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松下村塾零話(雑録)
【2011/04/20 09:24】 エッセイ
(全集第十巻:関係雑纂収載)        
渡邊蒿蔵談話 第二    
 昭和六年四月  広瀬 豊(全集編集委員、元海軍大佐)

一、 松陰の写真と称するものの鑑定を乞ふ。曰く、全然異人なり。



二、 自分は安政四年暮より安政五年迄塾に在り、安政六年には十七歳であった。
三、 先生から何の為に学問するかと問はれたる事を記憶す。先生曰く、学者になるのはつまらない、学者になるには本を読みさへすれば出来る、学問するには立志と云ふ事が大切であると。
吉田松陰と松下村塾24.3.25


四、 東坡策は松陰先生の入獄前に書いて貰って居たのであるが、入獄の時先生獄中に携帯して評をつけて返して呉れたものである。(東坡策批評は、東坡策の活写本「宋蘇軾の策文二十五篇を我が藤森大雅が撰した三巻もの」を、門人渡邊蒿蔵(天野清三郎)が師命で写し取ったものに、松陰が批評したものである。その写取は安政五年で、翌年正月野山獄において松陰が批評した。そいて松陰は、加評して、表紙見返しの短文と巻尾の文とを書き、天野に返した、今萩市松陰神社蔵となって居るのはその渡邊氏の寄贈本である。)
五、 先生は塾生が読書や抄録をして居ると、「ちょっと借せ、書いてやらう」と云はれて、評やら注意やらを書いて呉れ、極めて手軽に指導された。
六、 塾には飛耳長目録と云ふもの(遠方のことを見聞することが出来る耳や目)ありて、今日の新聞様のものを書き綴りしたものである。主に交友又は上方(京都)より来る商人などの談によれり。 
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