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吉田松陰とメディア
【2012/03/02 01:02】 エッセイ
ジャパンタイムス
吉田松陰とメディア

来年から掲題の科目名にて講座が開講される予定である。幕末期の「メディア」といえば、「かはら版」、「書簡」、「口伝手」、「風聞」、「立札」(掲示)、「命令書」、「書物」の類であろう。現代のような、発達した「マス・メディア」は、すぐれて「近代国民国家」の産物であるから、「テレビ」や「新聞」、「ラジオ」、「官報」の類は存在しなかったのである。
吉田松陰の時代(幕末)では、上記の手段に頼らざるを得なかったのである。だから「メディア」の原点は、広報技術ではなくて「人伝手」そのものなのであろう。

そういった意味で、松陰は「情報」なるものの価値と、速報性を重要視したさきがけの人物である。何故か? それは、ペリーの来航以来、日本中の出来事は急を要することになり、士農工商の全国民挙げての関心事となったのである。
飛耳長目地図


「全国」ということばが現在も使われている。この「語」に違和感を覚える人は少ないように思える。何故か? 「習い性となる」で、慣習となると人は違和感を覚えないのである。この全国という意味は、太政官の「クニ」の六十余ヶ国の名前の名残なのである。

高校で日本史を勉強すると、平安時代に「國司」なる言葉に出会うはずである。では「國司」と何か? 今の、国家中央政府より派遣された『知事』と思えばイメージが近い。(正しくは、知事が国家中央より派遣されたのは明治初期であって、現在の地元公選方式での選出とは異なる)。しかし、中央政府の傀儡であるから、中央の政令(命令、通達)に従わなければならない建前になっていたが、次第に土着化し「地元」での専権事項を増加させていった。その結果、「意」のままに、自分の統治する地域(國)で権力を振うようになる。

藤原氏の権力崩壊はこのような過程を経て、次第に権力を失ってゆくのであった。それは、権力基盤が実は、「経済力」に起因していたから、経済的な支配力をもっていた「國司」は、任期を終了しても、都に帰らないのである。人間、一度禁断の実を食べると、手放せないのである。このことは「日本荘園史」を学び給えというべきだろうか。一度握った権力の美味しさは、経験者でなければ解かるまい。それをやすやすと手放す人物はいないだろう。
吉田松陰

今日、政治家なる職業が、「美味しい」職業であるから、野心ある者は「こぞって」政治家志望である。政治家とは「身を捨てて公僕に甘んじる」という、覚悟がなければならない。
しかるに、それが「利権」というものに変容してしまった。高級サラリーマンとどこが違うのか。それは、魔物と言われる「権力」なのである。業病というに近い精神構造だろう。

官僚天国とはいうが、「事務次官」まで登りつめてからでは、政治家人生は遅いのである。若いうちに政治家?に当選して(転身)、その当選回数を増して、威厳を持たないと国会議員として芽が出ないのである。つまり不遇なのである。能力が問われるのは、今回の「防衛大臣」の失態で明らかになったが、かれは特殊な政治家に属するので、論外としておくしかない。「末は博士か大臣か、はたまた大将か?」といわれた戦前の理想の社会的出世観がまだ残っているのである。

いま、政治家と政治屋とが区分けされ始めている。人格を問われているのに、相変わらずの政治家である。しかも、衆議院議員となると、とてつもない大出世と勘違いしている世相である。見たまえ、官僚の中途退職者が、国会議員となっても、「官僚」から「あいつは、大した人物ではなかった。官僚として最後の出世レースにまで生き残れないから、議員に転身したのだろう」。と、この程度にしか思われていないのである。不祥事が起こるたびに「政治の信頼を取り戻す」努力を致して参ります。てな、言葉が、常套句になっている。その前に、吉田松陰のように「国家に殉ずる覚悟」がありやなしや?こそ、問われるべきものである。國家や民族の存亡をかけた生き方をしていない、現代の政治家たちが、言葉巧みに称えようとも、国民は事前に承知しているのである。
草莽崛起


傑出した政治見識や国際社会での識見を持ち合わせていない人物には、尊崇の念を抱かないのが現代の市民である。その意味では、田中角栄は複雑な立場で見られるであろう。

革新的な見識の実践には、偏見や誹謗が付きまとうのは昔も今も変わりがない。つまり、表面的にはいざ知らず、本質的には、人間そのものは変わっていないのである。
現代人が「偉い・偉人」と尊崇するのはどういう人物か? 熟考を要する問題である。
「伝記」を読めばそれがわかる。それは、自分の使命に敢然と立ち向かい、その結果「道半ば、または功なり名を遂げた」人物が、尊敬の対象となるのである。「一生懸命生きた」人が偉いのである。もっといえば、「世の為、人の為」にあらん限りの力を振り絞って生き抜いた人ということになるのであろう。

見たまえ! 日本の軍人の失敗を! 日清・日露の戦役の勝利を金科玉条として、時代の変遷を読み取れなかったエリート軍人のことを。大正年間の初期に起こった第一次大戦の実態を研究せずに、過去の栄光?と勘違いして、昭和の日本を滅ぼした人たちの精神構造を!
「陸軍大学・海軍大学」を主席乃至、最上位に近い成績で卒業した人物達を、通称『軍刀組』と尊称して、揚句の果ては将官までの栄進が約束されていた。将官を目指す前に、日本国があるだろう! 自分の栄達が、自己目的に変容して、いつしか国家目的がいずこに去ってしまったエリート軍人の姿を、我々は失敗に学ぶという、大きな命題で心底勉強しなければなるまい。

吉田松陰が、安政六年四月に知人(北山安世・佐久間象山の甥)に宛てた『独立不羈三千年の大日本』が、明治維新後、わずか八十年で日本は滅びたのである。つまり他国の占領(支配)を受けたのである。泉下の松陰は「憤怒の限り」の思いであろう。『吾、今国の為に死す!』と言った、彼に対してどのように申し開きが出来るだろう。 私などは、ただただ頭を垂れるのみである。
価値観が多様化した今、往年の価値観や歴史観を持ち出すのは、或る意味不謹慎かもしれない。でも、そのように言わないと【腹門癒し難し】なのである。憂国の至情なのだ。

現在、マスコミは「第三の権力」といわれる。昭和四十年代に、京都大学の会田教授が「日本の四大権威を叱る」なる、論文が文藝春秋に掲載されたが、思い起こしてもらいたいものである。朝日新聞、NHK、岩波書店、東京大学がその対象であったと記憶している。
大阪市の橋下知事が叫んでいる。「身分保障」(保証?)に胡坐をかいた人種に、警告を発している。それが、公平感を希求する民間(国民)の意思として人気を博している原点なのだ。吉田松陰の魂の叫びは、こういったことであったのであろう。
「萬巻の書を讀むに非ざれば寧んぞ千秋の人たるを得ん」なることばは、もって冥福すべしであろう。勉強も、命がけというわけだ。折しも、四十年振りに『吉田松陰全集』が再刊された。その直後にはもうすでに、入荷待ちとなったようである。これは、国家の衰退を救済せんとして、命がけで生きた松陰を希求する証でもあろう。昭和四十七年は「学制発布百年」を記念して「大衆版・吉田松陰全集」が刊行されたのだそうである。それが、再び刊行される意味を、深く考えてみる必要があるように思えてならない。
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