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吉田松陰伝記(研究書)第四号の話
【2010/07/18 17:53】 エッセイ
玖村敏雄著「吉田松陰」昭和11年12月15日 岩波書店刊
今日は前回の徳富蘇峰に続き、松陰研究書の最高峰として「絶賛」されております玖村敏雄先生の「吉田松陰」の紹介です。

玖村敏雄吉田松陰


この著書で「教育者・吉田松陰」の評価が揺るぎないものになりました。松陰は多面的な側面をもつ人物です。従って研究者の視点によって描かれる「吉田松陰像」はそれぞれに異なります。それは大略「歴史学」、「教育学」の方面からの研究と言ってよいでしょう。
「政治思想史」方面からの研究は歴史学の範疇で考えられます。他に、「維新の先導者」「思想家」「革命児」「憂国の志士」等々多方面からの人物研究として吉田松陰が語られています。極端なのは「岩波書店刊行・日本思想大系」の吉田松陰解説です。これは敢えて、論評を避けます。ただ、松陰は右からも左からも人気があるとだけ申上げておきます。



さて、「定本・吉田松陰全集」(昭和11年刊行、菊版、全10巻)を紐解くと、詳細な年譜(歿後を含む)が40頁に渡って書かれている。続いて第1章の玖村敏雄先生の著述になる『吉田松陰伝』が208頁を要して書かれている。少し文語調や引用漢文、旧漢字があるが大体読めます。所謂「本格的な伝記」です。これに補正加筆を加えて単行本の研究書として刊行されたのが、名著中の名著「吉田松陰」(昭和11年、岩波書店)です。
蘇峰が維新前史を含んだ「明治維新」に力点を置きながら、歴史の叙述として松陰を執筆したのと異なり、玖村先生は「人物・吉田松陰」の生涯を、思想を含む全般にわたって詳細に記述しています。
全集の編集委員として遺文等を読み込んだノウハウの上に、研究者の筆致で松陰の全体像を描ききって余りあります。随所に全集の引用があり(この出典を確認するには定本の全集が必要)、きわめて実証的な研究書としてハイレベルであり、ほぼ完璧な伝記といってよいでしょう。それは、次の記述でも髣髴できます。玖村先生のお弟子さんである辻信吉著『玖村敏雄先生伝』(昭和53年、ぎょうせい)には「玖村には人格的に松陰を私淑、敬慕する念が篤く、研究という知的、精神的活動がすべて松陰について学ぶという態度をもって終始していることにも特性がある」と書かれています。玖村先生の松陰研究の実績と名声は他の追随を許さないと言っても過言ではないかも知れません。  
これらの業績を称えて「胸像」が先生の故郷に建立されています。慶應大学の福澤諭吉や早稲田大学の大隈重信の銅像が建てられているのと少し趣が異なります。学園創立者という特殊要因がこれらの建立をみたのであるが、玖村先生の胸像はご自身が学園創立者ではないのが異彩を放っているのであります。

山口県に生まれ、廣島高等師範教授時代の業績でありますが、特筆すべきはご本人の研究業績はもとより、その名声に恥じぬ「門下生育成」も、なみなみならぬ情熱で門下から沢山の研究者が育ったのであります。そして、あたかも「廣島高等師範」が「松陰研究のメッカ」のごとき観を呈する程の、伝統の源となったのであります。まさしく松陰が書いた大論文たる『幽囚録』を読んで感激し、安芸から萩まで松陰を訪ねて来た「勤皇僧・宇都宮黙林」との文通で、松陰が「若し僕幽囚の身にて死なば、吾れ必ず一人の吾が志を継ぐの士をば後世に残し置くなり」(大衆版・第八巻443頁)をそのまま実行したかの如くです。そうして終戦時に文部省の本省課長として「GHQ」と文部行政について渡り合い、権力に対しても納得しない限り「うん」と言わず、骨のある態度を示したエピソードが残されているのです。その権力に阿らない態度もまた「講孟余話」の『経書を読むの第一義は聖賢に阿らぬこと要なり』(同3巻、23頁)と松陰が解釈にあたって、注意を喚起したのと同様に、自らの信念を貫いた方だったようです。最初の全集の反省に立って「普及版・吉田松陰全集」の編集も行い、これとセットの形で「吉田松陰の思想と教育」(岩波書店・昭和17年)を上梓。これまた不朽の名著といわれる。また、講演の内容を刊行した松陰関連書に「吉田松陰の精神」(春陽堂・昭和19年)、「吉田松陰の思想と生涯」(山口銀行厚生会・昭和43年・非売品)があります。共著では西川平吉先生との「講孟余話の研究.上」(大阪新聞社・昭和19年)もあり、これは全集編纂にあたって、玖村先生が講孟余話を担当したのに起因しています。
その他、「吉田松陰遺墨帖・2冊(松陰の遺筆を写真化、解説)」や玉川大学出版の「日本教育寶典・吉田松陰」も編集して松陰教学の普及に、不朽の功績を残されました。元々「東西教育史」を専門に、「ペスタロッチ」の研究者を目指していたのが、松陰全集刊行のご縁から「松陰研究への方向転換」に悩み抜いて恩師に助言を求めて松陰に没頭することになったと「玖村敏雄先生伝」に記されています。
その難関は、漢文に精通すること、中国思想史(東洋思想)に精通することの二つが大きく立ちはだかったようです。精魂を傾けるということばがありますが、将に血のにじむような全力投球での研究だったようです。したがって「ペスタロッチの生涯」(玉川教育新書・昭和35年)の著書や、「教育における伝統と創造」(玉川大学・昭和43年・編著)においても「江戸時代の教師像点描」で松陰が語られていますし、「玖村敏雄先生還暦記念論文集」(非売品・玖村敏雄先生還暦記念事業会刊行・昭和32年)なる記念誌も刊行されています。上記のように教育学研究者としてこれ程の高い業績を残され、戦後は山口大学の学部長、そして福岡教育大学の学長を最後に務めました。明治29年生誕、昭和43年歿ですから72年の生涯ですが、大きな功績と名声を博しての教育研究人生は「お見事」としか言葉が見当たりません。
このように玖村敏雄先生は、以前に紹介した「海原徹」先生と並んで我が家の書庫を埋めています。この二人の戦前、戦後をそれぞれ代表する「吉田松陰研究の大家」は奇しくも山口県のご出身であります。私達はこの両先生の研究のお陰で、松陰に学ぶ機会を比較的恵まれた環境下で勉強出来ます。
そして今、山口県は長野県と共に「教育県」として併称されています。山口県内における松陰研究の伝統は「財団法人・松風会」によって、松陰の教学普及活動が今もなお精力的に進められています。ここで刊行されている「機関誌・松門」の愛読者は全国に及んでいるようです。私も、昨年この機関誌に投稿しましたところ、与論島の教育長をされている方から「感動と激励」を込めた電話を頂きました。ありがたいことです。
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この記事に対するコメント
 
