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『緒方洪庵の家系』
【2018/08/25 22:38】 エッセイ
『緒方洪庵とその家系』

江戸時代後期は、蘭学の揺籃期でもある。
オランダは、江戸期を通じて唯一「長崎港」に入港出来る西洋の国家であった。
この体制が完成したのが1639年であるから、およそ200年間にわたって、この国家政策は維持された。この体制を【鎖国体制】と呼称する。
しかし、この用語は実態と異なるとの見解で【管理貿易体制】という表現に変わるようである。

江戸期は、長崎を通じた貿易と云っても、実際に利益は幕府の独占であったから、幕府という『私』の貿易システムであって、全国の諸大名はこうした利益に与れない。
つまり、私政治であった。徳川はこうした特殊なシステムを構築して、海外取引(オランダ東インド会社・ジャカルタ)を行っていた。
しかし、オランダの西欧における地位の低下と、イギリス・フランスの台頭によって西欧社会における勢力図は18世紀末には大きく変化していた。オランダの没落はフランス革命の進行と軌を一にしている。
しかし、オランダの西欧における地位の低下は、徳川政権の長崎港管理体制においては依然として継続された。
こうした事情はありながらも、西欧文明やそれに伴う世界情勢とその情報は、オランダ以外からは正式な情報として日本には入ってこなかった。
徳川政権は、『オランダ風説書』という、ささやかな情報以外のものを政策的には享受できなかった。
それゆえ、18世紀中葉から日本に対する通商要求が始まっていながら、その背後にある西欧事情が把握出来ていなかった。
したがって、オランダを通じた情報から政策判断するしかなかった。
そうして、『洋学』といわれる西欧文化の一部分を吸収するには『蘭学』と言われる学問を通じて、イギリス、ドイツの医学をオランダ語に翻訳して吸収したのであった。
緒方洪庵が、備前国の出身ながら蘭学を学ぶには江戸や大坂、長崎で修業しなければならなかった。
洪庵は、最初に大坂の蘭学者の門をたたき、ついで江戸に学び、さらに長崎に学んだ。
その修業の成果として大坂に『適塾』を開業して、蘭学者、医学者(漢方医学でなく)、そして教育者として日本の近代化に貢献した。
とりわけ、医学の分野においてその成果は著しく、緒方の適塾で学んだ多くの優秀な門下生を通して日本に根付いたのである。
今日、東京大学医学部は日本人の最も憧れる学びの場となっているが、こうした背景の土壌には緒方洪庵とその子孫も、大きく貢献しているのである。


【緒方洪庵】おがたこうあん 一八一○~一八六三

180822緒方洪庵夫妻180730緒方富雄180709適塾塾舎180822緒方八重

江戸時代後期の蘭学者、医学者、教育者。諱は章、字は公裁、洪庵・適々斎君・華陰などと号した。はじめ三平と称したが、のち洪庵と改めた。文化八年(一八一〇)七月十四日、備中国賀陽郡足守(岡山市足守)で父佐伯惟因、母キャウの三男として生まれた。
はじめ田上騂(せい)之助といい、文政八年(一八二五)二月十六才で元服したとき惟彰と名乗った、この年大坂に足守藩の蔵屋敷が出来、留守居役になった父と大坂に修行に出た。あくる九年七月、蘭学医中環天游の門に入り、この時緒方三平とあらためた。天保元年(一八三○)四月二十一歳の時、師のすすめで、江戸で修行するため大坂を離れた。しばらく木更津にいて、あくる二年二月、二十二歳で江戸の蘭学医坪井信道の塾に入った。それから四年間に多くの翻訳を完成した。ことに『人身窮理学小解』(写本)は有名である。かたわら、師のすすめにより、宇田川玄真の門に出入りし、深くその学才を認められた。同六年二月信道塾を去り、あくる年二月大坂をたって長崎へ修行に行った。この時から緒方洪庵と改めた。二十七歳。長崎で青木周弼・伊東南洋(岡海蔵)の三人で、『袖珍内外方叢』を訳して、たいそう歓迎された。九年正月長崎を発ち、三月足守から大坂に出て、瓦町に蘭学塾「適々斎身塾(略して適塾)を開き、偉業のかたわら蘭学を教えた。七月億川百記の女八重と結婚した。塾はたいそう盛んになり、同十四年十二月に船場過書(かいしょ)町に移ってからは大いに発展し、全国から青年があつまり、その数は三千を超えたといわれる。なかに、明治二なってから重要な役割を果たした人が沢山いる。入門順に挙げると、大戸郁蔵(緒方郁蔵)・村上代三郎・村田蔵六(大村益次郎)・武田斐三郎・佐野栄寿(常民)・菊地秋坪(箕作秋坪)・橋本左内・大鳥圭介・長与専斎・福澤諭吉・花房義質・高松凌雲・安立寛・池田謙斎などである。洪庵は塾の経営のかたわら、嘉永二年(一八四九)からは牛天然痘の普及に尽くし、安政五年(一八五八)のコレラ大流行には『虎狼痢治凖』を刊行して治療に精魂をつくした。またこの頃『扶氏経験遺訓』(全三十巻、ドイツの学位フーフェランドの内科書の翻訳)の刊行を完成し、日本の内科医に大いに益した。また『病学通論』(三巻、嘉永二年)の刊行は、病気の考え方に役立った。文久二年(1862)八月江戸に召されて、奥医師と西洋医学所頭取を兼ね、同十二月法眼に叙せられたが、あくる年六月十日突然の大喀血で急死した。五十四歳。駒込高林寺に葬る。遺髪は大坂天満竜海寺。家業は子平三(のち惟凖)が継いだ。明治四十二年(一九○九)従四位贈位。適々齋塾の建物は現存し、国の史跡に指定されている。

