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「定年後の生涯学習記」
【2010/06/07 13:54】 エッセイ
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--------------------------------------------二水会寄稿
----------------------------------長谷川勤---昭和46年卒(2期生)

この手記は、私が早稲田大学を卒業し、某アパレルの会社に勤務のほぼ37年間、定年までこぎつけた思いと偶然に「松蔭大学」から、招聘された経緯を体験談風につづったものである。

人生は、「出会い」と言われる。誠に、ありがたい「早稲田」との出会いであったと回想される。。早稲田大学「社会科学部」は、それまでの「第二学部」を統合して、兼任教授でなく、「専任教授」を配置して、昭和41年に発足した学部である。ですから日本で最初の「独立性」をもった夜間学部であった。したがって、全国の優秀な学生が、「経済的」理由から、入学した学生が多かったのであった。
おそらく「早稲田大学」の、当時の「全国的」な、人気とがあいまって、その後の発展を見ることになったものと思われる。私は、この学部の「二期生」に当たり、昭和42年4月に入学し、46年3月に卒業した者であります。

事実、卒業して実社会で活躍している人物を沢山輩出している事実をみても、戦後20年足らずの日本の情勢を回顧してみるとき「復興途上にあった日本」の、國家情勢を反映した形になっていると思われることが多々ある。

当初は、「夜間学部」として、「社会的差別」の悲哀を蒙った学生もいたのは、事実であるが、年々、学生の質的向上がはかられて、その後の発展は著しく、衆議院議員の国政レベルはもちろん、産業界でも活躍する人物が、沢山輩出された。現在では、入学が相当の学力を要求され、難関学部となっているそうである。

創設者の「努力」からくる、学部への愛着は、卒後25年目の節目に催される「ホームカミングデー」の実現したときに、全学代表としてOBの一期生が挨拶する機会を得たとのことである。その機会に、かつて「学資金に困った」経験から、後輩の為に、学資金を援助して、勉学意欲向上の為に「慈善的心意気」のあつまりとして、「早稲田大学社学二水会」なるものが、発足し、OBの寄付で数千万円による「奨学基金」が有志からの浄財となって、全国的にも珍しい、出身學部の関係者からなる「奨学金」が創設されたのであった。
以下の、個人的回顧談は、この解説文の延長線上にあるものとしてお読みいただきたいのであります。

社会科学部卒業後36年間務めたアパレルの会社を定年退職して、早や4年経過。定年退職直後の一月七日、宮内秀之君(昭和50年卒)の提案で仲間の皆さんから私の定年祝いをして頂いた。あの時は、本当に「二水会」活動を誇りに思うと同時に、仲間の皆さんに心から感謝したことでした。その時は既に松蔭大学の講師が内定しており、第二の人生は新しい仕事に対して希望に満ちていました。
松陰先生24.3.31


退職金で百万円もの吉田松陰関連書籍をまとめて買い込み、張り切って研究生活に取り組みました。お陰で松陰研究も大分進歩、今は他大学の「市民大学講座」の講師や浦和稲門会の先輩からの講演依頼を受けて、地区の「ロータリークラブ」で松陰を語ったり、あちこちに小論文や随想、エピソードを寄稿したりしながら過ごしています。私の生涯学習、ライフワークと言ったところです。松陰は坂本龍馬のような人気と違い、表面に出ないものの、根強い人気があるのです。NHKに大河ドラマで取り上げるよう要請しても、明るい話題性がなく、まじめ一方の人物イメージが強すぎることと、30年に満たない生涯であったことが原因のようで、面白おかしく構成が出来ず、所謂大衆性がないのがネックになってしまっているようです。昭和11年に刊行された「吉田松陰全集」は完成度が高いものの、漢学に精通した歴史学者でないと難しくて読める人が限られてしまったようで、岩波書店も3年後に「普及版」という読み下し調の内容の出版を再度行い、其の暁に松陰の全体像がつかめるようになったのです。全10巻の5千頁もの著作を残した人物は、幕末では松陰ぐらいしかいません。偶々、昨年は松陰没後150周年にあたることから、松陰本が続々と刊行されました。
私の講座は「吉田松陰論」で、大学の「建学精神」と教育者としての松陰像や明治維新の先覚者としての松陰の「人となり」を語ります。最近は人気講座らしく、今年は大教室での講義となりました。吉田松陰全集から重要と思われる文稿の原文を、ルビを施して授業の資料として学生に配布し、ここ一番の重要文献は、学生に教壇に立って読んで貰う協業のような授業をしています。大学で教材の印刷枚数が飛び抜けて多いのが私で、多い日には千枚近い資料を印刷配布します。


