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ペリー来航のこと
【2011/09/20 11:08】 エッセイ
麗澤大学教授の「松本健一」氏の著述に、「白旗伝説」というのがある。
白旗伝説


松本健一


これは、1990年代にある種の「論争」を巻き起こした、大変興味を覚えるもので、『講談社学術文庫』から、刊行されている。
ペリーの白旗 


この論争経緯についての著作が「ペリーの白旗」と題して、毎日新聞から刊行されている。著者は岸俊光さんで、副題として「150年目の真実」とされている。この内容が面白い。
東大史料編纂所に所属している研究者が、反論している。つまり、松本さんの云う「白旗」の勧告文書はなかったというのである。それは、よいとして興味をそそるのは、「松本健一」氏が、在野の歴史家であって、正当な歴史学者でないというレッテルを貼った反論の言い分である。降伏を決断した「証」としての「白旗をかかげよ」との文書のことなのである。
白旗


これをめぐっての、甲論乙駁が面白い。読んでいて笑い出してしまうのである。東大史料編纂所という、権威を振りかざした反駁論文のようである。在野であろうが、東大であろうが、それは関係ない。「史料が存在しない」というのが論拠であるようだ。失礼千万なのは、その東大史料編纂所の「職員?研究者」の態度である。松本氏は「評論家」だから、いけない。私の様に、権威ある正当な歴史学者と異なる。との言い分がおかしいのである。
ここには、日本史に関する限り、東大にあらずんば! の性根が見え隠れしているようだ。

実証主義は歴史研究で、欠かせない大事なものとの認識は、歴史を勉強する者にとっては
当たり前である。だが、しかし、史料が存在しないというだけで過去の真実が明らかになるのであろうか? 事実と真実という紙一重の問題がその背景に横たわっているのである。

現代の裁判システムは、証拠や自白が根拠とされて、高度な判断が、それこそ人間の理性への信頼から発して下される。しかし、証拠や自白は、時に捏造や虚偽の自白という問題を孕んでいる。歴史の真実を追求する者にとって、史料至上主義は万能であるか?
ここは、疑問を呈する問題である。
何故か? 取り調べで、自己に不利になる自白は「黙秘権」という手段が、犯人と目される人物の権利として承認されている裁判の在り方と関連して考察すべきだろう。この沈黙と歴史の沈黙は混同してはいけないのは当然である。しかし、人間の在り方、存在の仕方を考えると、歴史は人間を抜きにしては考えられないのである。

だから、自己に不都合なものは「史料」として残すか否か? なぜなら、ペリーに与えられた権限は、「武力不行使」であった。つまり、恫喝(空砲を三度打ったので砲艦外交と呼称される)は可能であっても、ペリーは武力行使が出来ないのである。
黒船2425.10


軍艦に備えられた大砲(実弾)は打てないのである。ここが、彼の巧妙な自己顕示欲のなせる外交手腕、技術である。「脅し」は、禁止事項に指定されていたかどうか? こういうところが、歴史研究に求められる「史料批判」であろう。

私は「松本健一」氏に肩入れする積りは毛頭ない。しかし、ペリーの巧妙な恫喝外交戦略を見落としてはなるまい。証拠を残すと、任務遂行にあたっての遵守事項に抵触することを敢えて避ける知恵ぐらいは当然持っていたろう。ペリーは自己顕示欲の強い性格だったようである。
日本を開国させるという、歴史的に大きな使命を背負わされて来航したのであるが、それは米国の威信をかけた行為でもあった。イギリスに先駆ける為にも。
現実の確かな証拠を残さないように、周到な配慮をしながら、幕府高官以外には「面接不可」の姿勢をとったことの意味を考えることも必要だろう。
当然、「手柄意識」の旺盛だったペリーの人物象は簡単に思い浮かぶ。浦賀奉行の、まさに咄嗟の機転でペリーの意図を覆した功績は、幕府からすれば表彰物であった。無為無策の幕府(老中・阿部正弘)は、事前に意向を予告されながら、なすすべもなく時間の経過に任せてしまったのである。さらに、自己責任を回避すべく「諸大名や御目見え以上」の人物に諮問した。つまり、意見を徴収したのである。「祖法の重み」に堪えられなかったのか?

