き、八十.子楫.無咎、各々諌書あり。その懇惻は則ち感ずべし、然れども吾れを罵りて短慮と為し無益と為し、人の笑ひを胎すと為すこと、乃ち士毅と雖も論じ得て透らず。試みに之れをして無逸に語らしめば、無逸は則ち微笑せんのみ。固より吾れの慮短きに非ざるも、才の長ぜざるを知ればなり。嗚呼、鐘子期に遇ひ難しとは其れ唯だ無逸か。実甫の才は縦横無碍なり。
暢夫は陽頑、無逸は陰頑、皆人の駕御を受けず、高等の人物なり。実甫は高からざるに非ず、且つ切直人に逼り、度量亦窄し。然れども自ら人に愛せらるるは潔烈の操、之れを行るに美才を以てし、且つ頑質なきが故なり。之れを要するに、吾れに於いて良薬の利ある、当に此の三人を推すべし。
八十は勇あり智あり、誠実人に過ぐ。所謂、布帛栗米なり、適くとして用ひられざるはなし。其の才は実甫に及ばず、其の識は暢夫に及ばず、而れども其の人物の完全なる、二子も亦八十に及ばざること遠し。吾が友肥後の宮部鼎蔵は資性八十と相近し。八十父母に事へて極めて孝、余未だ責むるに国事を持ってすべからざるなり。子楫は鋭邁俊爽なり。然れども吾れ常に其の退転せんことを惧る。退転の勢一旦萌すことあらば、駟馬もこれに及ばず。吾れ平生最も愛する所は子楫.無逸なり。無逸は吾れ其の才敏なるを愛し、子楫は吾れ其の気鋭なるを愛す。皆その己れに似たるを愛す、皆吾が過ちなり。無逸の頑は吾れ或いは平にすること能はざらん。是れ其の敬すべき処なり。子楫は其の頑なし。然れども気自ら恃むべし。且つ子楫は母賢に弟友なり、以て家を託するに足る。是れ宜しく責むるに国事を以てすべきなり。是れ吾が心赤の語なり、汝切に記せよ。福原は外優柔に似て而も智を以て之れを足す。子楫の鋭気愛すべきに如かず。然れども其の頑固自ら是とする処は子楫及ばざるなり。
無窮は才あり気あり。一奇男子なり。無逸の識見に及ばざれども、而も之れに勝るに似たり。無咎は更に二無に及ばず、而れども一味の着実あり、又気魄あり、大節に臨みて、亦苟も生きざるなり。
子徳は満家俗論にして、恐らくは自ら持すること能はざらん。然れどもその正直)慷慨未だ必ずしも摩滅せず、則ち亦時ありて発せんのみ。子大は俗論中に在りて、顧って能く自ら抜く、篤く信ずと謂ふべし。亦些の頑骨あり、愛すべし。日孜は事に臨みて驚かず、少年中稀覯の男子なり。吾れ屢々之れを試む。天野は鑒識あり、其の日孜を取ること頗る吾が見に似たるも、子大を取らざるは、則ちこれを信ぜず。
天野は奇識あり、人を視ること虫の如く、其の言語往々吾れをして驚服せしむ。誠に李卓吾の如きを得て之れを師とせしめば、一世の高人物たらんも、恐らくは遂に自ら是とし、其の非を知らずして死せん。吾が交友中に於いて暢夫.日孜を除くの外は其の意に当る者なし。噫、奇識なるかな。
嗚呼、世、材なきを憂へず、其の材を用ひざるを患ふ。大識見大才気き)の人を待ちて、群材始めて之れが用を為す。吾が交友中、言ふに足る者なし。汝の知る所は仙吉.直八.松介.伝之輔.小助.太郎。太郎.松介の才、直八.小助の気、伝之輔の勇敢にして事に当る、仙吉の沈静にして志ある、亦皆才と謂ふべし。然れども大識見大才の如き、恐らくは亦ここに在らず。天下は大なり、其れ往いて遍く之れを求めよ。
解 説
この書簡については、まず二のことを指摘しておきたい。その一は、書き出しの言葉についてである。それをみるといかにも桂小五郎の言をもっともなこととしているかのようでありながら、必ずしもそうでなく桂が叔父玉木文之進を使って松陰と諸友との交信を止めさせようとしたやり方に憤慨している。その二は「吾れと雖も復た尊攘を言ふを得ざるなり」とあって、松陰自身も尊攘を口にする資格がないと言っているが、この頃尊攘についての自分の考え方なり手段なりに何か誤りがあるのではないかと反省させられるところがあったためであろうか。実際にはいよいよ尊攘の念をかき立てて、その実現をその杉蔵に期待しているのがこの書簡である。
尊攘実現のためには、今は僧侶になって機会を待つべきだと示唆するとともに、共に決起して欲しい村塾出身者について、その人物特性を杉蔵に知らせ、立ち上がる時の用に供している。
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