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「西遊日記」①
【2011/04/17 21:00】 エッセイ
松陰は19歳で、「山鹿流兵学師範」となった。真剣な厳しい修業に堪えての成果である。以後、自藩(長州藩)以外に、修業の場を求めて、全国行脚が開始される。
今日は、初めての藩外の遊学先である、「肥前の長崎、平戸」に出発した時に綴った掲題の「序」を書きます。松陰21歳の夏である。

西遊日記(松陰全集第9巻:23頁)

「序」

道を學び己を成すには、古今の跡、天下の事、陋室黄巻にて固より足れり。豈に他に求むることあらんや。顧ふに、人の病は思はざるのみ。則ち四方に周遊すとも何の取る所ぞと。曰く、「心はもと活きたり、活きたるものには必ず機あり、機なるものは触に従ひて発し、感に遇ひて動く。発動の機は周遊の益なり」と。西遊日記を作る。
庚戌九月                        長陽 吉田矩方識す




この原文は短文だが、意味が深長で、ここから松陰の遊学が始まる。
時に嘉永三年(1851)8月25日出発。修業を終えて帰宅するのが、この年の大晦日である。この旅行中から、「義卿」の字を用い始めた。

この旅の成果は大きく、長崎でオランダの軍艦に乗船している。パンを生まれて初めて食す。
平戸

葡萄酒も初めて飲む。何より、平戸の葉山佐内という「陽明学者」を訪ね、『傅習録』に出会う。後期水戸学の、会澤正志斎の『新論』も讀む。アヘン戦争の始末記も。こうして世界に目が開けていくのである。相当量の読書して「佳語」をたくさん抄録した。

帰路、熊本、佐賀を経るが、加藤清正の廟に、弟の病平癒祈願をしたのは、前に記事で採り上げた。終生の友・宮部鼎蔵と出会うのも此の旅である。
私もこの「佳語」すなわち、よいことばを意味する語を知ったのはこれが初めてであった。
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