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長州藩の「士席」(身分)のこと
【2011/04/26 06:34】 エッセイ
安政期の「毛利藩」政府の「士席」つまり、身分階級である。
松陰全集をよむと、藩の要人の名前が沢山出てくる。この階級が解かりにくい。
解かり易くするために、整理したものを書いておいた方が役立つと思う。
萩藩上士屋敷
(この写真は、寄組という上級家臣の邸にイメージです、立派な屋敷です)

(1) 毛利藩の士席(家格)をまず書いておきます。・・・ただし、年々変化するのでこれは嘉永年間(1848~1854)のを書きます。
①「一門六家」:これは毛利を称した家柄で六家あった。当然、「家老職」にあって毛利藩の重鎮であった。ただし、能力は問われず、家柄が問われた。
②「永代家老」:益田、福原の二家。益田は当時弾正親施(ちかのぶ)が当主で、この人物は松陰の門下でもあった。松陰が藩主に「上書」のときは、この人があってこそ藩主に意見書が届いた。共に、禁門の変の責任を取って切腹。
③「寄組」:上記八家に次ぐ高禄の階級。数千石の禄を食む。毛利の上級士族である。
④「大組」:別名八組ともいう。中士上等の階級。高杉晋作はこの士席で、松下村塾では別格の高い士席だった。
⑤船手組:大組の下であったが、主に三田尻(防府)で毛利の水軍を担った。
⑥遠近附:百石前後の家格。中士下等に位する。
⑦寺社組:儒士、医師、書画工、騎馬士等々で寺社奉行の統治下にあった。
⑧無給通:俸給はあるが、給地なし。幕末期で512任いた。松陰はこの階級。
⑨この他:下士階級として、鷹匠、鵜匠、船頭など。この下に準下士階級あり。
⑩足軽、中間:2958人いたという。上記の士階級の小間使いである。武士の最下級。
⑪このほか:高禄の上級士族は、禄高に応じて武士を雇った。此れを「陪臣」という。
これは、殿様から見れば、家士の下士である。別名「またもの」。ただし、経済的には裕福な家柄もあり、松陰の母「滝」はこの階級の出である。
  ※このように、江戸期の身分階級は峻別されており、高杉晋作が松下村塾では、別格のような士席だった。
  ※因みに、明治維新のような大変革は、現状改革を志す人間が多く、維新の功臣は大半が、下級武士だったことがこのことからもわかる。
  ※伊藤博文、山縣有朋等はこれで見るように、最下級の位に属していた。だから、彼らは明治の功臣として、煌びやかな勲章で飾った写真に写っているが、生まれ故郷では「卒族」つまり、最下級の武士として郷土の人達は尊敬の念が薄く、従って明治の顕官といえども、故郷の長州(山口)に里帰りは嫌ったという逸話が残されている。特に、伊藤博文は百姓の出身で、足軽の士席の家に養子に行ったことが地元では知られているだけに、里帰りを極力避けたようだ。人の出自は難しいものだ。

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