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「武士道」と「士道論」のこと
【2011/08/02 07:32】 エッセイ
武士道というと、一般に思い起されるのが新渡戸稲造の『武士道』であると思われる。しかし、それは正しい武士道の理解とは言えないそうである。

講談社現代新書に『武士道の逆襲』(菅野覚明著)という本があり、これを読むとその意味がわかる。そこには次のように説明されている。「武士道は、第一義に戦闘者の思想である。新渡戸をはじめとする明治武士道の説く高貴な忠君愛国道徳とは、途方もなく異質なものである」(20頁)と。つまり、武士道は「一つの階級的思想であって、外国を意識して生まれた国民思想ではない」のだそうだ。
Bushido.jpg 武士道の逆襲

そうすると、鎖国体制下の「江戸時代」には「治者階級としての武士」は存在したが、戦闘者としての本来の武士は変質していなければならないという論理となるだろう。なぜなら「元和偃武」以来、戦闘者としての武士は、形だけで実質的には武士とは言い難くなるような存在へと変容を遂げてしまったはずである。少なくとも、初期の頃は色濃く残っていたろうが、統治体制の整備に伴って戦闘のない時代になってからは不要の思想に近いものとなる。

武士は「統治者」であり「士大夫」(為政者)であるのが江戸期の実際の姿で、理念的な意味での武士であった。」ところが、戦闘者に教養はそれほど重要な必要性はないのであったが、時代の変化と共に、士大夫としての職分を果たすためには、それなりの教養が求められるようになって来る。このように考えてみると、「藩校」という「武士としての教養を身につけさせる機関」が、江戸中期以降の各藩に創設されたことも首肯出来るのである。武士としての階級は正しく存在したが、戦闘者としての武士でなくなってしまった所に、理念と現実が乖離した姿がある。

そもそも、「武士道」なる言葉が多くの人々に流布したのは、明治中期以降なのだそうである。それは「軍人精神」に求められるものとして、大変都合のよいものとなったのであった。そうして、理念としての武士道的精神を身につけていることが、軍人の必須要件のようになった。明治時代の中期には日清戦争、そして日露戦争が行われたが、この軍人(軍隊)の精神に武士道的なるものを要請する論理として、武士道概念が応用された。だから明治11年に公布された「軍人訓戒」や4年後に天皇が軍人に下した「軍人勅諭」と大いに関係があると考えてよい。

それはまた、武士道と理解されがちな「士道論」とも大いに絡むのである。士道論とは、菅野覚明氏によれば「武士の理念、規範を儒教道徳によって説明されるもので、武士道に対して、太平の世が新たに生み出した武士の思想」であって、これが江戸期の武士の思想の主流であった。その代表的な人物が、吉田松陰が「先師」と呼んだ山鹿素行である。吉田松陰を理解するのは容易ではないが、山鹿流兵学を学んだ人物であるからには、この武士の思想としての武士道や士道論を避けて通るわけにはいかない。この二つは似て非なるものなのだそうである。事実、『国史大辞典』」の「武士道」の項目を除いてみると、区別されている。執筆者の相良亨さんは、講談社学術文庫で『武士道』を刊行している。
いずれにしても、この問題は、時間と労力をかけても理解しなければならない、小さくて、また大きな問題でもある。松陰を理解するためには、これが必要なのである。
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この記事に対するコメント
 
「武士道」ということばはよく聞きますが、一体はどういうことなのか、今まで分かりませんでした。
コメントを読んで少しは理解できた気がします。
日本人として自分ももう少し「武士道」を勉強してみたくなりました。ありがとうございます。
【2011/08/28 19:34】 URL | 無学鈍才男 #- [編集]
最近「tsunami」と云う日本語は東南アジアやアメリカではよく知られるようになりましたが、
教養ある人達は「bushido」と云う言葉も知っています。
先人が「武士道」として説いたのは日本人の「美しい」とされる生き方の「道」です。
それは自分を律するための「道」でもあります。
今回の震災報道でも「非常時の日本人の振舞い」が海外で話題になりました。
私は最近、藤原正彦の「日本人の誇り」を読みましたが、
平成17年頃には氏の「国家の品格」(新潮新書)に強い感銘を受け事があります。
アメリカの大学で数学者として教鞭をとられた氏は、今、日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻す事だと説いています。

小説「八甲田山死の彷徨」の著者、新田次郎氏を父に持つ、藤原正彦が武士道精神を持つようになったのは、氏の受けた家庭教育によるところが大です。
「私にとって幸運だったのは、事ある毎にこの「武士道精神」を叩き込んでくれた父がいたことでした」と『国家の品格』に書いています。
「父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、『弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ』『暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ』と繰り返し言った。問答無用に私に押し付けた。義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう」と。
氏は、特に卑怯を憎むことを、心に深く刻まれたようです。
「父は『弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だ』と言うのです。私にとって『卑怯だ』と言われることは『お前は生きている価値がない』というのと同じです。だから、弱い者いじめを見たら、当然身を躍らせて助けに行きました」と書いている。(『国家の品格』)

