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吉田松陰『七生説』
【2017/05/21 22:36】 エッセイ
七 生 説   
(丙辰幽室文稿)安政三年四月十五日(一八五六)

天の茫々たる、一理(いちり)ありて存し、父子祖孫の綿々たる、一気ありて属(つづ)く。人の生まるるや、斯の理を資(と)りて以て心と為し、斯の気を稟(う)けて以て体)と為す。体は私なり、心は公)なり。私を役して公に殉(したが)ふ者を大人と為し、公を役して私)に殉(したが)ふ者を小人と為す。故に小人は体滅し気竭(きつ)くるときは、則ち腐爛(ふらん)潰敗(かいはい)して復た収(おさ)むべからず。
君子は心、理と通ず、体(たい)滅し(めっ)気竭(きつ)くるとも、而(しか)も理は独り古今に亙り天穣を窮)め、未だ嘗て暫くも歇(や)まざるなり。
余聞く、「贈正三位(さんみ)楠公の死するや、其の弟正季を顧(かえり)みて曰く、『死して何をか為す』と。曰く、『願はくは七たび人間に生れて、以て国賊(こくぞく)を滅(ほろぼ)さん』と。公(こう)欣然(きんぜん)として曰く、『先(ま)づ吾が心を獲(え)たり』とて耦(ぐう)刺(し)して死せり」と。噫、是れ深く理気(りき)の際に見ることあるか。是の時に当り、正行.正朝の諸子は則ち理気並び属(つづ)く者なり。新田.菊池の諸族は気離(きはな)れて理通ずる者なり。是れに由りて之れを言はば、楠公兄弟は徒(ただ)に七生のみならず、初めより未(いま)だ嘗(かつ)て死せざるなり。是れより其の後、忠孝節義の人、楠公を観て興起(こうき)せざる者なければ、則ち楠公の後、復た楠公を生ずるもの、固)より計り数ふべからざるなり。何ぞ独り七たびのみならんや。
余嘗て東に遊び三たび湊川を経、楠公の墓を拝し、涕涙禁ぜず。其の碑陰(ひいん)に、明の徴士(ちょうし)朱生の文を勒(ろく)するを観るに及んで、則ち亦涙を下す。噫、余の楠公に於ける、骨肉父子の恩あるに非ず、師友(しゆう)交遊(こうゆう)の親(しん)あるに非(あら)ず。自ら其の涙の由る所を知らざるなり。朱生に至りては則ち海外の人、反って楠公を悲しむ。而して吾れ亦生を悲しむ、最も謂(いわ)れなし。退(しりぞ)いて理気の説を得たり。乃(すなわ)ち知る、楠(なん)公(こう).朱生(しゅせい)及び余不肖(ふしょう)、余不肖を資(と)りて以て心と為す。則ち気属(つづ)かずと雖(いえど)も、而(しか)も心は則ち通ず。是れ涙の禁ぜざる所以なりと。余不肖、聖賢の心を存し忠孝の志を立て、国威を張り海賊を滅ぼすを以て、妄りに己(おの)が任と為し、一跌(いってつ)再跌(さいてつ)、不忠不孝の人となる、復(ま)た面目(めんぼく)の世人(せじん)に見(まみ)ゆるなし。然れども斯(こ)の心巳(すで)に楠公諸人と、斯の理を同じうす。安ぞ気、体に随って腐爛(ふらん)潰敗(かいはい)するを得んや。必ずや後の人をして亦余を観て興起せしめ、七生に至りて、而(る後可と為さんのみ。噫、是れ我れに在り。七生説を作る。

解 説
楠木正成の精神が、朱舜水に、また自らの内にも伝わり生きていることを実感した松陰は、そこから精神の不滅を確信し、これを理気の説でもって説明する。そして楠公その他の優れた人々と理を一にしている自分の精神を、七生の後の人々までもこれを受け継ぎ奮い立って欲しいものだと願う。彼は幽室に「三余読書」と「七生滅賊」を座右の銘として掲げて自らを励ましていたが、「七生説」はその頃の松陰の人生観を示すものとして重要である。


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