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再び『吉田松陰自賛肖像』について
【2011/05/05 21:03】 エッセイ
前回、掲題の記事を書きましたら、深い関心を示してくれた方がおりました。ありがたいことで、励みになると同時に、副産物として「福川家本」の自賛が『文化遺産データベース』で見られました。ありがたいことです。今回、その「福川家本」の跋文が全集に収載されているので書いてみます。




「福川氏に與ふる肖像自賛の跋」(全集第九巻:575頁、東行前日記)

余、再び野山獄に繋がる。前後、司獄福君の愛顧を蒙ること甚だ多し。褚中(ちょちゅう)、感あり、、吾れ未だ報ゆるものあらず。今茲(ことし)五月、會々(たまたま)関左の厄あり、別れに臨みて蒼皇(そうこう)として肖像の自賛を録し、以てこれを贈る。

※褚中=感謝の気持ちでいっぱいであるという意味。
※蒼皇=あわただしく。

跋文であるから、長文ではないが、野山獄に在って「司獄」の福川犀之助に対する松陰の感謝の気持ちがにじみ出ている文である。この福川は、「司獄」の立場でありながら、松陰を尊敬すること一方ならぬものがあり、そのためもあってか、松陰は文中『司福君の愛顧を蒙ること甚だ多し』と書いている。獄中勉強会にも、廊下に坐して松陰の講義を熱心に聴くばかりでなく、弟も参加させた。さらに、それまで禁じられていた、夜間の明かり(蝋燭)も許可してくれ、松陰に対して何かと便宜を図ってくれた人物である。
極めつけは、松陰の東送前日、独自の判断にて松陰を自宅に帰し、家族との一夜を過ごす機会をつくった。このため、後に藩政府から処罰を受けたのであった。
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