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小田村伊之助に與ふ
【2011/05/05 21:05】 エッセイ
安政六年五月十八日、全集第九巻:東行前日記、574頁収載
吉田松陰は、野山獄に再度収監中の安政六年五月十四日、兄より「幕府からの江戸送りの命令」を聞かされる。以後、10日間蒼皇たる日々がつづいた。七幅とも八福とも云われる「自賛肖像画」に、賛を書き入れ、最後の中谷家本の跋には、もう飽いたと悲鳴?をあげている。この間、門弟、友人に書を贈った。掲題のはとくに松陰の妹婿にあたるので、正直な心中を吐露しているようだ。
楫取素彦24.4.24


至誠にして動かざる者未だこれあらざるなり。
この言葉は、本来孟子の「離婁章句上12」に出て来る言葉である。(岩波文庫:孟子下・
33頁、松陰全集第三巻:講孟余話156頁) 松陰は、この言葉を座右の銘としていた。

吾れ學問二十年、齢亦而立(じりつ)なり。然れども未だ能く斯の一語を解する能はず。今茲に関左の行、願はくは身を以て之れを験さん。乃ち死生の大事の若きは、姑(しばら)くこれを置く。己未五月。
此の語他日験(しるし)あらば、幸にこれを世に傅へ、湮滅(いんめつ)を致すことなかれ。若し或は索然(さくぜん)として蹟なくんば、又幸に之れを焚(や)き、醜を友朋に胎すことなかれ。渾(すべ)て老兄の処分を仰ぐ。
五月十八日                        辱愛友矩方再拝
彝堂村君士毅  足下

※而立=30歳
※湮滅=埋もれて滅びること。
※索然=尽きるさま。なくなるさま。

生きて帰れぬことをかくごしていたのであろう、この文章にはそれが感じられる。人間至誠をもってすれば心を動かさない者はいないというのが、松陰の信念でもあった。
幕府に対しても、至誠をもって臨めば活路が開けるかも知れないと密かに期していたとも云われている。
この、妹婿の小田村伊之助は、明治になって名前を楫取素彦と名をあらため、地方官として活躍し、初代群馬県知事をつとめ、高崎市から前橋市に県庁を移した人物である。明治20年、男爵、宮中顧問官等を歴任した。この子孫は、最近まで拓殖大学の総長をつとめた。小田村四郎さんがその人である。
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