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『死を超越した松陰先生』
【2012/07/04 22:36】 エッセイ
「死後にも果たせる親孝行」

最近、ある思いがあって『定本版・吉田松陰全集』の編纂経過大要を読み,書写しました。
松陰が常日頃からの思いを、愛弟子の高杉晋作に「獄中からの書簡」で、かねてからの質問に答えた内容が「吉田松陰全集」に収載されています。
吉田松陰とその門下24.3.25


この書簡は「安政六年七月中旬」に書かれた愛弟子の高杉に充てて書かれた。抄録します。
「小生去冬十二月二十五日投獄已来、大分學問進み候覺え候・・・・・・小生死して遺憾なき所全く此の二冊にあり。」

約して云はば『死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず、道盡き心安んずる、便ち是れ死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生くるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり・・・・・・』

そうして、魂を揺さぶる言語は続く。『死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし』。

『禍敗の後、人を謝し學を修め一箇恬退の人となり給はば、十年の後必ず大忠を立つるの日あらん。極々不幸にても一不朽人となるべし。・・・・・・暢夫と謀り十年計りも名望を養へと申し置き候』

此れを受け取って読んだ、高杉は号泣したに違いない。人間の持つ感化力は、「至誠」の精神から出て来るのかも知れない。

高杉が、松陰の死後、俗説に耳を貸さず、真一文字に己の信じるところを突き進んだのは、恐らく「獄中からの師の教え」を、全身で感じたからに違いない。自らの「死生観を語り」言行一致で、従容として刑場に臨んだといわれる。「愛弟子達に死んでみせる」、これ以上の教育があろうか。最高の教育と称えられる所以である。しかも、その成果は、「維新の先覚者」と位置付けられ、「日本近現代史の起点となった吉田松陰」として、礼賛者はもとより、研究書の刊行が絶え間なく続いている。 松陰は本当に「死に際までの教師」であった。
高杉晋作24.3.25


これを理解したうえで、『留魂録』を読むと、一層迫真的な意味が伝わってくる。この延長線上に「吾今國の為に死す」との辞世の句の意味が、一層重みを増してくる。

自分の命より「日本國家が大事」という、松陰精神を理解して実践できる人物はまずいないだろう。政治家に読ませてあげたい。エゴイズムの最たる者が今の政治家だ。
「國の為に死ぬ覚悟」があるか。問いたい。更に、松陰は金銭に執着しない人であった。それゆえに、入牢して金銭の要求をされると、正直に弟子たちに融通を頼んでいる。

こんな人物は、今の時代にはいない。試みに吉川弘文館の「人物叢書」の「井伊直弼」(吉田常吉著)を読んで見るが良い。井伊も名君なのだ。先君の悪政をことごとく改革し、世嗣となって、藩主になるまでの苦悩が書かれている。著者は、敗戦と共に英断を以て「井伊家史料」の公開に巡り合い、その研究に勤しんだ研究者である。
歴史はどうしてこれほどに残酷なのだろう?と、考え込んでしまう。

「史観」は、現代人を『薩長史観』で殆どの書物が書き、マインドコントロールされた書き方に殆ど疑問を抱かないように、当然の事実の如く書かれている。かくいう私もその恩恵??を蒙った一人である。

歴史の事実、眞實を突き止めることの難しさよ! 苦悩は、果てしなく続くのである。

昭和九年、『定本版・吉田松陰全集』が「山口県教育会」の発案を受けて「岩波書店」から刊行された。この「編纂発行の経緯大要」が詳細につづられている。
吉田松陰の母


定本版『吉田松陰全集』刊行がなった暁に「皇室」に届けられたと書かれている。吉田松陰の「尊王」の功は、明治22年に明治皇后からの下賜品を母の「たき」が受け取ったのである。

この「下賜品」を代理で受け取り、萩市の松陰の兄に届ける書簡が松陰全集に収載されている。
品川彌二郎像2012.3.28


「この人物が品川彌二郎・内務大臣」である。感極まって、涙ながらに書き綴った書簡は、もらい泣きしそうな思いで読むに違いない。「下賜品を受け取り、両手をついたまま、感激の涙が止まらず、しばし感涙にむせび、彌二が心事お察しくだされ候」と書き綴られている。おそらく、これを受け取って読んだ兄の杉民冶(梅太郎)や母の「たき」も同様な思いであったに違いない。

「たき」は、孫たちに「松陰叔父のようになりなさい!」と語ったといわれる。死して不朽は、さらに発展して、「死して親孝行」をしたことになる。この下賜品を頂いた翌年、「たき」は、波乱に富んだ生涯を閉じている。

吉田松陰の「至誠」は、死して後も親孝行となったエピソードの一端である。
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