まるで、現代のサラリーマンを想起させる。さらにいえば、現代の総理大臣も阿部正弘と五十歩百歩である。命がけではない政治家的態度は、何故か、いまの政治家の心根に相通ずるものがあると思うのは私一人だけではないだろう? 誰だって、自分が可愛いのである。傷つきたくないのである。もっといえば、後世に悪名を残したくないのである。
松陰が「武士道」の衰退を『将及私言』で嘆いたのも、下田から密航を挑んだのも、そんな為政者への不審と、「日本の独立を守ろう」とする、強い民族意識があったからであろう。
その意味で、松陰はナショナリストのさきがけでもあるのだ。
松陰先生24.3.31


だから、吉田松陰の人気は、今でも衰えないのである。今、日本人の欠如しているものを大半の日本人は、それとなく感じている。「日本の危機」は、今、「ここ」にある! というように。それゆえ、一命を擲っても、日本を救う強い義務感にかられた松陰は、必死の覚悟で生涯を送ったのである。辞世の句を読んで見よ! 「吾、今、国の為に死す!」との自己の信念を詠った。これを聞き入った関係者は、一瞬「茫然自失」の態であったといわれる。評定所(今の最高裁判所に相当)の高官はもとより、その場に居合わせた人々はみな、心打たれてしまったようだ。

話が脱線してしまったが、史料の存在を全てとする歴史学研究の在り方に、違和感を覚えたので書いたのである。
要は、歴史の真実と歴史の事実は同一ではないということを、云いたいのである。
私は、幕末維新の時代を勉強しているが、歴史書に誤った記述を時々散見する。素人の読者(失礼!)は、記述に疑いを抱かずに、そのまま受け取ってしまう危険がある。記述に万全を期さなければならない所以である。

萩藩の「明倫館」と、水戸の「弘道館」を取り違えている本もあり、指摘したこともあった。下田密航のときの松陰の偽名を相方と間違えていることに気付いたこともある。「爪中万二」が松陰であるのは吉田家の家紋が「卍」から来ているのだ。それを金子重助に書き間違えていた事、そして本来は「水戸の弘道館」と書かなければならないのを「水戸の明倫館」と記述しているのがあるのだ。これは、すぐに出版社に連絡して訂正を願った。これは、裏付けを調べ上げないと、時と場合によっては「名誉棄損」として提訴されてしまうので、ことは慎重を要するのである。

最も懸念しているのは、文久二年一月に坂本龍馬が「萩」を訪問し、応対した人物が高杉晋作のように記述した「くだり」である。有名な「ついに諸侯恃むに足らず」の文言である。龍馬が志士としてはばたく契機となった、長州藩の考え方にふれたくだりである。
此の時、高杉晋作は幕府の上海行きに同行していて、江戸から上海へ向かっていたはずである。それを、どうして、萩に武市瑞山の名代で訪れた坂本龍馬に、高杉が応対できるのか? 実は、応対した人物は「久坂玄瑞」なのである。