ここに出てくる「武士道」を私は新渡戸稲造の「武士道」の本を読んでから、「武士道とは何か」を考えるようになりました。
実は新渡戸が都合のよいように解釈して現在考えられている「武士道」を作り上げたのだと私は思っています。
本の冒頭ではベルギーの学者が「日本の学校では宗教教育というものがない」と聞き驚いた事が書かれています。「宗教がない」とは・・欧米人には考えられない事で、子孫に道徳教育をどのようにして授けるのか、彼等にはとうてい考えられない事だったからです。
キリスト教が文明の基礎となっている欧米では、道徳は宗教を元にしたものであり、宗教なしに道徳教育など考えられないのでしょう。
しかし、日本にはそれに代わるものがある、それは「武士道」だと新渡戸は思い至ったのです。
そもそも「武士道」は、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理及び価値基準の根本をなすもので、聖書のようなマニュアルなんか存在はしないが、心の中で体系化された思想だったのです。
近年述べられる「武士道」の多くは、平和な江戸時代に官僚的な幕府制度を維持することが目的であって、決して、実際の戦闘で役立つ思想や哲学でなく、高潔な人格を尊ぶ道徳性は、いつの時代にも必要とされたのです。
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という藤堂高虎の遺した家訓に表れているように、自己を高く評価してくれる主君を探して浪人することも肯定しています。
また、「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」という朝倉宗滴の言葉に象徴されるように、卑怯の謗りを受けてでも戦いに勝つことこそが肝要であるという冷厳な哲学をも内包しているのが特徴であります。
道徳大系としての武士道とは「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」、ひいては「家名の存続」という儒教的態度が底流に流れているものが多く、それは江戸期に思想的隆盛を迎え、武士道として体系付けられるのです。
内村鑑三や新渡戸稲造はキリスト教信者であり、教育者であり思想家でありました。
特に新渡戸はキリスト教徒の多いアメリカの現実に衝撃をうけ同時にキリスト者の倫理観の高さに感銘を受けたようです。
新渡戸は現地の教育関係者との会話において日本における宗教的教育の欠落に突き当たった結果、1900年明治33年にアメリカで「Bushido: The Soul of Japan」をアメリカ人の奥さんの助けも借り刊行しました。
この「Bushido: The Soul of Japan」で新渡戸は、「武士道」こそ日本人の道徳の基礎にあるものだという事を、欧米人に知らしめたので、こんなアジアの非白人小国でも戦前は欧米先進国では高い評価をされていたのだと思います。
本書はセオドア・ルーズベルト大統領など政治家のほか、ボーイスカウト創立者のロバート・ベーデン・パウエルなど、多くの海外の読者を得て、『武士道』として桜井彦一郎が日本語訳を出版しました。
新渡戸にとって武士は国際社会において日本人の倫理感の高さ、国民一人一人が社会全体への義務を負うように教育されていると説明するのに最適のモデルであったとするのが今日の一般的な見方であると思います。
そのために死生観とそれの美学がありました。
しかし、そのような精神性が、現在の日本人には一番欠けているようにも私には思えます。
現在まったく「武士道」が残っていないかというと、阪神大震災や東日本大震災などを見ても明らかなように、感情的にならず、冷静に整然と秩序を守って事にあたる精神があり、公徳心もまだ大分残っています。あれが外国だったら、大変な暴動に発展し、さまざまな事件が起きていたはずで、やはり「武士道」は細々とではあるがまだ日本に生きているようでもあります。

「武士道」は本来、武士階級に発達したものでした。「だが」と新渡戸は書いています。「武士道」は「やがて国民全体の憧れとなり、その精神となった。庶民は武士の道徳的高みにまで達することはできなかったが、大和魂、すなわち日本人の魂は、究めるところ島国の民族精神を表すに到った」。そしてそれが武士だけでなく、日本人全体の道徳の基礎となっていることを新渡戸は述べています。

また、新渡戸は、欧米人にとっては日本には宗教がないと見られがちだが、「武士道」には、神道・仏教・儒教の顕著な影響が見られることを説き、日本精神には、独自の深い宗教性があることを明らかにしています。そして、この精神は世界に通じる精神であると唱えています。
しかし、戦後の「東京裁判」では「悪いのは全て日本の軍国主義」と結論づけられました。
「東京裁判」は欧米人にとっていかに都合のよい裁判であったか、いかにいい加減であったか・・これを詳しく検証してみれば分かる事です。

藤原正彦氏は「日本人の誇り」で最後に以下のように結論づけています。
「武士道」の国、日本、その日本人の築いた文明は、実は日本人にとってもっとも適しているだけではありません。
個より公、お金より徳、競争より和、主張するより察する、側隠や「もののあはれ」などを美しいと感ずる我が文明は、「貧しくともみな幸せそう」という、古今未曾有の社会を作った文明なのです。
日本人特有のこの美感は普遍的価値として今後必らずや論理、合理、理性を補完し、混迷の世界を救うものになるでしょう。日本人は誇りと自信をもって、これを取戻す事です。これさえあれば我が国の直面するほとんどの困難が自然にほぐれて行きます。さらに願わくば、この普遍的価値の可能性を繰り返し世界に発信し訴えて行くことです。
現代の日本はまさにその苦境に立たされています。日本人の覚醒と奮起に期待したいものです・・と。

かつての日本人は高い精神をもっていました。その精神のよき表れが「武士道」でした。この「武士道」を見直すことを通して、現代の日本人が忘れている、日本の精神文化を取り戻すことが出来ると私には思えます。  
【2011/08/22 12:46】 URL | Y.N #- [編集]
 
「武士道」と「士道論」のこと、拝読しました。信仰を持たない日本人には、自己の立脚地となる哲学が必要なのだと思います。今日の政治家、官僚、学者、マスコミの全てが、この立脚地(大義)を忘れて、金と権力に阿ていると感じます。庶民の私も立脚地を持たないために、ただの批判者です。東   壽
【2011/08/13 14:09】 URL | #- [編集]

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