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吉田松陰の学問観、人間観の一節
【2012/02/10 13:44】 エッセイ
「自ら松柳の詩の後に書す」
丙辰幽室文稿 安政三年(1856)三月二十五日 二十七歳
吉田松陰と高杉晋作24.3.25


予が友來原良三は志確くして量広く、将に往々俊傑の才を顕はさんとす。而して獨りその学未だ充たざるを惜しむのみ。謂う所の學とは、書を讀み、古を稽ふるの力に非ざるなり、天下の事體に達し、四海の形勢を審かにする、是れのみ。方今天下の事、四海の勢、吾れ未だ其の底止する所を見ざるなり。唯だ其れ未だ底止せず、當に為すべき所以なり。必ずや一国を正し、而して諸侯を正し、而して幕府を正し、而して朝廷を正し、而して四海を正す。規模先づ己に定まりて、次に仍て之れを施す。是れ吾が謂ふ所の學なり。然るに良三は実に未だ其の學あらざるなり。去年良三栄選に中り祐筆となる。余書を投じ歎じて曰く「良三復た學ぶに暇あらざるなり。良三の才識、畫せられて進まざるなり。何ぞ俊傑を之れ望まんや」と。・・・・・・親に事ふるに誠を以てし、己の外に得るものを以て父母の
栄と為さざるなり。躁進の韓愈すら猶ほ能く之れを言へり。良三にして行ふ能はずとは、何ぞや。何ぞ「晁錯、劉を安んずるも親に負句を奈んせん」と謂はざる。其の第二句に云ふ「已に孝子たり定ず忠臣ならん」と。夫れ忠を孝に求むるは、其の心を論ずるなり。人は唯一の心のみ。心は唯一の誠のみ。ここを以て君に事へば則ち忠ここを以て父に事へば孝、ここを以て官長に奉ぜば則ち敬、ここを以て子弟を誨へば則ち友、是れ其の義なり。

其の行に至りては所謂忠孝両全する能はざる、趙苞・徐庶の如き者あり。其の人皆自ら以て大罪と為す、而も君子は之れを恕せり。忠を以て孝と為し、孝を以て忠と為すは、固より自ら其の説あり。然れども良三の官となる如きは適々其の親を危うする所以にして而持自ら以て孝と為すは則ち誤れり。若し必ずしも父母を危うせずと為し、而も自ら以忠と為すとも、亦惑へり。然らば則ち孝子の忠臣たる、吾れ知らざるなり。何ぞ「孝子たらざるも乃ち忠臣」と謂はざる。其の第三句に云ふ、「官途多く清流の擯するところとなる。噫、良蔵も亦書生にして清流を以て自ら居りし者、一たび官途に進めば、乃ち清流を外視して以て此の言を作す、甚だしいかな。夫れ士の道を講ずるは、固より将に朝に登り官に當り、君に致し民に澤せんとすればなり。」・・・・・・(以下、省略)

これには「躁進を戒むるなり」という副題がついている。それは、世間の者は、あげて大器晩成を嫌い、軽薄な才子は出世の早いことを競っているという世情を聞いて、柳と松を比喩として批判したものである。柳は成長が早いが弱いし用材にも適さない。これに比して松は育成するのに時間がかかるものの家屋に不可欠な材となるのであり、人も松の木のようにありたい。この文は松陰が第一の友とする來原良蔵が二十七歳で祐筆役に抜擢されたことを憂慮して綴ったものである。良蔵は「俊傑」になる素地をもっているが、なお学問が未熟である。今、この重い役に就けば学問する暇がなく「俊傑」は望めなくなると憂慮している。松陰が「學は人たる所以を学ぶなり」と、松下村塾記に書いたことと考え合わせるとこの意味がよくわかる。
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