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エッセイ (407)
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「秋月種茂」と「上杉鷹山」兄弟のこと
【2017/07/19 17:06】
エッセイ
「秋月種茂」と「上杉鷹山」兄弟
本年四月、高鍋出身の先輩から「秋月家」や「高鍋藩」の話をいろいろと聞かせて頂いた。上杉鷹山は「江戸期の代表的名君」として危機に瀕していた出羽の国「米沢」の藩主・上杉家を継いで、藩主や藩主の後見役に在る事およそ半世紀を掛けて負債を消滅させた。これは誰でも知っている鷹山の伝記で、三十五歳で家督を譲る時に書き遺した「伝国の辞」は夙に有名で、米国のケネディ元大統領をして「尊敬する日本人」として称賛された。
ところが、実兄の「秋月種茂」も負けず劣らずの名君で、高鍋藩の二百五十年で全盛期を現出した。弟の鷹山も兄を尊敬すること一方ならぬことがあったという。
以下、『高鍋藩史話』(安田尚義著・鉱脈社)の解説(石川正雄)から引用して記す。
高鍋藩で種茂公のことを清観公と尊称するのは、その法名が「清観院殿」であるからで、敬愛をこめている呼び方である。治憲公を鷹山公というのはその雅号を称しているのである。清観公の雅号は鶴山という。だから「鶴山公と鷹山公」と云うのが良いかも知れない。鷹山公の幼名は松三郎と云い、種茂公八歳年長の実兄である。松三郎が九歳の時、遠い米沢の上杉家に養子に迎えられたのは次のような事情であった。
高鍋藩第六代藩主秋月種美の夫人は、筑前黒田家の分家秋月城主黒田長貞(三代目)の二女ハル子で、その母瑞耀院は第五代米沢藩主・上杉綱紀の娘であった。瑞耀院は米沢藩の当主上杉重定に向かい「御身男児おわさず、養子の御意ありと聞き侍る。余が外孫秋月佐渡守の二男松三郎は今年九歳なれど発明にして、且つ孝心殊勝なり。且つその遊戯する所尋常の小児に似ず、人皆奇異の生まれと誉めぬはなし。御身の娘幸姫に取り合わせ世嗣となし給わらば如何ばかりうれしからん」と言ったという。「重定公は大いに悦び給い、御養子に定められしとぞ」(『鷹山公偉蹟録』)松三郎は重定にとって従兄弟の子、上杉家から言えば曾孫に当る。忽ち内約が成立した。宝暦九年(一七五九)三月、重定四十一歳、幸姫七歳であった。
高鍋藩家老三好善太夫重道は若君の上杉家入りを心から悦び、お祝いと訓言を差し上げた。三好善太夫が訓言を差し上げたのは二度である。最初はこの時で「わが家より養家を大切にすべき」心得を述べ、二度目は松三郎が上杉家入りの時、「奉贐書」を差し上げた。この二つの訓言には善太夫の教養と人間性がにじみ出ている。治憲はこれを座右に置いてみずからの戒めとしていたという。
当時の米沢藩は経済的に窮乏し、五両の金さえ思うようにならず、参勤交代に供する諸士達はその費用の自弁を余儀なくされていた。治憲は米沢藩復興のため艱難に耐えて行くのである。治憲は実兄清観公を尊敬し、「兄の才識は余の到底及ぶところではない。幸いに世に知られるに至ったのは、上杉の家名と大藩であった故とによるもので、恥ずかしい」と言っていたと伝えられている。
清観公種茂は、種信が藩政の正常化に成功し、種政が産業を復興させ、祖父種弘と父種美が文化の基礎を固め、英才を他国に留学させる等、幾多の蓄積の後を受け、存分に経綸を行うことが出来、高鍋藩の黄金時代を現出し、スケールの大きい、余裕のある魅力に満ちた人物になっている。
なお、この兄弟は学問の興隆にも意を用い米沢に在っては「興譲館」高鍋に於ては「明倫堂」の伝統を受け継ぎ、二百年余りを経た今日も「山形県立米沢興譲館高校」と「宮崎県立高鍋高校」として両校の交流が続き、ともに伝統校の名に相応しい進学実績を挙げている。素晴らしいことと讃辞を送りたくなる。
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