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松陰が敬仰した「賈彪」
【2012/04/13 13:53】 エッセイ
『賈彪』について(吉田松陰自賛画像)

安政6年5月、幕府からの呼び出しを受けた松陰は、久坂玄瑞や小田村伊之助たちの奨めで、松浦松洞に肖像画を画かせ、自らそれに「賛」と「跋」を書いた。
この「賛」には松陰が敬仰していた四人の名前が記されている。
曰く、「諸葛孔明」、「賈彪」、「貫高、「魯仲連」がそれである。

このうち、「賈彪」だけは、その人物の詳細が容易に調べられず、困っていた。
「賛」に、「一身洛に入る賈彪安くに在りや」と書かれている人物である。
意を決して多方面から、少ない情報を頼りに集中的に追跡調査を試みた。

その結果、岩波書店刊行の『後漢書』第八冊、「列伝六」(巻五十四~巻六十五)に収載されていることが判明した。
その二一九頁に詳細が記されている。 以下、長文になるがそれを記す。

吉田松陰自賛画像2012.4.13


賈彪、字は偉節、潁川定陵の人なり。
若くして京師匠(みやこ)に遊び、志節慷慨にして同郡の荀爽と名を斉しくす。
初め州郡に仕え、孝廉に擧げられ、新息の長に補せらる。

少民困貧にして、多く子を養わず。彪厳しく其の制を為(つく)り、殺人と罪を同じくす。
城の南に盗劫のひとを害(あや)めし者有り、北に婦人の子を殺せし者あり。
彪出でて案発せんとす。  而して掾吏は引きて南せんと欲す。

彪怒りて曰わく、「賊寇の人を害むるは、此れ則ち常理なり。 母子相い残(そこな)うは、天に逆い道に違う」。
遂に車を駆って北に行き、其の罪を案験す。

城(まち)の南の賊之を聞き、亦た面縛して自首す。
数年の間に、人の子を養うものは千もて数え、僉(み)な曰わく、賈父の長(やしな)いし所なりと。
男を生めば名づけて賈女となす。

延熹九年(166)、党事起る。
大尉の陳蕃之を争うも得ること能わず。朝廷は寒心し、敢て復た言うもの莫(な)し。
彪、同志に謂いて曰わく「吾、西に行かざれば、大禍は解けず」。乃ち洛陽に入り、城門校尉の竇武(とうぶ)と尚書の雀諝(かくしょ)に説く。

武等之を訟(うった)え、桓帝は此れを以て大いに党人を赦す。
李膺出でて曰わく、「吾の免るることを得しは、此れ賈生の謀なり」と。
是より先、岑晊(しんひつ)は党事を以て逃亡し、親友多く焉(これ)を匿いしも、彪は独り門を閉ざして納れず。時人之を望(うら)む。
彪曰わく「伝に言わく、時を相(み)て動き、後人を累(わずら)わすこと無しと。

公孝は君に要むるを以て釁(つみ)を致(まね)き、自ら其の咎を遺す。
吾は以(すで)に戈を奮いて相い待つこと能はず、反って之を容隠す可けん乎」。

是に於いて咸(み)な其の裁正に服す。
党を以て禁固せられ、家に卒す。
初め彪の兄弟三人並びに高名有って、而して彪最も優る。故に天下称して曰わく、「賈氏の三虎、偉節最も怒る」。


【註】
新息=河南省息県
困貧=生活が苦しく貧しい。
盗劫=強盗
案発せん=事件現場に就きて案験しよう
引きて南せん=車を引きて南に行く者(こと):資治通鑑
面縛=顔を正面に向けて後手に縛る。
寒心:怖氣立つ
西に行く=洛陽に行く
望=「望は怨なり」
伝=左伝
相て動き=「相は視なり」:左伝
公孝=岑晊の字
容隠=かばい匿う。
裁正=判断の正しいこと。
賈氏=賈彪と同じく、二人の弟も「虎」にちなむ名であったのであろう。
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