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『定本版・吉田松陰全集』刊行事情⑥
【2012/07/07 16:53】 エッセイ
「吉田松陰全集」編纂発行の経過大要⑥

吉田家家紋24.3.25


第一囘の原稿(第二巻)を東京に送り出したのは昭和九年三月十八日であった。

四月六日には代議員會を召集して、發行計畫の變更に伴ふ編纂費の更生豫纂壹萬八千圓を可決した。

ところが愈々岩波書店で原稿の一部を印刷に附して印刷能率を測定してみると、略字俗字變體假名等原稿活字にない文字は一々木活字を制作するので意外な手數を要し、特に詩文評の如きは内容非常に繁雑にして添削批評等様々な弧線を使用してその連絡が示してある關係上、現在の印刷技術では到底實行不可能だといふことで、いささか難色を帯びて來たため、私は五月末上京の機會に廣瀬委員や岩波書店について事情を聽取し、さらに渡邊監修を訪問して幾分譲歩の條件を協議した。
松陰岡部本24.4.23


ついで第二囘(第四巻)・第三回(第七巻)の原稿を廻附するに及んで、印刷上の難點が遂に問題化するに至ったので、私は重ねて上京を決意し再三交渉をなしつゝあったところ、六月二十九日に至って廣瀬委員は岩波茂雄氏を同道して來山せられ、本會幹部打揃って會談した結果、双方の事情が判明して圓滿解決を見るに至った。

玖村委員の母堂二豎に冒され八月三十一日を以て遂に不歸の客となられたことは、同氏にとりこの上もなき打撃だあったにもかゝはらず、屈せず撓まず終に今日あるを致されたことに對しては深く感謝せざるを得ないのである。母堂を病蓐に省みられることも、編纂事務のために或は意の如くならなかったであらうし、全集が完成した今日その喜びを共にせらるゝ母堂のこの世に在さぬことは定めし心殘りのすることでもあらう。
玖村委員母堂の不幸によりまだ悲しみの涙乾かぬ九月六日には、安藤委員が突然の發病で主治醫から絶對安靜を申し渡され、同擔任の校正が全然出來喑なった。しかしこの時已に同氏分擔の原稿が全部纏まってゐたことは、せめてもの仕合せであった。
松下村塾24.4.25


氏は齡既に古希に達し且つ體質も餘り強健といふ程でなかったから、豫後は少からず憂慮された。資性謹巌の上に責任感が非常に強い人であったから、委員となられて以來日夜心身の過勞は一通りでなかったっと思はれる。

安藤委員の殘務は玖村委員の紹介斡旋によって、廣島高等師範學校教授西川平吉氏に交渉して編纂助手たるの快諾を得た。
これより先岩波書店では普く全國に全集出版のことを發表してその豫約募集につとめてゐたが、本會に於ても九月十九日書店よりの豫約募集廣告を各府縣教育會機關雑誌に掲載方を依し、且つ内容見本を各方面に配布した。

松蔭大学②24.4.22


内容見本に明治神宮宮司海軍大将有馬良橘氏・廣島文理科大學教授文學博士西晋一郎氏・國民精神文化研究所所員文學博士紀平正美氏から、懇篤な推奨文を寄せられたことは深く敬謝の意を表する次第である。

次回で最終回です
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この記事に対するコメント
 
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
【2012/08/31 10:33】 URL | 履歴書 #- [編集]

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