長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

吉田松陰と久坂玄瑞(2)
【2012/03/13 23:16】 エッセイ
「久坂生の文を評す」現代語訳

前回、掲題の往復書簡を紹介した。久坂玄瑞の「義卿吉田君の案下に奉呈す」を原文の漢文にて記した。書き下しがあるのでそれを記す。(武田勘治著、昭和十九年、道統社:マツノ書店復刻版より)
久坂玄瑞、再拝し謹んで二十一回孟士義卿吉田君の座前に白す。
今茲春、鎮西に遊び、肥後に入りて宮部生を訪れ、談吾兄の事に及ぶ。
久坂玄瑞


生、吾兄を賞讃すること娓々としてやまず。誠の欽慕せること一日に非ず、且つその言を聞きて、欽慕益々堪ふべからざるなり。
乃ち将に短簡を修し以てその鄙衷を陳べんとす。
而して誠は吾兄を識らず、吾兄も固より誠を識らざるなり。
半面の識なくして乃ち短簡を修せんと欲す、自らその鶻突を免れざるを知る。
然れども、誠その面を識らずと雖も、しかし吾兄の慷慨気節にして天下の豪傑の士たることを識る。
之を識らずとは謂ふべからず。
而して吾兄獨り誠を識らざることしかり。

誠や鈍駑閽昧、謂ふに足るものなし。
而れども、皇國の土に居り、皇國の粟を食む、即ち皇國の民なり。
それ方今、皇國の勢如何や。綱紀日に弛み、士風日に頽れ、而して洋夷日に跳梁し、屢々互市(通商)を乞ふ、その意、必ず我が釁(すき)を窺ひてその欲するところを伸すに在るなり。

而して廟議は、暫く互市を許すを以てし、すの隙に兵備を巌にするに若かずとなす。
殊に知らず、互市を許さば即ち天下の人益々その無事に狎れて益々般楽怠傲し、兵備ついに巌なるべからざることを。

昔、弘安の役に、元使屢々我れに至る。
その書辭禮ならざるを以て、遂にその使を斬れり。
元師十萬來寇するや、精兵を以て之に當たり、彼れ一敗蕩然として生歸する者僅に三人。元また我が邊を窺はず。
あゝ我れに男子國の稱ある、うべならずや。もし方今をして弘安の如からしむれば、彼れ互市を請はゞ我れこたへて日はん、國法の禁ずるありと。
彼之を強ひば即ち宜しくその使を斬るべし。
ペリーの顔2012.02.08


天下の人皆いはん、彼れ必ず來寇す、般楽すべからざるなりと、綱紀必ず張り、士風必ず・・・・・・(以下闕損)


此れに対する松陰の厳しい返信も紹介した。
実は、これには裏話がある。大衆版吉田松陰全集の第六巻、三四九頁に「同じ標題の松陰の述作」が収載されている。

これは正しくは「妄見を録し以て來意に酬ふ」と題したもののようである。
此れを讀むと、松陰がどうして「久坂生の文を評す」を書いたか、その胸の内なり、事情が書かれている。
松陰が考え抜いた末に書いたことが解かる。以下、それを記す。
 



僕家居以来、誓って世と通ぜず。今、貴書を得て、答へざらんと欲すれば則ち來意に負き、答へんと欲すれば則前誓在り。因って貴書を還して以て前誓を踏、妄見を録して以て來意に酬ゆ。兄、其の意を知り、其の禮を略し、且つ人に語るなくんば幸甚と為す。〇僕の師治氣翁、余の為に令兄玄機を言ふこと悉せり。後、中村道太も亦屢々之れを言ふ。余、因って一たび其の人を見んと欲す、而して其の人則ち亡し、徒らに涙を堕すのみ。近人説く、玄機弟あり玄瑞と日ふ、亦奇士なりと。而して岸獄の人、固より外人を見るに由なければ、則ち是れ亦望を絶てり。今忽ち此の書を得。玄機を知らんと欲して得ず、玄瑞乃ち在り、玄瑞を見んと欲して能はず、乃ち其の文を讀む。僕の狂妄言ふに足らずと雖も、其の兄と相識るも、亦已に久し。議論浮泛にして、思慮粗淺・・・・・・(略)

更に、もう一つの裏話がある。
この返書をしたためた翌日の六月三日に、松陰が土屋䔥海に送った書簡では、松陰は玄瑞の書簡を讀んで、彼が非凡な人物であると直感した。それで確認したいと考えて、敢て厳しい返信を出した。つまり、ここにも松陰の教育的配慮が窺えるのである。


非常にドラマチックな出会いであり、この後往復書簡が交わされていて、松陰を理解するのに貴重なものなので、以下に「土屋䔥海宛」の書簡を記す。

元々は土屋䔥海の奨めで書簡を書いたのであったから、松陰は敢て土屋に再確認をしたかったのであろう。このようなわけで、久坂玄瑞と吉田松陰の出会いは、誠に劇的である。肥後で松陰の畏友である「宮部鼎蔵」から、「なぜ松陰に従学しないのか」と訝られ、まだ見ぬ松陰を敬慕していたのであったところへ、土屋からの奨めがあって「義卿吉田君の案下に奉呈す」が書かれたわけである。これは、数度に及ぶ往復書簡が遺されているので、可能な限り詳述したい。


「土屋䔥海宛」書簡
安政三年六月三日松陰在萩松本、土屋在萩

䔥海學兄
坂生志氣凡ならず、何卒大成致せかしと存じ、力を極めて辯駁致し候間、是れにて一激して大擧來寇の勢いあらば、僕が本望之れに過ぎず候。若し面従腹誹の人ならば、僕が辯駁は人を知らずして言を失ふといふべし。此の意兄以て如何と為す、如何と為す。
三日
松陰生


松陰は、短文の書簡を土屋䔥海に寄せて、胸中を語っている。後に高杉晋作と共に「松門の双璧」と謳われた久坂玄瑞。
師の松陰と共に、時代の流れによる「非業の死」が惜しまれてならない。
元治元年(一八六四)六月、「禁門の変」で鷹司邸にて負傷し、自刃してしまう。時に、二五歳。惜しみてもあまりある、短い生涯であった。
この連載は松下村塾の教育の一端が垣間見えると思うので、出来る限り詳しく書きたい。
関連記事
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kinnhase.blog119.fc2.com/tb.php/176-34224d2b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

検索フォーム ×

RSSリンクの表示 ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム ×

この人とブロともになる


QRコード ×
QR