松下村塾24.6.9






松陰の著作中、代表的なものは野山獄収監中に、囚人仲間での勉強会の題材として松陰が講義した『講孟余話』、下田からペリー艦隊の軍艦に乗船して、文明の先進国たる米国視察へ、決死の覚悟で密航を企てた背景を詳述した5000字の大論文たる『幽囚録』、来航したロシア艦隊の乗船に密出国を目指して長崎へ向かう途中に京都に立ち寄って、尊皇家「梁川星巌」から、孝明天皇が憂慮の余り、早朝に起床し斎戒沐浴して日本の安寧を願う日々を送っている話を聞いて感激し、御所を拝して詠んだ『長崎紀行』、有名な松下村塾主宰にあたり依頼されて書いた『松下村塾記』、従兄弟の加冠を祝して書き与えた『士規七則』、弟子の高杉晋作の江戸行きを祝して書き与えた送序文『高杉暢夫を送る序』、死刑を確信して書いた『父淑兄宛』の書簡、処刑前日に門下生あてに書いた遺書『留魂録』など、貴重な遺文は枚挙に遑ない。これらは、何れも松陰の人となりの一面を知るに格好の資料として、また幕末事情を知るのに貴重な「史料」である。その他、松陰は実践的な人生の言葉を多く残しています。「万巻の書を読むに非ざるよりは寧(いずく)んぞ、千秋の人たるを得ん」や「志を立てて以て万事の源と為す」或は「松下陋(ろう)村(そん)と雖(いえど)も誓って神国の幹(もと)とならん」、「学は人の所以(ゆえん)を学ぶなり」などは表現こそ古いが、人間の生き方での学問の大切さを示唆してくれます。この部分になると、マーカーで線を引いておくように学生に注文を出します。
吉田松陰と松下村塾24.3.25

松陰もおそらくこのような雰囲気の下で「松下村塾」で門下生を鼓舞しながら教えていたのだろうな?などと150年前を想定しながらの授業をしています。残念ながら久坂玄瑞や高杉晋作のような「奇傑非常な学生」がおりません。

現代は平和すぎて、学生も個性化が失われているようです
一昨年から大学の都合で授業が木曜日に指定されてしまい、「二水会」に出席が出来なくて、これだけが心残りです。水曜日は「楠亭での一献風景」を思い浮かべながら授業の予習をやっています。
この予習は「講義の命」ともいえるものです。これを十分にしないと学生の魂を揺さぶるような、迫真的な魅力ある授業は出来ません。私の授業風景は「左手にハンカチ、右手にチョーク」で、全力で90分間の講義を行います。つまり学生との真剣勝負なのです。講義が終わって、学生と「お疲れ様でした」のケジメの挨拶を双方で言い合うことを実行していますが、この時に自分が全力投球した証明のような大汗を全身に感じます。自分の研究室に戻って、しばしソファーに横になって休養をします。これをしながら、授業の反省をします。予定通り丁寧な説明が出来たか?抑揚の効いた話し方が出来たか?学生の居眠りや私語を交わした授業態度で緊張感の欠けた授業となったしまったのではないか?午後の授業は、こうした自己チェックをして休憩後メモを書き、それを踏まえて授業に臨みます。
松蔭大学③24.4.22


私の授業は、開始前10分に教室に入り、講義予定や当日資料の枚数を知らせる板書を右半分の黒板に書きながら、自分の資料を開いて準備します。そして、印刷した学生に配布用の資料を所定の場所において、学生各自に取らせ、学生の入室の様子を見守りながら授業開始のベルを待ちます。いざ教室のドアを開けるときの緊張感は、うまく表現できない独特な不安感やプレッシャーを伴った精神状態です。授業が終了すると、ドッと疲れが出て放心状態になることが時々あります。学生の質問に答えるのも正直辛い気持ちにもなりますが、そこは教師の辛いところです。
下校する時に自己納得出来る気持ちになれたら、当日の授業は大体成功した、または予習成果のあったこととして満足感を味わいます。これが次回の講義にさらなるファイトを沸かせることになります。
私は、毎日のように松陰全集を紐解く機会があり、近いうちに論文に纏めるか、出版を目指しています。今年はNHKの大河ドラマで「龍馬伝」を放送しているためか、一種の幕末ブームのようです。私の住む埼玉にも「埼玉坂本龍馬会」という、ファンの集まりがあって、時たま参加して幕末史を講話して仲間に番組を楽しむ方法を提供します。「人間万事塞翁が馬」で、何時どんな出会いがあるかわかりません。
 私の場合も、先輩が講師をされた市民大学講座を聴講したのが機縁となり、講師のお鉢が廻って来るという珍しい経験をしました。大体が「天保の改革」の頃から「西南の役」迄を対象とした時代の勉強ですが、慶応の通信課程在学中に「福澤諭吉研究」の科目でレポートがなかなか通らず、さんざん苦労した経験があります。その副産物で、福澤について詳しくなり、地区三田会の「福澤精神研究会」の会合で「知られざる福澤諭吉の前半生」と題して講演したこともあります。
松陰「身はたとひ」24.3.30


