長谷川勤のインフォメーション・ブログ
維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ

プロフィール ×

kinnhase

Author:kinnhase
長谷川勤のインフォメーション・ブログへようこそ!


最新記事 ×

最新コメント ×

最新トラックバック ×

月別アーカイブ ×

カテゴリ ×

松陰が傾倒した「王陽明の良知説」について④
【2012/08/01 13:22】 エッセイ
『良知』について・『伝習録』 (陽明学)

江戸の旅人吉田松陰24.3.25

吉田松陰は、嘉永三年(1850)八月、鎮西遊学に旅立った。平戸の「山鹿万介」「葉山佐内」の下で、家学修行のためであった。松陰、時に二十一歳。この修行は『西遊日記』として全集第九巻に収載されている。陽明学者として著名であった平戸藩の仕置家老、「葉山佐内」は、熱心に学問する松陰に好感を抱いたようで、松陰の表現によれば『老師陽明学を好み、深く一斎先生(佐藤一斎・幕府の儒者・陽朱陰王といわれる陽明学者)を尊信し、『言一斎の事に及べば、必ず其の傍に在るが如し』(同三十六頁・九月十六日)とある。松陰は、葉山佐内の下で、『伝習録』に出会い九月二十三日の項に『伝習録上、知惟行的主意 行是知的工夫 知是行始、行是知成』(六十四頁)とある。この伝習録の主たるものの一つに『良知説』がある。
平戸


良知は陽明が「良知の二字は実に千古聖聖相伝の一点滴の骨肉なり。」「この二字は真に聖門の正法眼蔵なり。」「是学者の究竟の話題。」といって、学問の精髄、聖人の道の窮極と見たものである。彼は良知説を発見した喜びを、「今幸ひに此の意を見出だし、一語の下、全体を洞見す。直だ是れ痛快、手のひ足の踏むを覚えず。」と言っている。
王陽明


良知の語は、上巻の徐愛の筆録にも見えるが、後年のものとは意味が異なる。陽明が良知説を得た時期を銭徳洪は広西赴任以後、五十歳の正徳十六年とし、「良知の説は正徳辛已の年に発す。蓋し先生再び寗藩の変、張・許の難に罹って、學又一番二澄透す。」と言い、年譜にも同年の条に「是の年先生始めて致良知の教を掲ぐ。」とあって、共に以前から胸中に醞醸していたものが、事件に遭遇して明確になったとしている。
孔子が五十にして天命を知ったのと、奇しくも年を同じうしたといえよう。

「良知」の語は、孟子の尽心篇(上)に「人の学ばずして能くする所の者は、其の良能なり。慮らずして知る所の者は、其の良能なり。」とあるに基づく。陽明はこの良知を、同じく孟子の公孫丑篇(上)の「是非の心は、智の端なり。」告子篇(上)の「是非の心は智なり。」の「智」と同一のものと見て、良知とは人間に固有する自然の本能で、是非善悪を知るものとした。
孟子24.4.23


彼は言う、「夫れ良知は、即ち所謂是非の心にして人皆之有り。学を待たずして有り、慮るを待たずして得る者なり。人孰れか是の良知無からんや。」と。陽明は孟子の語によって良知を説くが、しかし概念の内容には若干の相違がある。その著しい点は孟子の是非の心はやがて完全な智となる端、すなわち萌芽・根基であり、良知も幼時が生まれながらにしてもつ親を親しみ、兄を敬する本能の意味であったのに対し、陽明の言うところは「良知は是れ完全完全。」「自己の良知は原聖人と一般なり。」で初めから完全なものとしたことである。


 良知が是非善悪を知ることについて、陽明は「凡そ意念の発するや、吾が心の良知は自ら之を知る。其の不善ならんか、亦惟だ吾が心の良知自ら之を知る。」として、それが他人の行動の判定ではなく、自己の意念の判別決定であることを明らかにしている。この故にりょうちが完全な活動をすれば、自然に意は善となり、行動は道徳的となるのであって、良知が道徳の根源であり基準である意味はそこにある。陽明はこのことを、方円・長短・軽重における規矩・尺度・権衡、舟における舵に譬えている。

