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東京湾を海から眺めて見ると!
【2012/04/30 23:37】 エッセイ
『お台場』散策から思うこと

2012年4月29日、快晴の行楽日和に、掲題の「お台場散策ウォーキング」を仲間と散策してきた。
新橋、「ゆりかもめ」改札口に10時集合。芝浦埠頭駅で下車して、レインボーブリッジ・の歩道を歩きながら東京のウォーターフロントや名所を遠望。春特有の「霞」がかっていて「スカイツリー」は見えず、残念。

お台場公園を散策して、役に立たなかった「備え付けの大砲」残滓に魅入る。「お台場」なることばは、この江戸湾に構築された人工的な陸地の形に由来するが、この大砲は幕末には江戸城防備を期待されながら、役立たずに運命を終えたかに見えたが、歴史の皮肉か『日露戦争』で爾霊山攻略の場面で役立つことになったのは、『坂の上の雲』で描かれる「児玉源太郎」大将の発案から有効活用されて、存在意義を発揮する。
反面、乃木大将がこの小説では貧乏籤を引く運命となる。
児玉源太郎大将2012.4.30

「乃木神社」から、この小説で描かれる乃木愚将論にクレームがついたそうである。
児玉大将が有能な将軍として描かれており、軍司令官交替が乃木大将にとってマイナスイメージとなったようである。大事なことは、陸軍大将とはいえど、神ではない。
人間である。人には長短がつきものである。
乃木将軍は、その人格的魅力によって、乃木大将のためならば命を投げ出すことを惜しまなかった兵隊さんが多かったという。
武将として、大変に統率力に優れていたという。明治天皇は、そういった乃木大将に全幅の信頼を置いていたと云われる。反面、儒教的教養を身に着けていた乃木将軍は、ある種の完全主義と、軍人はかくありたい・・・・・・という思いが強かったようである。

西南戦争で「連隊旗」を敵軍に奪われたことが終生の汚点として、自責の念が消えなかったようである。それが「殉死」という、ある種の時代錯誤的な行動となった。
徳川時代も四代将軍、家綱の代に禁止された、武士の忠誠心への警告の「御触れ」だった。
しかし、乃木大将は晩年になって、学習院の院長を務めた人である。
乃木大将2012.4.30

後の昭和天皇に「中朝事実」という本を、詳細に語らずに渡して死に就いたのであった。静子夫人も、夫の殉死に従った、女丈夫である。
江戸湾の海防の話題から、脇道にそれてしまったが、江戸城防備に完璧を期した徳川家康の予期し得なかった判断が二つあったと云われる。
その一つは、江戸100kmの有力譜代の大名配置は陸上の防備であった。従って西洋で勃興した「産業革命」、とりわけ蒸気機関の発明を知らずして生涯を終えたことである。すなわち、帆船でなく蒸気船という、すぐれて近代的な軍事技術のなしえた大砲を装備した軍艦が出現したことである。
もう一つは農本主義の経済が貨幣経済に経時変化することが読み切れなかったことである。
農業技術の生産力向上や、新田開発に伴う余剰生産物がもたらした「商品」としての農産物の出現である。これは、必然的に商人という階級の存在価値が、家康の時代には考えられなかったことであった。
徳川家康24.4.24


そうして、経済活動の変容という事態を予測しきれなかったことで、「馬関」(現下関市)を直轄地(天領)にしなかったことから、毛利藩の反撃を読み切れなかった。
誠に経済は自在に変化する。
マルクス経済学も、近代経済学も数多の与件の前提があって論理が構築されている。「生き物としての経済」が招く世界は、極めて予測が困難である。
仮に徳川家康が「北前船」の役割を認識していたら、馬関を直轄領(天領)としていたに違いない。

考えてみれば、今年は西暦では2012年である。家康が天下を取ってから、150年と想定すれば、元禄時代が過ぎた頃で、時の将軍は六代の家宣であり、側近は新井白石であった。漸く経済の矛盾が表面化し、間もなく吉宗の「享保の改革」が行われ、軌道修正を余儀なくされた時期に当たる。
今日、国債発行残高は一千兆円に喃喃として、秒速億単位の金利が発生している現実を考えると、家康と言えども想定外といわざるを得ないかもしれない。

明治維新規模の改革が必要になって来る可能性が、年々現実味を帯びてくる。
一つの社会体制が無事に継続するのは、100年か200年程度の時間的制約があるのかもしれない。
現在も、昭和27年のサンフランシスコ体制の下で、軍事費の国家予算が先進国のなかで低水準を維持できている現実に、まともに向き合って、それこそ取り越し苦労している国民ははたしてどれほどいるだろうか。
平和ボケもここに極まれり、とでも言いたくなるような世相である。

戦後の教育の誤りが、瀰漫して取り返しがつかない。
一般国民はおろか、政治家の言動を見聞するにつけ絶望感に悩まされるのは、一人私だけではあるまい。
吉田松陰のような、國家を憂える「勇気ある日本人」が待望される所以である。それかあらぬか、ほぼ毎年『吉田松陰』の著書が刊行されている。
何時の世も、時代に先駆ける考え方は、一般に受け入れられにくいようである。松陰が、生きて萩に戻れぬ覚悟で書いた、自賛自画像の賛の言葉に「人は狂頑と譏り、郷党衆く容れず」とある。考えさせられることばである。

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