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杉一族のこと
【2011/04/20 19:53】 エッセイ
吉田松陰は、養子となって吉田家を継いだのであるが、生まれは杉家で百合之助の二男である。現在でも養子または婿入りの習俗は残っているが、江戸期の武士は、この「養子制度」をフル活用して、家名断絶を防いだ。杉、吉田、玉木は一族である。特に長州は家格がいろいろあったが、この三家では吉田家が最も家格が高かった。「維新の先覚・吉田松陰」の1頁に生い立ちが記されているが、以下のように記されている。



杉家、吉田家、玉木家は以前から親戚関係にあったが、特に父の兄弟は互いに心を寄せ合い、長州藩士として有為な人物になろうと常に学問の修業を怠らなかった。わけても父百合之助は一族の中心となって弟たちの勉学に力をそそぎ、自らも七兵衛の学問好きを見習い、無用の談話などはせず、仕事の暇を見つけては読書した。母滝は姑に孝養を尽くし、不平不満のない持ち前の明るい性格で家族全員をつつみ、自ら馬を使って農耕にも従事した。
と書かれている。後年、松陰は「杉家に及び難き美風」の書簡を、獄中から妹の千代宛てに送っている。松陰が、楽天的と思えるほどの生き方を垣間見せる時があったのは、こういった一族の家風と、母親の滝の存在が影響していると思える。立派な母であったとの言い伝えが残されており、「吉田松陰の母」と題した書物もある。

こうしたこともあってか、松陰の兄弟愛は美しい程に、書物の随所にみられる。兄上と常に尊敬心を失わず、反面、また大変に妹思い出もある。一族といい、兄弟姉妹といい、よき家庭に恵まれたことは、松陰の人間形成にとってプラスに作用したことは疑うべくもない。しかし、これが「国を思う心」となると普通の人物を遥かに凌駕した意思を見せ、ペリー来航を期に憂国の志士へと急階段を昇るかのように行動家としての面目を発揮する。
そして、松陰の挫折や急進的な行動に理解を示す父親であった。いや、理解を超えて激励をする程であった。下級武士の卑屈さが松陰の書物からは、ほとんど見られないのも、このような一族の恩恵あってこそと思うのである。
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