そんなことから私は講演で「明治維新は、吉田松陰が魁となり、西郷隆盛や大久保利通が成し遂げた新国家に近代化の魂を吹き込んだのが福澤諭吉である」と結論付けると三田会の皆さんには大いに受けます。お陰で、随分三田会にも参加する機会も出来、また友人も出来て共に語らいながら美味しい酒を酌み交わします。何と言っても三田会での殺し文句は、福澤諭吉が大隈重信に対して『学校をおやりなさい』との助言が早稲田大学の創設に繋がったとの秘話を披露すると、大いに喜んでくれます。そして、大隈さんが福澤を尊敬することは半端ではなく、心底尊崇していたようですね!と話します。明治34年の福澤の葬儀で唯一大隈のご供物を例外として受け取った話をすると、大変満足するようです。反面、「明治14年の政変」では大隈、福澤が共倒れに近いような憤懣やるかたない話も慶応OBには大変受けます。早慶は創立者同志が、実は大変昵懇の間柄だったことがあまり知られていないようです。世間ではライバルというと「競争的」に捉える方が多いのかもしれません。
早稲田大学

人生は出会いです。二水会もその一つです。よきご縁に恵まれた私は「二水会」を誇りとして、色々な機会に経験談を語ります。
長谷川勤22.1.10慶應大学にて


社学が発展して世に裨益多い存在となること、そして二水会がその裏支えとなり、一体となって学部のよき伝統を創り上げることは「早稲田大学社会科学部」に学んだ我々の使命であり、同時にそれは同窓に学んだ仲間たちの大なる喜びであります。
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【2012/01/16 11:13】 | # [編集]
講座シリーズでお疲れのことと思います。定年後こそ、本来の生き方に戻れるタイムです。ますますご研究に邁進されることを祈ります。ブログを見てください。
【2011/06/20 11:52】 URL | 1335セイケン #- [編集]
ブログの評価大変嬉しく思います。ありがとうございます。「耐えてこそ人生」大変に含蓄のある、とてもよいことばと思います。様々な人生経験を積んだからこそ、このような深い人生観を伴ったことばになったものと思います。改めて、敬意を表します。私の授業でも、人生の勝利者への道は、限りなく厳しい。天が与えてくれた試練と受け止め、挑戦する人生態度を継続して下さいと訴えます。大正四年の凱旋帰国した野口英世は「忍耐は苦し、しかしその実は甘し」と揮毫しました。珠玉の人生態度のことばであります。現代の若者に、丁寧に時間をかけて繰り返し説明する価値があるように思います。
【2010/07/03 10:41】 URL | 長谷川勤 #- [編集]
長谷川様、
毎月、金策に四苦八苦している小さな会社の管理職をしている者です。
意欲に燃えた素晴らしいブログです。多くの若者に是非見てもらいたいです。
この場をお借りして若者達に言わせて頂きます。

最近の若者は「自分がやりたかった仕事とは違う」と直ぐ簡単に辞めてしまいます。
でも、私は本当に自分に合った仕事なんてあるのかな、と思います。
私は30代、40代の時、いっぱい失敗しています。今、これらは「失敗」ではなく、「経験」だったのだと思うことにしています。本当はすごい「失敗」ばかりなんですけど。
今50を過ぎたこの歳になって、どういう時に自分の「人生の基礎」みたいなものができたかな、と振り返ってみると、アホな上司の下で、つまらない単純な仕事で、「こんな筈ではなかった」と、苦しくて、嫌で、アホらしくて、たまらなかった何年間かがありました。
この時のことを思うと「なんでもできる」と思えるのです。20代後半はそういう時期だったと思うのです。この「人生の基礎」ができない内に別の会社や仕事に移ってみてもどうかな、というのが私の思いです。若くして何度も仕事を変わっている人を見るとほんとうに、「将来きっと苦労するぞ」とかわいそうに思えます。

【2010/06/16 14:23】 URL | H.O #- [編集]

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