長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

『現代学生』への警鐘!
【2012/07/25 22:39】 エッセイ
『長谷川勤のブログ』 二百回目の記事


「吉田松陰のやさしい入門」と銘打って、このブログを書き連ねて、200回に到達いたしました。
私は、神奈川県の厚木市に在る『松蔭学園』という、学校法人の「大学」で、『吉田松陰論』という選択科目の講座を担当しています。

長谷川勤22.1.10慶應大学にて


当初の目的は、『学生向け』に書き始めました。 しかし、現代学生は書物を読みません。 こうした現実に対して、どのように対応することが良いのか、暗中模索をし続けて参りました。 しかし、この願いも空しく、現代学生は書物を読もうとしません。
インターネットで吉田松陰の人物を調べ?て、それをもって「勉強した」と考えているようです。 残念なことであります。


授業中は、「携帯電話」からネットに繋げて、自分の興味あるものに熱中している学生をよく見受けます。
これを注意すると、一度は、その行為を中止しますが、次の授業の時は、また繰り返します。 およそ学問的努力をしないのが現代学生です。人生で最も勉強すべき年代なのに、勿体なく、残念なことです。

困難は可能な限り避け、楽しむ事にのみ熱中して、学費を負担する親の願いは「うわのそら」で、自主的に有益な書物を読もうとしません。 こうした学生が、やがては世の中の中枢を担っていくのかと思うと、絶望感に浸ります。


親は、若かりし頃「学歴社会」の壁の存在に苦悩し、生きるが為に自分の進学できなかった人生の無念を、子供たちに同じ思いをさせたくない一心で、莫大な学費を払って子供たちの幸せを願っています。(戦後の数十年間は、敗戦の復興がたっせいされるまでの期間は、経済的事情が大学進学を許しませんでした。)
昔から「親の心、子知らず」の俚諺通り、現代の大学生は履修登録した授業に「出席さえすれば」の思いだけで登校し、授業に臨みます。



お勉強しよう、24.7.27
指定したテキストは、大半の学生が読まず、不孝なことに、親の思いは形だけのものであって、心底勉強して「世の為・人の為」に社会的な中枢を担う義務感は全くなく、「トコロテン」式に卒業していく。高校生の延長のように心得ている学生がなんとおおいことか。だから、自主的に 「予習する」ことなど思いもよらない。
「教えてもらっていないから、知りません」という言葉が、恥じらいもなく語られるのである。
彼らの、大学生活での経験、人生態度は「実社会」で受け入れられるはずもなく、五年以内に入社した企業から「はじき出され」、大学卒業資格としての「学士号」の形骸化に初めて気が付く。

『吉田家本・吉田松陰座像』


私の講座で、実社会に出て困難に堪えうる学生は、大凡の推定ながら「三分の一」程度であろう。
私は、民間企業で40年近く勤務した経験を持っている。
実社会が、サバイバルゲームの如き、生存競争の実態を学生自身が知らず、学費負担者としての「親」は、大学さえ出ておれば何とかなるだろうとの、甘い、希望的観測を信じて疑わない。はたしてそれでよいのであろうか。

実社会は、そうではなく、そんな甘いものではないのであります。
実力と、「士気」を兼ね備えていない人物など必要としません。自主的に、仕事に内在する問題、課題を発見する、努力を怠り、平和裏に日々がぐぎれば「事足りて」しまう。
なぜなら、「慈善事業」などやっている「暇」や「余裕」などはないのです。

創意工夫、仕事の生産性向上への意欲、の欠落が著しく低下していると感じるのは、私だけであろうか。
実社会が、命がけで生き抜く厳しさを、学生自身も、実態を知らないのです。親も、それらを経験的に家庭で語っていないのではないだろうか。 「大学さえ出ておけば」というのは、実は甘い幻想なのです。
実社会は、企業目的に合致しない考えの持ち主は、必要としません。


現在の企業は、企業経営にとって最大の経費である人件費をどうするかに解決を迫られています。
国際社会は、生産コストの低減による販売競争の真っただ中にあります。

こうした現実にたいして「大学さえ出ていれば」という幻想が、已に破綻を来している現実を知らねばなりません。日本の経済は、諸外国とのコスト競争にさらされています。
経済的競争には、情実は全く通用しません。

私たちは、日本独特の「甘え」という言葉を知っている。同時に、それがどういうものであるかについても、経験的に知っています。 これは、国際社会では受け入れられにくいものです。大学卒業とか高校卒業とかの「日本的」な、「学歴主義」や「終身雇用」の甘い期待は受け入れられません。
生存競争の実態を知らない学生は、私の必死の訴えかけの意味が解かっていないようです。

今後の日本は、益々競争のレヴェルが熾烈になって参ります。この現実を、思い知らされた時には、もう間に合いません。
松蔭大学②24.4.22


『落ちこぼれ』という言葉が、当たり前のようにマスコミ用語としてまかり通っています。 これを、他人事と受け止めてはなりません。敗者復活戦は、実社会には存在しません。 学歴は単なる『目安』でしかありません。これに、胡坐をかいてはなりません。
生き抜く努力は、自分の努力と、『ご縁』のあった、稀に見るやさしさを持った人物に出会えてのみ可能です。
生存競争の厳しさを、体験的に比較的若いうちに、身に染みて味わって欲しいと願うばかりです。

授業中に、眠ることは「人それぞれ」の事情があるのかも知れません。
日本社会が大学生を甘やかし続けていることに、大きな問題が内包されています。
一寸の光陰を惜しんで、勉学に励みながら大学生活を送ってほしい一心から、この随想を書き連ねました。
これが杞憂であることを願って擱筆します


平成24年7月25日記
関連記事
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kinnhase.blog119.fc2.com/tb.php/211-4415d475
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

検索フォーム ×

RSSリンクの表示 ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム ×

この人とブロともになる


QRコード ×
QR