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嘉永四年八月十七日の「兄」への書簡
【2011/05/15 14:30】 エッセイ
この書簡は、数ある松陰のなかでも、大変意味深長なものである。
松陰は、前年の鎮西遊学にて自分の精神世界の狭さを知った。多くの人々に交わりながら自分の世界観を広げるに如かずというのが心の奥底にあったことが、自分の体験によって確かめられたのであった。江戸に留学して、見聞を広めることの大切さを身を以て学んだのである。
これに関連して、江戸に遊学して半年経過したころに、故郷にいる兄に送った書簡がある。非常に素直で、尊敬する兄に思うままを吐露した書簡である。沢山のやるべき學問に対してほとんど悲鳴に近い、心の叫びが聞こえてくるようである。経學への思いが頭の中を相当に占めてきて、本業の兵學への懐疑も勃々たるものがあったように読める。方寸錯乱ぞ!と心の整理がつかない苦しさを吐露している。これは信頼する兄に宛てたから書けたのであって、少し甘えているようにも聞こえる。この四か月後に問題の「東北旅行」に「過所手形」の発行を待たずに、「稽古切手」という、藩邸の外出用の許可書のみで飛び出してしむのである。思うに、伝統的な日本古来の學問や兵學に対する懐疑の思いが、日増しに強く成っていったと推測される。昭和19年に「吉田松陰東北遊歴と其亡命考察」(諸根樟一著)という、専門の高価な研究書がある。いつかこれを読んでみたと思っている。
少し長いが、そのまま原文を記してみる。是非とも最後まで読んで頂きたい。
吉田松陰の思想と行動24.3.25




一、 矩方身上の事、梨藤へも略ぼ話し置き申し候。其の趣は、愚意には先づ寅の御下向の節迄と存じ奉り候。しかし父叔兄長尊意如何をも存ぜざる事に付き、御在國中に叔父等へ右の趣御相談成し下され候様御頼み仕り候。左候て丑の御登りの節、何分の儀返答承り度く候間、得と御熟話下さるべく候。愚に於ては素より天命に任せ候事には候へども、三年の修業位にて何も出来申す間敷く、天下英雄豪傑は多きものにて、其の上に駕出仕り候事は中々愚輩の鈍才にては俄かに出来申すべくとも思はれず、我れ一歩を往けば寇(あだ)も亦一歩を往くの道理、況(ま)して愚鈍の者は人の十歩百歩の間に漸く一歩を移し候位の事にては、三年五年には間に合ひ申す間敷くそうろう。夫れ故死して後已むを以て自ら戒め候事に御座候。しかし是れは外に馳せ人に勝を求むる事に相成り深く懲すべき心に御坐候間、一體武士の一身成立いたし候事、何とも覚束なく候故、愚劣ながらも緩々(ゆるゆる)居り候はば、何か一つどもは得申すべくやと存じ居り候事に御座候。是れ藤太へ話候意に御座候間、宜敷く仰せ合され候様頼み奉り候。
武士の一身成立覚束なき譯左の通り。
一、 是れ迄學問迚も何一つ出来候事之れなく、僅かに字を識り候迄に御座候。夫れ故方寸錯乱如何ぞや。
先づ歴史は一つも知り申さず、此れを以て大家の説を聞き候處、本史を讀まざれば成らず、通鑑や綱目位にては垢ぬけ申さざる由。二十一史亦浩瀚なるかな。頃日(このごろ)とぼとぼ史記より始め申し候。

史論類、綱鑑の初めを見候ても多きかな。大家は急需とは申さず候へども、閑閑の節見度く存じ候。
兵學家は戦國の情合を能々味ひ候事肝要と存じ奉り候。その情合を味ふは、學書・軍書・戦記の類、學者衆の埒もなきものと申され候ものの尋思推究の功を加へ候はば、少々自得の處も之れあるべきかに考へられ候。今武教全書中にも其の情境茫然として得心行き申さず候事も之れあり候へども、誰れに問ひても能く通じ申さず候。此の二條、志のみにて未だ得果し申さず候。
経學、四書集註位もいちど一讀致し候ても夫れでは行け申さず候。宋・明・清諸家種々純儒之れあり、中にも周程張朱其の外語録類・又明・清にも斯道を発明するの人何ぞ限りあらん。夫れ等の論は六経の精華を発し候ものにて、又讀むものの由。
此の二條、志のみ。
漢・唐より明・清迄文集幾許ぞや。皆々全集も見るべからず候へども、名家の分、文粋文鈔者などの中に就きて尤なるもの全集を窺うべし。
輿地學も一骨折れ申すべし。
砲術學も一骨折れ申すべし。
西洋兵書類も一骨折れ申すべし。
本朝武器制も一骨折れ申すべし。
文章も一骨折れ申すべし。
諸大名譜牃も一骨折れ申すべし。
算術も一骨折れ申すべし。
七書、集訟を致し候間折訟は片言にては行け申さず候。是れも一骨折れ申すべし。
 武道の書も説く處異同あれども一部ならず。士道要論・武士訓・武道初心集、漸く此の三部をみる。此の外何ぞ限りあらん。此れも一骨折れ申すべし。

右思ひ出し次第に記し見候へども、何一つ手に付き候事は一つも之れなす。今から思ひ立ち申すべく候へども、何と定め諸事は棄てやり申すべき事之れなくそうろう。且つ経學あることを知りて、兵學あることをしらず、中谷・椋梨等逢ひ候度毎に経學をすすめ、別れに臨みて殊に丁寧の意を致し候處、矩方も兵學をば大概に致し置き、全力を経學に注ぎ候はば一手段之れあるべく候へども、兵學は誠に大事業にて経學の比に非ず。且つ代々相傅の業を恢興する事を圖らずして顧つて他に求むる段、何とも口惜しき次第申さん方もなし。方寸錯乱如何ぞや。
 體中の骨何本之れあるかは存じ候へども、十本許り折れ候はば、跡はいかをくい候猫の様に成り申すべくや。これも一つの懸念。
其の他世上一統の人に且々並び申し度く候へども、藝術に至りては數を知らず候。詩歌・茶湯・棋・書畫・印・立花・能・謡曲・浄瑠璃・嗟々、陋なるかな。厭ふべし、厭ふべし。
僕學ぶ處未だ要領を得ざるか、一言を得て而して斯の心の動揺を定めんと欲す。萬祈萬祈。(後文闕)
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