【参考文献】緒方富雄「緒方洪庵伝」、同「緒方洪庵適々齋塾姓名録」、同「蘭学のこころ」
(緒方富雄)

【緒方惟凖】おがたこれよし  一八四三―一九○九

明治時代の医師。天保十四年(一八四三)八月一日、父緒方洪庵と母億川氏八重の二男として大坂船場過書町に生まれた。幼名平三、通称洪哉、名は凖、字子縄、蘭洲と号した。加賀大聖寺で渡辺卯三郎に二年間漢籍と和漢文典を学び、さらに越前大野で洋学館の伊藤慎蔵に蘭書と洋式操練を学んだ。安政五年(一八五八)長崎に行き、ポンペ・ボードウィン・マンスフェルト・ハタマラらに学び、文久二年(一八六二)医学伝習御用に任ぜられた。翌三年洪庵の死去により江戸に帰り、西洋医学所教授となる。元治元年(一八六四)再び長崎に行き、慶応元年(一八六五)にオランダに留学した。明治元年(一八六八)帰朝し、典薬寮医師となり、医学所取締に任ぜられた。翌年医学所を辞し、大坂表病院御用となり、同三年軍事病院兼務となり、以後同二十年の退職まで軍事畑に活躍。その後は野にあって緒方病院院長などに従事。同四十二年七月二十一日死去。六十七歳。墓は大阪市北区東寺町の天滿竜海寺にある。

【参考文献】ドーデ編『緒方惟凖小伝』、幹澄「緒方惟凖先生一夕話」(『医事会報』四七―五四)大塚恭男

【緒方知三郞】おがたともさぶろう 一八八三―一九七三

大正・昭和時代の病理学者。明治十六年(一八八三)一月三十一日、東京神田猿楽町に、父緒方惟凖、母三沢氏吉重の三男として生まる。同四十一年東京帝国大学医科大学を卒業し、病理学教室助手となった。四十三年ドイツに留学し、大正二年(一九一三)帰国した。翌三年東京帝国大学医科大学助教授となり、病理学講座を担任し、同十二年には、同じく教授に昇進した。ビタミンB1欠乏症、唾液腺ホルモン、カシン=ベック病などに多くの業績をあげ、実弟章(東大薬学科教授)と協力して唾液腺ホルモンを分離し、パチロンと命名し、これにより昭和十九年(一九四四)学士院恩賜賞を得た。同十八年東大を定年退職後、日本医科大学・東京医科大学などでひき続き教育・研究に従事し、二十九年社団法人老人病研究所設立とともに所長となる。四十三年同研究所が日本医科大学に移管された後も所長を勤めた。三十二年に文化勲章を受章。四十八年八月二十五日没。九十歳。著書に『病理学総論』『病理学入門』『いつまでも若く』『老年病理学総論概説』などがある。

【参考文献】日本経済新聞社『私の履歴書』四一、緒方知三郞『一筋の道』(大塚恭男)



【緒方富雄】 おがたとみお  一九○一 ― 一九八九

昭和時代の医学者。明治三十四年(一九○一)十一月三日、大阪市東区北新町に生まれる。父は蘭学者緒方洪庵の孫にあたる緒方銈次郎、母は友香(三浦氏)。大正十五年(一九二六)東京帝国大学医学部卒業。病理学教室、法医学教室を経て、血清学を専攻。昭和九年(一九三四)アメリカに留学し、シカゴ大学、ニューヨーク市マウントサイナイ病院で血清学を研究、翌年帰国。昭和十一年助教授、同二十四年教授(血清学)となり、同三十一年退官。この間、東京大学医学図書館長を勤める。日本血清学会、蘭学資料研究会、日本輸血学会、緒方医学化学研究所、日本臨床病理同学院、日本ヒポクラテスの会などの創設運営にあたる。『医学と生物学』の編集主幹、『医学のあゆみ』の第一期編集長を歴任した。著書に『理論血清学』『緒方洪庵伝』『日本におけるヒポクラテス賛美』がある。平成元年(一九八九)三月三十一日没。八十七歳。墓は大阪市北区同心一丁目の竜海禅寺にある。

【参考文献】「緒方富雄先生御略歴」(『医学と生物学』一一八ノ五)、鈴木鑑「緒方先生と血清学、付、緒方富雄先生略歴」(『医学のあゆみ』一四九ノ四)(片桐一男)

以上、『国史大辞典』より転載、正統的な人物評価の略記で第一線の研究者の執筆。


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