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吉田松陰と久坂玄瑞(3)
【2012/03/16 12:22】 エッセイ
「久坂生の文」を評す③

第一回、久坂の松陰への反論

安政三年六月二日付、吉田松陰からの返信は手厳しかった内容であった。
反面では久坂への愛の鞭ともいえる事情を、前回記した。
併せて、久坂に松陰への手紙を出すことを勧めた土屋䔥海へ、松陰は胸の内を語って確認を求めた書簡も紹介した。

今回は、このような松陰の実情を知らずに久坂玄瑞が、反論して来たものを書く。
出典は前回同様(武田勘治著、マツノ書店復刻版。
久坂玄瑞(小)


六月六日辱く尊報を賜りましたが、讀了憤激し、一言坐下に白さざるを得ません。
來示に曰く「凡そ國勢を論ぜば、上は即ち神功皇后下は即ち秀吉にして可なり、時宗は以て國勢を論ずるに足らざる也」と。

一體方今は氣ちぢこまり力抜けして、しかも益々倉皇たるが本邦の情勢である。その勢は退嬰的である。艦を巨にし砲を大にして益々窺窬(きゆ:隙を窺う)するは寇虜(こうりょ、米英夷)であって、その勢は進攻的である。古人は言った、「我れ退くこと一歩なれば即ち彼の進こと一歩」と。寇虜の勢は一歩づつ日に進み、本邦の勢は一歩づつ退いてゐる。退く者は必ず守りがなければならぬ。守りが出來たら、そこで一歩進むべきである。一歩進むことが出來れば寇虜も退き守らざるを得ない・・・・・・。
朝鮮半島


神功皇后の三韓における、秀吉の朝鮮におけるは、瀾濤萬里、勲は海外に建つるもの。それは守るところあって然る後に攻め得たのである。方今は恐らくさうではない、氣ちぢこまり力泪衷(るいちゅう)してゐて、神功皇后の時の如く元氣伸び、秀吉の時の如く力振うてはゐない。しかも米英夷の強いこと朝鮮の弱い如くではない。要するに今日の情勢は昔日の情勢の如くではないのである。銃砲の如きも、寇虜の城郭の如きものは敵し得ないのであって、海外に出兵しようにも無し得るわけがないのである。
だから、神功皇后や秀吉の擧はこれを昔日に施すことは出來ても、これを今日に施すことは出來ない。

時宗元使を斬るや、天下の人は皆言った、「元は必ず来寇する」と。
元寇

かくて弓に絃を張り、劍を砥いで寇を待ち、その来寇するや一戦でこれを殲滅した。方今でもこの如くあらしむれば、ちぢこまってゐる氣必ず振ひ、泪衷してゐる力必ず伸びる。かくて我が守りに餘力があれば、彼も敢て進攻せず、我は進み得るのである。

その時に當ってこそ、神功皇后及び秀吉の擧をなすべきであり、宜しく武内たるべく、清正たるべきであり、その建勲昔日の如きも勿論困難ではない。謂ふところの「守は難く攻むるは易し」とはこれである。

然るに若し「使を斬るの擧、これを癸丑に施すべくして、事機すでに失す」等といって袖手傍観、坐して敗るゝを観てゐるのは果して如何であろうか。鄙語にもいってある、「兎を見て犬を顧みるも未だ遅しとなさず、羊を失ひて牢(羊小屋)を修補するも未だ遅しとなさず」と、必ずしも「事機すでに失す」とはいはれまい。虜使を寸断して四夷に武威を示せ。我に守りあって而して後に彼を攻むれば、何で彼が進攻し得よう。
然れざれば力愈々泪衷し氣愈々ちぢこまる。そして遂に言葉を鴃舌(けつぜつ:モズの声、外国語をさす)にして着物を左袵(ひだりまえ)にせねばならなくなるのは知れたことである。

郁離子はいってゐる、「一指の寒するや焙せ燠(あう:救は)ざれば即ちその手足に及ぶ。手足の寒するや燠せざれば即ちその四體に周し」と。古語にもいってある、「河決すればまた壅ぐべからず、魚爛(ハネ出す意)してまた全うすべからず」と。

然らば、魚ははね出さぬやうにして全うすべきであり、河は堤の切れない前にふさぐべきであり、一指が毒に犯されたた四體にまはらぬ中に斬りとって命を救ふべきである。天下の禍を除くことも、鴃舌をしゃべり袵を左にする前にせねばならぬ。なほ救ひ得るかも知れぬのに袖手傍観してゐてはなるまい。因循して現状維持を圖るなどは駄目である。即ち速に使爺を斬ることのみがこの際の天下の大計である。何で「時宗は以て國勢を論ずるに足らず」などいひ得るのであるか。

いはれるように誠(玄瑞)の任ずる所は醫である。弓馬刀槍ではない。舟艦・銃砲でもない。大将でもなく、使節でもない。一醫生の身で天下の大計を論ずるは樽俎を越える(分を越える)こと甚しきは、義卿(松陰)の言を待って後にやっと知り得ることではない。

けれども若し兵を用ひ、劍槊(けんさく)相磨し巨砲互に発するに至って、區々たる刀圭(醫療器具)を執って、旗皷の間(戦時下)にむなしく死するは、天下國家のために死するのではなく、一身のために死するのである。それを思って居常怏ゝ(おうおう)憤怒に堪へず、憤怒の餘りが心に発して紙に書かせたのである。しかしこれを敢て他人に語らぬのは語っても無益であるからで、義卿は豪傑の士だと知った故、ひそかに告げたのである。

然るに義卿は責むるに「慷慨を装ひ氣節を扮する者」を以てした。その不遜の言何で吾れ屈するものぞ。
醫生が天下の大計を論じたとて人は必ずしも信じないであらう。信じなければ即ち「口焦げ脣たゞると雖も、天下に裨益なし」と謂はるるも尤もである。けれども誠の大計を論ずるは憤怒の餘りに出づるのであって、固より強く責めるには當るまい。

今、義卿の罵詈・妄言・不遜は何と甚だしいことぞ。誠は義卿にしてこの言あるを怪しむ。もし果してこの如き言をなす男だとすれば、先の日に宮部生が賞賛したのも、誠が義卿を豪傑だと思ったのも、各々誤ったやうである。紙に對して憤怒の餘り覺へず繋案した。
誠、再拜謹白


このように、久坂は松陰の予測通り果して憤激した。この文を書くのに當っても憤りのために机上を殴りつける程だったという。(武田著)この文章が十七歳の青年であることに驚嘆してしまう。この往復書簡は、三通づつ交わされているのであるが、松陰の教育者的態度を知るためにも、一読の価値があるので敢て労苦を厭わずに転記している。文語調や独特の難字が出て来るので、簡単に読めないが根気よく読んで頂きたいのである。まだまだ、この連載は続けます。お楽しみに。

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