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「船橋」での松陰講演会
【2011/06/03 23:21】 エッセイ
昨日(6月2日)は、友人からのご縁で、「吉田松陰と松下村塾の人材育成」という演題にて講演をしてまいりました。千葉県船橋市は「千葉都民」といわれる程の、東京近郊の代表的なサラリーマンが在住する都市で、近未来的には「政令指定都市」の候補であるようだ。ここに、長い伝統を持つ「船橋高校」があり、オウム真理教問題で一躍名を上げた「江川詔子さん」もここのOBの一人である。
聴講下さった方々は「経営者」の集まりの社団法人組織団体の方々でした。社団法人は、一般には公益性の高い「法人」の団体に認可される、ある意味での名誉と社会貢献が認可条件になるものです。
慶應大学構内三田演説館


このような意味合いから「人材育成」つまり企業も、社会も國家の構成人員の「質」が大切であることを念頭においての90分の講話(持論?)となりました。
軽い気持ちで始めたものの、いつしか次第に熱弁調子になり、松陰の教育に於ける「人材育成」の成果報告のような内容に変容してしまいました。
下田の吉田松陰24.3.25

「志を立てて以て万事の源と為す」や「学は人の所以たるを学ぶなり」と云った、松陰のオリジナルになる言葉が矢継ぎ早に飛び出してきて、語り部としての自己規制が危うくなるほどでした。
レジュメ通りに話が流れず、軌道修正に苦労することはしばしば。「一生懸命に生きた生涯」の吉田松陰の29年間を語ることは、知らず知らずに「語り部」としての私自身が松陰になってしまうのです。気が付けば、持ち時間を超過し「主催者」にはご迷惑をお掛けすることとなり、帰路では反省ばかりとなりました。
「国を思う心」や「愛情を以て育てた門下生」に、心を致すことは、私としては「自然な感情」と思います。その意味では吉田松陰は日本人中の日本人といえるでしょう。
当日は、菅直人さんが条件付きで辞任を表明しました。しかし、政治の世界は魑魅魍魎の世界で、松陰が望んだ「至誠」はいずこにありや?と思わせます。当然の如く、翌日には議論百出となりました。国を思う心が、いつしか自己保存を最優先の考えに変容した。
しかし、吉田松陰は命を懸けて生涯を生き抜きました。我々の思いも及ばない葛藤と夢の実現への執念が、二十歳以降の松陰の精神世界であったと思われます。

門下生に対して「死んで見せた」教師の姿を、私は松陰以外には知らない。人間の努力の極致であると思う。それ故に、門下生が奮闘努力して徳川幕府を倒したのである。精緻に構築された統治体制であった徳川政権下にあって、当然、「恵まれない境遇」にあった階級の人々がその賛同者、担い手になったことは言うまでもない。
「保守対革新」の構図は、永劫に解決しえない課題です。しかし、国を本当に憂えての行動か否かは、至誠の次元になる。それを松陰は座右の銘としたばかりでなく、実践して見せた。こんな教育者は古今にただ一人、吉田松陰のみ。昭和45年に三島由紀夫が割腹自殺を遂げた時に、50年経てば答えが明らかになると豪語したが、人間の本性は簡単には見通せない。45歳で亡くなった三島の思想的な若さを思うばかりである。三島の死に対して、「人は思想に対して殉じることが可能か?」と題した論文を読んだ記憶がある。思い起こせば、松陰はそれをやってのけた稀有な人物、教育者であった。65歳になって、しみじみと思い返して、あらためて「人間とは何か?」と、自分に問い返している
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