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『東行前日記』 連載③の補足記事
【2012/08/20 13:16】 エッセイ
『東行前日記』③関連補足

『入江兄弟宛』(吉田松陰全集第九巻・三四八頁)

安政六年五月十七日     松陰在野山獄  入江兄弟在岩倉獄

吉田松陰全集第九巻・五四六頁(東行前日記)に「密かに子遠・和作」に寄すと題した「漢詩」がある。
野村靖入江九一
(入江兄弟です・左が弟、で子爵内務大臣になった。右が、兄の杉蔵で松下村塾の四天王と呼称された。惜しくも禁門の変で自刃した。松陰が晩年に最も信頼しました)。



作成日は幕府から「江戸召喚」が届いて、生きて帰れないかもしれないとの思いの中で書かれた。当時、藩内で「公武合体」の考えを持っていた、長州藩の「直目付」という重職にあった長井雅樂と言う人物がいる。彼は幕府からの松陰の召喚命令を、受けるに大いにかかわった人物のようである。この漢詩の中で、松陰は長井雅樂を擬して、『鬼色疑有人 頗似宣慰行』と表現している。全集の本人の言では、「書きかけながら涙が出た」と告白している。この漢詩も本題の書簡に同様の内容で出て来る。
では、先ず漢詩の転記から入る。(一部が東行前日記と異なる)


東行感を書す(吉田松陰全集第九巻・三四八頁)

時無韓淮陰    時に韓淮陰なくんば、
豈就酈生烹    豈に酈生烹に就かんや。
時無李衛公    時に李衛公なくんば、
豈幸唐儉生    豈に幸唐儉生を幸せんや。
藍面疑有人    藍面 疑ふらくは人あり、(九巻では藍面 ⇒ 鬼色)
頗似宣慰行    頗る宣慰の行に似たり。
人生必有死    人生必らず死あり、
願全青史名    願はくは青史の名を全うせん。
勿謂我受欺    謂ふなかれ我れ欺きを受くと、
知己汝弟兄    知己、汝弟兄。
(此の詩又清太に贈る、「我保兄」)に作る。(九巻では「密かに子遠・和作に寄す」である

右子遠・和作に示す                          寅二拝
松陰先生24.3.31
此の意早く諸友へ知らせると、此の節は日下・福原・岡部なども大分に激勵して居る故、又一暴を發する。暴を發しると此の行稽延すにども相成りては吾が本意は遂げぬなり。故に吾れちとも東行を意とせぬ面で居る。予が餘り平氣なるを以て事を慮る粗脱なと思うな。
長井雅樂24.8.20
      (此の男が、松陰を売った人物・藩の官僚でした)

吾れ若し道中又は江邸にて毒殺せらるるとも、長井(雅樂)の甘言に陥れられたと他友は云ひもせよう、汝兄弟のみは義卿毒を知って飲みたるを知って呉れよ。人に告げずともよし。心に知って呉れよ。爰で涙が落ちた。
此の詩は成る丈けは諸友へは示さぬ積りなり。此の度長井の處置、實に其の意を得ず。手を李希烈にかりて顏魯公を殺す手段と覺え候。諸友未だ慮爰に到らざれば、吾れは愉快愉快と抃躍して居るなり。尤も千吉の事を行って呉れぬ時は、道中飲食甚だ以て覺束なきに付き一言吐く積りなり。幕吏の手にさえ亙り候へば、李希烈との對論は甘んずる所なり。
此の行吾れ一銭を帯ぶるを欲せず。人の贐を致すあれば皆之れを思父に附して和作の償金と為す。                                松陰

________________________________________
此の詩別に子遠に寄す。「吾保兄」を「汝弟兄」に作る。此の意切に諸友に漏らすなかれ。諸友騒擾し反って事に益なからん。然れども僕萬一あらば、人皆、余の欺かれ易きを謗らんこと必っせり。
故に豫め之れが為めに此の事を謀る。相信ずる者老兄及び子遠のみ。   二十一回生


【用語】
東行感を書す = 此の詩は「東行前日記」(第九巻)にある。
日下・福原・岡部 = 久坂玄瑞・福原又四郎・岡部富太郎のこと。
一暴 = 過激な行動にでる。
稽延 = (けいえん)延期する。
事を慮る粗脱なと思うな = 事態の把握に手抜かりがあると思うな。
長井の甘言に陥れられた = 謂ふなかれ我れ欺きを受くと、知己、汝弟兄の詩文のこと。
其の意を得ず = 納得できない。
李希烈 = 唐の顔真卿が命により反将軍「李希烈」の慰撫に行き、遂に殺されたこと。右の詩中「宣慰の行」とはこれをさす。
抃躍 = 手を打ち小躍りして喜んでいる。
千吉の事 = 岡仙吉が護送の役人に加わって松陰に随行すること。道中、松陰身辺の世話の為である。
和作の償金 = 入江和作が伏見要駕策の為に萩から脱走の時に要した二十両の金を償おうとするのである。
此の詩別に子遠に寄す。「吾保兄」を「汝弟兄」に作る。 = これは久保五郎右衛門に与えた詩の跋文であるが、少し表現を変えてある。第五句の「藍面」⇒「鬼色」と終句を「知己吾保兄」とである。

毛利藩印24.8.20


※、長井雅樂が急行して帰国した後、松陰に逢って、「長州藩の利益にならないことは話すな」と言ったという。こうした長井の行動から、松陰はこの「東行召喚命令」を長井の謀と睨んで、「納得がいかない」と言っているのである。つまり、松陰を幕府に「売って」、その見返りに藩の安泰を謀ったのである。召喚命令の発せられた当時、長井は江戸藩邸におり、松陰の召喚阻止に動くべき立場にあったのである。怪しからぬ長井雅樂は、「航海遠略策」の自己主張を企んでいたのである。
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