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吉田松陰の研究書(伝記)第一号の話
【2010/07/02 15:32】 エッセイ
明治24年の「吉田松陰伝」以来、今日まで200種を越える研究書や小説等が刊行されて来ている。それだけ松陰人気が高いということの裏づけにもなります。松下村塾の門下生が松陰の伝記を書こうとしたのを知った高杉晋作が、「何だ、こんなもの!」激怒して書き掛けの伝記を破り捨てたエピソードは有名な話です。其の間の明治13年に英国のスティーブンソンが「YOSIDA TORAJIROU」を、かつて門下生だった正木退蔵からの伝聞を基に出版。日本より先に英国で松陰の伝記が刊行されるという、世にも珍しい出版事情がありました。
正木退蔵24.5.5


因みに松陰を語った正木退蔵なる人物は、勿論松下村塾生であったが、珍しく上級藩士(大組士・188石)の出身です。高杉晋作が150石ですからそれより上になります。明治4年英国に渡り、ロンドン大学のユニバーシティ・カレッジで化学を学び、いったん帰国の後、9年再度渡英。今度は留学生を引率する立場だった。其の時に、文豪スティーブンソンに松陰先生を語ったことから「ヨシダ・トラジロウ」が書かれたのです。14年に帰国して現在の東京工業大学の初代校長に就任して、日本の工業教育の先駆者となりました。 ここでも松陰が村塾で学びたい者に「何のために勉強したいのか?」と弟子が思い出を語った(村塾零話=全集収載)のと同様に、入学試験をすべて口述で行ったという。ここにも松陰の影響が見られるようです。土光敏夫さんや現在の菅総理大臣の母校の初代校長だけに地味ながら存在価値の高い人です。明治33年以降は外交官に転進、ハワイ領事となりましたが、何とその時の外相が高杉晋作の生家の隣の青木周蔵でした。明治の外交官を代表する人物です。明治以降山口県、特に松下村塾の誇りが受け継がれる所以でしょうか。 東の長野県とともに山口県が「教育県」といわれる一端がこんなところにも現れているようです。
脱線話になりますが、小泉純一郎元首相の母校、神奈川県立第四中学(現横須賀高校)の初代校長は松陰の妹千代の子息で、吉田家を継いだ人物です。この人は第二中学(現小田原高校)の初代校長も明治30年代に務めています。名前を吉田庫三といいます。これで小泉さんが尊敬する人物に「吉田松陰」をあげる理由がわかります。こうした研究史(伝記)は色々なエピソードがありますので、折に触れて10回くらいの研究家の刊行事情を連載的に書いてみたいと思います。

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