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大東文化大学オープンカレッジ
【2011/07/14 18:56】 エッセイ
今年(2011年)の大東文化大学のオープンカレッジは、「幕末維新の群像」と題して、吉田松陰、西郷隆盛、福澤諭吉の三人を取り上げてみた。

吉田松陰は「維新の魁」としての位置づけで、いち早く海外情報に対応すべく、自身の「義」による行動と、人間教育によって西欧列強からの浸食を防止する「独立民族を守り抜く」使命の信念を貫いた「志士」の側面を検証してみた。
松陰岡部本24.4.23



そのあまりにも、正直すぎた立居振舞や言動が、自身の命脈を縮小させた反面、国=藩の時代に、全国的な日本の海防のありかたに警鐘を鳴らした。「大和魂」は松陰の造語とも思えるほどに、日本人を意識させたのであった。坂本龍馬が武市半平太の名代として、萩を訪れたときに応対した久坂玄瑞の言葉に驚愕し、志士としての覚醒を覚えざるを得なかったのは、松陰精神の先進性を物語る何物でもないだろう。松門の双璧と言われた「久坂玄瑞」や「高杉晋作」を通して松陰の精神は「不朽となった」。ここに、松陰の衰えることのない人気の秘密がある。思想家としての松陰に疑問符をつける「マルクス史観」も、こうした事実には首肯せざるを得ないだろう。理屈は、事実の後に立てるが故に、もっともらしい言語の遊戯が可能になる。「マルクス死後50年」という、高名な経済学者のいみじくも指摘した論文は、今でも古典的な批評としてその存在価値を失っていない。
敬天愛人24.3.25


安政の大獄に共に連座した西郷隆盛も、松陰と同じく、命を落とす際まで経験した。清水寺の住職で勤皇僧でもあった「月照」の命を、九条家より託され、薩摩藩にかくまうべく案内するも、斉彬時代と藩情は一変していた。幕府の恐怖政治への対応に必死であり、「國主・久光」治世下では、西郷の期待も空しく、追い詰められた二人は錦江湾に入水を図る。
間一髪、蘇生した西郷は、薩摩藩の巧妙なはからいで、月照との墳墓をともにして、幕府の探索網をかろうじてかわす。
以後、二度の西南諸島での艱難辛苦の末、復活(この陰に、大久保の画策があった)する。元治元年、甲子の変での軍師としての活躍は、その後、戊辰の役まで声望を担い続ける。然し、時は利あらず、新政府樹立以降は別人のようになる。維新第一の功臣でありながら、廃藩置県での功績を期に政治の主導権は遂に握れず、征韓論以後、盟友大久保の独裁体制となる。残念ながら、政治家としての資質は、西郷にはなかった。ここに西郷の悲劇性がある。それはまた、松陰も同様である。共に命を長らえても、おそらく政治家としての名声は獲得できなかったろう。あえて弁護するなら、西洋先進国の姿を見聞していたら、二人の運命は大きく変わったものになっただろう。誠に、歴史はドラマであり、名優としての限られた時間内での演じる役割を終えて不朽の人となる運命であった。しかし、人間が歴史を動かし、歴史が人を造るのもまた事実である。乱世に英雄が誕生するのも、単なる偶然ではない。
福澤諭吉の晩年24.4.2


今回は、幕末以来、最も伝記的な著作の多い三人をとりあげたが、最後の福澤諭吉は、新日本に「文明の魂」を植え付け、西欧列強に伍して行き抜く近代国民国家の精神的リーダーとして、自身の役割を演じきったという幸運な生涯を送った人物である。「独立自尊」の四文字に込められた意味は、広範な日本のあらゆる分野を俯瞰しての、濃縮された言葉である。
幕末期の福澤は、自身の努力で洋行を三度経験する。尊王攘夷のカラクリを見透かし、徳川政権の終焉に、一度は落胆するも、新政府の政策が開国策であることを知るに及んで、在野にあって協力、奮闘する。一連の著作、「西洋事情」・「学問のススメ」・「文明論の概略」で西欧に学ぶことの意義を立証してみせる。結果として、時代の寵児となるも、おごることなく、文明国家に生きる人間の提唱を、身を以て示す。日本の進路に喜びを覚えながら、前進また前進の生涯であった。奇しくも人生の前半を封建門閥の江戸時代、後半を新日本である明治時代を共にピタリと34年間ずつ生きた人生であった。奮闘努力の末に、20世紀を迎えることのできた偉大なる人物の遺産は、今日にあっても、全く色あせていない。
ただ、福澤のみが人生を全うしたために「福翁自伝」という、傑作を残せた。これを残せたことが、福澤にとって、また近代日本にとってどれほど大きな財産となったか、計り知れないものがある。この「福翁自伝」こそ、国民必読の書といっても言い過ぎではない。
大東文化大学①24.4.22


実は、この三人の共通点は、「教育」に並々ならぬ意欲を有していたと云ったら、驚かれるかも知れない。おそらく、歴史を動かすものとしての人間教育の何たるかを、知っていたのであろう。
松陰や福澤は教育者としての評価は、ゆるぎないが、実は西郷もそうであった。「私学校」は西郷の政府高官としての俸給をつぎ込んで運営された。西郷は、福澤とは面識がなかったものの、共に認め合う仲であった。明治8年刊行の「文明論の概略」を読んで、「実に驚き入り候」と高く評価し、門弟にこれを読むことを進めた。同時に、福澤の慶應義塾に学ぶことも、推奨したのである。福澤も、人生最大の喜びであった「廃藩置県」を、西郷あっての改革と捉え、「丁丑公論」にて、国賊扱いへの反対として論陣を張る。偉人のみが知りうる偉人の胸の内か?「私利私欲」のない人物のみが知りうるものか?

幕末維新とは、広くとらえると、天保の幕開きから、大日本帝国憲法や帝国議会開設のまでの史的事実を詳細に追跡することによって、それが判然としたものになるだろう。
今回は、このオープンカレッジを通して、近代日本誕生の諸側面を検証してみたかったのである。以後、このことを詳しく書いてみたい。
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