良知が善悪是非を判別決定出来る理由は、それが天理の霊明・霊覚の発現であり、また天理そのものであるからである。「良知は只だ是れ一箇の天理の自然に明覚発見する処。」「天理の昭明霊覚は所謂良知なり。」「良知は即ち是れ天理。」などの語は、良知と天理との関係を示している。彼はまた良知を、性や心の本体ともした。「良知は是れ天命の性、吾が心の本体、自然に霊昭明覚の者なり。」かく見ると、良知は天理・性・心の本体と同じものであって、特にそれが明覚霊昭な活動をする時において、善悪是非の判別決定をするものであることが推測できる。

 良知は知る活動をするだけでなく、他人に同情し親愛して一体となるものであった。「蓋し良知は、只だ是れ一箇の真誠惻怛(そくだつ)。」の語は、純粋自然の同情心を良知とするものであり、良知を致すの極は、天地万物をも一体とするに至るとして、「世の君子惟だ務めて良知を致せば、即ち自ら能く是非を公にし、好悪をおなじくし、人を視ること猶ほ己の如くにし、天地万物を以て一体と為す。天下治まる無きを求むるも得可らず。」と言っているのは、良知が博愛的仁であることを示している。
良知が善悪是非を判定したり、人に同情する念であるとすれば、個人的なもののように見えるが、陽明は天地万物を成立させる宇宙の本体の如くにも説く。「良知は是れ造化の精霊なり。此の精霊點を生み地を生み、鬼を成し帝を成巣も皆此れより出づ。真に是れ物と対なし。」このような本体的良知と、個人的な良知との関係は明白ではない。

「若し草木瓦石も、人の良知無ければ、以て草木瓦石たる可からず。」の語から察すると、良知を知覚認識の主体と見て、良知の存在によって天地万物は存在し、人が死に、良知がなくなれば天地万物もなくなる、との主観的立場に立ってのことらしくもあるが、またちほうでは、良知や道を天として、「夫れ良知は即ち道。」「道は即ちこれ良知。」「天は即ち良知なり、良知は即ち天なり。」と言っていて、むしろ良知を超個人的なものとするような表現もある。この両者の関係は、陽明のよく使う論法を借りるなら、超個人的良知は本原から説いたものであり、個人的良知は工夫の面から説いたもので、その実は一つとなるであろうか。

良知が本来完全で平等だとすれば、個人に遇っても個人的ではなく、もともと客観的なものでなければならないことを、かく表現したとも見られよう。
伝習録・明治書院


陽明はこの良知を致すことを最高の工夫とした。「致す」は朱子が「致知」の解釈で、「至る」としたのに従った。しかし、それは外に向かってのことではなくて、良知の妨害をなす人欲や己私を排除して、良知を完全に発現する意味であった。

良知を致す方法は、常に戒慎恐懼して独りを慎むことであり、心を惺惺としておくことであり、時時刻刻義を集めることであり、事として怠らぬことであった。

「若し時時刻刻自心上に就いて義を集むれば、則ち良知の体は洞然として明白に、自然に是を是とし、非を非として、繊毫も遁るる莫し。」陽明は良知を致すことについては、多くを説いていない。それは恐らく致知として説いたことと変わらないのと、良知が明らかになればおのずから分ることで、徒らに議論するのは意味がないとしたからであろう。

「良知は本是れ明白なり。実落に功を用ひば便ち是なり。肯へて功を用ひず、只だ語言上に在って転た説けば転た糊塗す。」と言う如く、実際に工夫しないで言葉で理解しようとすることは、最も戒むべきことであったのである。

 良知説が陽明五十歳以後の定論であるとすると、それ以前の説は未定の論となるが、おそらくそれは良知説に対して比較的未定の意味であって、陽明が廃棄した説の意味ではあるまい。事実、陽明は前節の誤りを言ったことはなく、殊に致知格物・知行合一・心即理・事上磨錬・天理人欲・萬物一体などの諸説は、良知説の基礎であったと共に、良知説が出てから後も依然として説かれているのである。未定として退く手はならないばかりか、良知説の理解のためには欠くことのできないものである。
関連記事
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kinnhase.blog119.fc2.com/tb.php/216-e244fade
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

検索フォーム ×

RSSリンクの表示 ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム ×

この人とブロともになる


QRコード ×
QR