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吉田松陰の「月性」への書簡
【2012/03/04 13:10】 エッセイ
吉田松陰の書簡から、いくつか節目の事項(事件)が生起した時に、どんな行動をとったかを知るために、いくつか書いてみたい。
ただ、個人名が沢山出て来るので、松陰全集の『関係人物略伝』を参照しながらでないと、理解が難しいかもしれない。

今回は、ハリスとの通商条約交渉で、追い詰められた幕府が、天皇の支持を得る為、老中の堀田正睦が参内したが失敗に終わった情報を、門下の久坂玄瑞から書簡で知った松陰が、「勤皇僧」で知られる「月性」宛てに書いたものである。
勤王僧月性

此の月性という人物は、周防國の人で、宇都宮黙林とともに、松陰に思想的影響を与えた人物として知られる。

西郷隆盛と一緒に、錦江湾に入水して死去した「月照」と間違えられやすいが、この人は京都清水寺の住職で、近衛家と親しかった。「ひらがな」で書くと「げっしょう」なので、しばしば間違えられやすい。

松陰よりはるかにラディカルな思想を持っていた。萩にも講演に何度か訪れている。松下村塾と、藩校の明倫館とが対立関係となって、こじれた時に松陰は、とりなしを頼んだほどの交友があった人物です。早くから討幕を唱えていた人物でもある。

「月性宛書簡」  安政五年四月十二日
松陰在萩松本
月性在周防國遠崎

昨夜玄瑞・秋良(あきら)よりも書来り、二十日堀田参内の事申し来り候。實に天朝の正論抃舞(べんぶ)に堪へず候。二十日 勅諭の趣、外夷の事、箱舘・下田・長崎の外は絶えて来泊差許されずとの事、堀田震慄(しんりつ)拝伏退出と申す事。
右の趣に候へば事已に迫り申し候。秋良より委細申出で候や。勅諭も参り候由(別紙に寫し上げ候)、未だ写し取り申さず候。
玄瑞が先書は文周に寫させ上げ候様申付け候。文周も中々憤発、藝國へも些なりとも正氣発し候様致し度き積りと相見え候。御垂察然るべく御差圖下さるべく候。玄瑞・春軒とも溜京の願の事申し来り、爰許(ここもと)にて取計ひ仕り候。
先日申上げ候䔥海門の仙之允外一人が直八上京の策、昨夜周布へ申入れ置き候。
賞典の議論、政府も面白く相聞き候。
久保外二子一昨日口羽より歸られ候。口羽も母病きのよしなれども國事頻りに苦心□□□ず候。
今朝より来原舟木行、佐世・口羽へも参り候筈。詩觸は此の便に託し候。何分私少々氣分相、特に大紛冗詳かに書すること能はず候。萬、御推察頼み奉り候。
以上
十二日(安政五年五月)
寅白す
清狂上人 座前



『意訳』
昨夜、久坂玄瑞と秋良敦之助(重臣・浦靭負の家臣)から手紙が届いた。四月二十日、老中堀田正睦の参内の詳細。将に朝廷(天皇)の正しい見識に恐懼致します。

四月二十日、天皇はアメリカの申入れのうち、凾館、下田、長崎のみ寄港を許可したとのこと。堀田正睦は、大いに見込み違いで幕府権威を失墜し、愕然として退出したとのこと。まだ書き写していませんが、書類が届き次第書き写してお届けします。

久坂玄瑞からの先便は富樫文周に書き写させたが、彼も憤って安藝にもこれを知らせたい由。久坂・春軒(半井春軒、友人・江戸に遊学中)らも京都に滞留したい由、私も支援を手配中です。仙之允(䔥海の門人)ともう一人の時山直八が上京に向かう事、周布政之助に願いしておきました。

朝廷の勇気ある目出度い話、藩政府もどんな思いで議論しているでしょう。久保他の二人、は帰ったが、口羽は母の体調が悪いながら、国の艱難に苦心しています。今朝から来原良三・佐世主殿・口羽にも伝える由。作詩も添えます。ただ私は体調悪く詳細を書けず、何とか、文意を読み取って下さい。
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