船橋NB様 
 貴重なご提言有難う御座いました。仰せの通り、長文への忠告はこれまで何度か頂きました。私が欲張りなのか、『要を得て肝』の文章力不足かです。いずれにしても、『簡単、明瞭、直截』なることを心掛けなければと思っております。

『幽囚録』と『留魂録』の書き込みがまだ残っていますので、これだけは少し長くなるかもしれません。

 一般的なブログのありかたを逸脱していることは承知しております。学生が読んでいることもあって長文になっていることもあります。それにしても、松陰の勉強は骨が折れます。将来的には短文にして、読みやすくしようと思っています。ありがとうございました。
【2010/08/12 16:04】 URL | 長谷川勤 #- [編集]
長谷川先生

出版界に勤務する者です。
長谷川先生のブログをいつも興味深く読ませて頂いております。
「吉田松陰」に関することをここまで研究されていることに深い尊敬の念を持っています。
ただ、ひとこと言わせて頂くと、ネットサーフィンする多くの方に閲覧させようとすると、全体に文章が長すぎるように感じます。勿論、長谷川先生の文章は一種の論文ですから、我々の扱う、文章とは違うことは充分理解しておりますが、折角、一般に公開された研究ブログですから、一人でも多くの「吉田松陰」ファンに読ませるためにもある種のテクニックを使うと有効だと思います。
一般に雑誌などのメディア向けのプレスリリースは2枚を超えると読まれなくなります。
文章が長くなると、伝えたいポイントが拡散して分かりにくくなるためです。
編集部には日々たくさんのプレスリリースが送られてきますので、一瞬で分かりやすく伝えないと折角の記事も見過ごされてしまうわけです。
転職の際に企業に送る職務経歴書も2枚までと言われていますが、それも同じ理屈です。
どうぞよろしくお願いします。

【2010/08/12 11:33】 URL | 船橋NB #- [編集]
いつも参考にしております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
【2010/07/24 02:04】 URL | 添え状の見本 #- [編集]
長谷川勤のインフォメーションブログを読んで下さった皆様へ。   ブログ開設から40日経過。沢山の良心的なコメントを読ませていただきまして感謝申上げます。難題の「吉田松陰」を研究することの厳しさを毎日、毎日、苦悩しながら取り組んでおります。毎日「揺れ動く胸中」と対決しています。「頑張ってください!」との激励には、本当に感謝しております。これなくしては、ギブアップしてしまいそうであります。今日は「日経文庫」の私の履歴書を読みました。私は群馬県出身ですので、福田赳夫、中曽根康弘を興味深く読みました。明治18年の内閣制度開設以来、山口県は現在の「菅直人」総理まで日本一の総理大臣輩出県となりました。実は、私事になりますが、私は「菅総理大臣」と同じ高校で、同じ年齢です。残念ながら国会運営の予測は、事の他厳しくなるようです。ただ、私が心配しているのは、現代の若者に松陰が求めて止まなかった「志」を以て生き抜くと言う人生観が希薄のように思えて大変に残念です。授業でも「士規七則」や「松下村塾記」を読下しにし、すべて「ルビ」を施して、読みやすくして学生諸君に「教壇に立ってよんでもらう」ことをやっていますが松陰の言わんとしている肝心のところを見逃しているようです。私には関係ない世界!ではなく、150年前に必死に日本の為に苦闘した松陰像の一端でも理解してくれたら?と祈るような気持ちで学生と勉強です。「吉田松陰の現代的意義」を相互認識出来ることが私の願いなのです。
昨日の記事は「玖村敏雄先生」の「吉田松陰」です。この名著は、繰り返し繰り返し読み返すことからその意味する所が解る様に思えます。「最も日本人らしい日本人」、それが吉田松陰ではないかと思うのであります。「私心なき生涯」を日本の為に捧げた吉田松陰、この人こそ「右からも左からも」人気があるようです。礼賛一辺倒でない、等身大の松陰像を書けるように願いながらの毎日です。私の記事に「大いなる建設的コメント」をお寄せ下さいます様御願い致します。現代の日本人が忘れてきた、大切な何かを再考できる機縁になれることを祈念しております。今後ともよろしく御願い致します。
【2010/07/19 22:27】 URL | 長谷川勤 #- [編集]

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