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吉田松陰の美しい書簡紹介
【2012/02/07 23:11】 エッセイ
「吉田松陰書簡」の一節

吉田松陰は生涯に六百三十通もの書簡を残している。(全集第七・八巻、大和書房版)吉田松陰の書簡は、その数量もさることながら、内容も多岐にわたり、多くの人々に宛てたものであるが、最も人口に膾炙し、読む人の心を打つものを紹介してみたい。
ここで採り上げるものは、全六百三十通のうちで、六百二十四通目となっているものであって、それは処刑される一週間ほど前に、親族に宛てて書かれた書簡である。安政六年十月十六日に四度目の呼び出しが行われ、「口書」(調書)の読み聞かせがあった。(全集第六巻『留魂録』)この時に、松陰は死刑の判決を察知したようである。
そこには以下の様に記述されているので、記して見る。
『十月十六日に至り、口書讀み聞せありて、直ちに書判せよとの事なり。余が苦心せし墨使應接、航海雄略等の論、一も記載せず。唯だ數個所開港の事を程克く申し延べて、國力充實の後、御打拂ひ然るべくなど、吾が心にも非ざる迂腐の論を書き付けて口書とす。吾れ言ひて益なきを知る、故に敢へて云はず。不満の甚だしきなり。甲寅の歳、航海一條の口書に比する時は雲泥の違と云ふべし』とある。
おそらく、安政元年の下田踏海の取り調べの時と比べて、評定所役人の態度が全く異なり、これでは尋常ならざる判決に違いないと松陰は覚ったものと思われる。

この書簡を読むと、父百合之助と叔父玉木文之進や兄梅太郎への訣別の言葉となっていて、一般的には「永訣の書」と呼ばれている。
特に、この書簡で詠まれている『親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん』は、松陰の親思いの、心を打つ歌として、松陰関連の本には必ずと言ってよい程に紹介されている。
日本の将来を案じ、「至誠にして動かざる者は未だ之有らざるなり」と云う信念でこれまで生き、真摯に事に当って来た松陰であったが、彼の計画は殆ど頓挫となってしまった。処刑による死を覚悟した松陰の心境は、挫折感と将来への期待とが入りまじったものと想像されるのである。
この書簡は、三十歳に満たない松陰の遺書とはいえ、澄み切った心境で書かれており、松陰の人生観を垣間見るような文章である。「神国未だ地に堕ち申さず」や「松下陋村と雖も誓って神国の幹とならん」との、自分の志を継承してくれる者がいることを確信したから、このような美しい文章になったものと考えられる。
最後の著作となった『留魂録』と、あわせてよむことをすすめたい。それは、講談社学術文庫に、古川薫さんが現代語訳と共に、『史伝・吉田松陰』も書いており、松陰研究の入門書ともなっている。これを読むと、「松陰精神」とはどのようなものであったのかと知ることが出来るように思う。また、この書簡からは、松下村塾で幾多の人材を育てたという、自身への納得感から来る将来への期待を込めた思いや、これまでの精一杯生きた充実感も読み取れると思う。それでもなお、誰を恨むわけでもなく、平生の學問が足りなかったために、このような事態になったと自身の来し方や学問を振り返っている姿には、讀む者をして自然と頭をたれてしまうのである。
短文なので全文を紹介します。
親思ふ23.3.29
父叔兄宛 (書簡)         安政六年(一八五九)十月二十日
松陰在江戸獄父叔兄在萩 三十歳

平生の學問浅薄にして、至誠天地を感覚すること出来申さず、非常の變に立ち到り申し候。嘸々御愁傷も遊ばさるべく拝察仕り候。
 親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらんさりながら去年十月六日差上げ置き候書、篤と御覧遊ばされ候はば、左まで御愁傷にも及び申さずと存じ奉り候。尚ほ又當五月出立の節心事一々申上げ置き候事に付き、今更何も思ひ残し候事御座無く候。此の漢文にて相認め候諸友に語ぐる書も御轉覧遊ばさるべく候。幕府正義は丸に御取用ひ之れなく、夷狄は縦横自在に御府内を跋扈致し候へども、神國未だ地に堕ち申さず、上に聖天子あり、下に忠魂義魄充々致し候へば、天下の事も餘り御力落し之れなく候様願ひ奉り候。随分御気分御大切に遊ばされ、御長寿を御保ち成さるべく候。以上。
十月二十日認め置く。
家大人 膝下
玉丈人 膝下
家大人(兄) 座下                       寅二郎百拝
杉梅太郎


両北堂様随分御気體御厭ひ専一に存じ奉り候。私誅せられ候とも、首までも葬り呉れ候人あれば、未だ天下の人には棄てられ申さずと御一笑願ひ奉り候。児玉・小田村・久坂の三妹へ五月に申し置き候事忘れぬ様御申し聞かせ頼み奉り候。呉々も人を哀しまんよりは自ら勤むること肝要御座候。○私首は江戸に葬り、家祭には私平生用ひ候硯と、去年十(一)月六日呈上仕り候書とを神主と成され候様頼み奉り候。
千住回向院松陰墓2012.3.28

硯は巳酉の七月か、赤間関回浦の節賈得せしなり、十年餘著述を助けたる功臣なり。松陰二十一回猛士とのみ御記し頼み奉り候。
以上
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ヘソクリ半減、小遣いなし…「ノダ家」破綻寸前
 2012年度予算案の歳入と歳出の単位を1兆円から10万円に置き換え、ドジョウのノダ家の家計に例えてみた。
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【2012/02/13 15:41】 URL | 立ち上ろうとしている若者 #- [編集]

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