この裏付けを確認するのには、久坂玄瑞全集(福本義亮編)の『江月齋日乗』(291~292頁)を確認すること。そして高杉年譜の文久元年6月に藩からの「江戸出仕命令」を受けて、7月10日「江戸着」そして、12月23日に幕吏に従い上海行きの命令、翌年、即ち文久二年1月4日江戸出発、2月初旬、長崎着。(海原徹著、ミネルヴァ書房:日本評伝選『高杉晋作』301頁)と、そして高杉晋作全集・下巻、「年譜」(569~570頁)に記されている長崎経由上海行きの航路途上を確認する必要がある。こうした確認をしないと、大変なことになるのである。
白旗伝説から、逸脱してしまったが歴史の真実と事実を見極めるのは、大変な仕事である。
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この記事に対するコメント
オレはこの本を読んで面白い男だと思うよ。総理大臣になっても愛する女にメタボレ。日本のトップになった日にも直筆の詩を贈ったんだ。角栄は何事においても情熱的だったんだよ。
一国民としてはこんな大物でカリスマ性のあるトップが現れるのを待っているぜ。
【2011/10/19 16:12】 URL | カリスマ待望論者 #- [編集]
「文芸春秋」の記事、私も読みました。日本の総理大臣もこんな程度かと呆れてしまいますね。字は無教養丸出し。誰の金でここまでやれるんだ?と思いますね。
角栄の舎弟、小沢一郎なんかカワユイものですね。かつての自民党の悪党どもと比べれば。
国会議員、こんな人達が国民の代表だと思うと「あほ」らしくなります。
今頃、田中真紀子はこの記事、公表されて冷汗かいているんじゃないですか?
【2011/10/14 14:46】 URL | 権兵衛 #- [編集]
昨日のニュースでもご存知のように・・米韓FTAが米議会で批准されました。
これで少しは日本にも危機感が生じて、TPP参加の議論に弾みがつけばいいのですが、首相が全く決断できない。
日本がTPPに参加できなかった場合、野田首相はどのツラ下げて来月のAPECホノルル会議に出て行くのでしょうか。
日本外交の面目も丸つぶれですけど、野田さん自身は自分のメンツを守ることよりも、政権の安全運転の方をとる人だと思います。
外国との交渉を始めるかどうかという判断は、首相が決断すればいいだけの話であって、本来は閣議決定も不要なんです。
TPP交渉への参加が、なぜこんなに問題になるかと言えば、「今の与党は物事を決められない」という懸念があるからでしょう。
これが自民党時代であれば、総務会を通してしまえば自動的に政府・与党の意思決定ができたので、深く悩まなくて良かった。
ところが民主党は意思決定メカニズムが確立されていないので、政府内の意見さえまとまるかどうか分からない。
本来であれば、民主党が割り切って「自民党化」してくれれば話は早い。
ところがそれはできない。
経済財政諮問会議を復活させればいいだけの話を、わざわざ「国家戦略会議」とかいう組織を作ろうとするあたりに、自民党を否定することで始まった党の不幸がある。
これが経済財政諮問会議であれば、すでに法的な枠組みが出来ているので、そこで決まったことは自動的に実現することになるだけ。
官僚もこれには逆らうことは出来ない。
しかし、その枠組みが使えない。なぜなら野党時代にその手続きを批判していたから。
今の民主党をまとめている強力な動機のひとつは、2005年の郵政選挙で小泉さんに負けたという共通体験だけなのだと思います。
あの悔しさのお陰でひとつになれた。
そんなこと、本当はどうでもいいことなのにね。政権を取って2年たつけど、野党気分はまだまだ抜けないのでありましょう。
ということで、「日本政府はTPP参加を決断できない」ということなる。
TPP参加を決断できないと分かった瞬間に、野田政権と日本外交には大きな挫折感がもたらされることでしょう。
【2011/10/14 11:11】 URL | T.Y #- [編集]
文芸春秋「霞ヶ関コンフィデンシャル」の田中角栄の「角栄の恋文」
就任当時は「今太閤」ともてはやされ、後には「目白の闇将軍」と畏れられた角さんは、本宅の外に芸者さんを囲い、なおかつ金庫番の秘書にも子供を生ませていた。しかるにその実態は、「永田町の艶福家」や「英雄色を好む」とは程遠かった。角さんは、「越山会の女王」佐藤昭の前では小心翼翼となり、自らの愛情の深さに汲々としていたことが、直筆の手紙によって明らかになってしまった。あ~あっ・・大物政治家といってもこんなもんか。
【2011/10/13 13:26】 URL | T.Y #- [編集]

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