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【憲政記念館】の「吉田松陰の書」
【2020/07/01 17:57】 エッセイ
憲政記念館・吉田松陰の書

憲政記念館に、下の写真の様に松陰の書が展示されていた。
吉田松陰全集で調べてみると、第九巻の『東行前日記』に収載されていました。

【畫史藍田】(藤井藍田)、蕭海を介して詩を寄す。次韻して却寄す。云はく、


少小讀書師昔賢   少小より書を讀昔賢を師とす、

殺生今委理官權   殺生今は理官の權に委ぬ。

眞誠不動來奸吏   眞誠、奸吏を動かし來たらず、

冤枉爭怨得碧天   冤枉、爭でか碧天を怨に得ん。

千里檻輿鼾睡穏   千里の檻輿、鼾睡穏かに、

滿城風雨虜氛羶   滿城の風雨、虜氛羶し。

赤心報國背無涅   赤心報國、背に涅なきも、

願學岳爺終我年   願はくは岳爺を學んで我が年を終らん。

補注
土屋蕭海は松陰の友人である。文をよくし、名文家でもあった。
松陰の死後、伝記を書き始めるも、高杉が破いてしまったという、逸話がある。

藤井藍田とは、大坂の商家綿屋某の子なれども、十五歳田能村竹田に就ききて畫を學び、次いで書を八木巽處に、詩を廣瀬淡窓に學ぶ。
後家を嫡男に譲り文人墨客義人烈士と交り、又諸方を遊歴す。
安政六年萩に来り、土屋蕭海を通じて松陰に詩を贈り、又五月東送前にも扇面にゑがきて贈る。
松陰は詩を以てその厚意を謝し、且つその一を入江杉蔵に贈り、他の一を自ら携えて江戸に下れり。
藍田はその後も長州に来り滞在三年、桂小五郎等とは親交ありしといふ。
慶應元年五月大阪の自邸に在り、壬生の浪士に縛せられ獄に繋がれしが、閏五月十二日歿せり。
享年五十。大正三年正五位を贈らる。(吉田松陰全集第十巻より引用)


181216憲政記念館にて吉田松陰、相馬さんより

『大意』
幼い時から学問に励み、師は昔の賢人たち。
殺されるも生かされるも、今は役人の手に運命を委ねている。
だが誠なる心は動じることなく、よこしまな役人の心を耕す。無実の罪に問われ、青空(移送)となりどうして天を怨もうか、長旅の檻の中、鼾(いびき)でもかいて穏やかに眠ろう。
移送先の江戸城内は雨また風に覆われ、囚われの者たちで血生臭いであろう。
国のために心底尽くさんとし一点の偽りもなかった。
最後まで学ぼうとしたが、岳爺(南宋時代の武将岳飛)は私と同年で一生を終えた。
私の友、杜棖卿(ととうけい)はよく藍田画史( 藤井藍田)なる人物を褒め称えているが、世間では画工としてまだ知られていない。
私の関東の厄に会して画史は漢詩を贈られた。
これを味わうに、誠に絵と詩の両方に長けた士というべき人物である。
そこで私は詠み贈られた礼とするものである。 
                      二十一回藤寅拝


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