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松陰が崇めた「皇室」のこと
【2011/06/06 06:26】 エッセイ
今から25年前に刊行された『天皇裕仁の昭和史』という本が私の書庫にある。著者は「河原敏明」さんである。出版に当たって、随分と勇気が要ったことと思いながら、久しぶりに読み返してみた。
現在の天皇陛下は125代目と云うことになっているが、日本史を少し突っ込んだ人にとっては初代の神武天皇から第九代の「開化天皇」(日本書紀では稚日本根子彦大日日と書くのが本名との由)までは、史学的には実証性が乏しく、第十代の崇神天皇からようやく実在性がありそうだとの見解が定説のようである。「神話」と「史学」の、はざまで、揺れ動く『皇統』としての「スメラミコト」である。日本が神の国といわれる所以でもある。
そもそも、「古事記」が書かれて、幾許もたたないうちに「日本書紀」が時の政治権力者によって、どうして編纂されなければならなかったか。これに対する、合理的な説得力のある説明は困難のようである。



そんなことを思い浮かべながら、現在の「皇后陛下」の苦悩を慮りながら再読したのである。タブーであるかも知れないが、公刊されているので要旨を書いてみる。「常盤会」(女子学習院のOB会)が「正田美智子」を推挽した「小泉信三」を陰に陽に攻撃したとのことである。近親結婚が国民に対して、熟慮を求めているのには遺伝学的配慮がある。ここから敷衍されて、平民である正田美智子さんが、皇室始まって以来の「平民から皇族へ」の道が開かれたのであった。連綿と続く皇統に、日本民族の象徴性の陰に「言い得ぬ困難な問題が内包されている」のである。いつの時も、パイオニアは筆舌に尽くしがたい辛酸を乗り越えていかねばならない。そういうことに、思いを致す時、美智子皇后の歩まれた人生は想像に絶するものがあったと推察されるのである。昭和34年4月10日の「ご成婚」は60歳超の国民にとっては、記憶に残されていることだろう。これ以上は、記述を慎みたい。なぜなら、単なる興味本位に読まれることを私は心配するのである。
孝明天皇24.3.25


さて、先日の記事にかいた吉田松陰の「皇室崇拝」のことである。『睡餘事録』で、松陰は後期水戸学の大家から沢山の尊王思想について学び、そして、日本の成り立ちを知らずに、漢学一辺倒で勉強した偏りに大いなる反省を込めて古代史を読破した体験記を叙述している。松陰は、人を疑うことをあまりしなかった人である。であるからして、『日本書紀』や『続日本記』の記述を、おそらく「あるがまま」に受け入れたのであろう。
ここから、松陰の天皇崇拝意識は拍車がかかって高揚してくる。「神国」意識は絶対的にまで昇華してくるのである。ナショナリズムの極致と云っていいかもしれない。これが「明治天皇制国家」の思潮と相俟って、極端な「肇国思想」の独り歩きとなり、開闢以来の亡国に導いた軍人の天皇制利用の論理と権力濫用へと連なったのは、田中彰さんの著書『吉田松陰』(中公新書)に書かれている通り、日本にとって不幸なことであったと思っている。
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