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『東行前日記』 連載④
【2012/08/21 14:34】 エッセイ
『東行前日記』④

十八日(安政六年五月)

思父に與ふ
思父は情ある人、但だ辭章を解せず、常に以て闕と為す。別れに臨みての二章は情辭兼ね到り、讀み去って涙下る。故に余醻(むく)ゆるに此の詩を以てす

既是神交    既にこれ神交、
離合何問    離合何ぞ問はん。
雖然眞哀    然りと雖眞に哀し、
心傷眼暈    心傷み眼暈む。

品川彌二郎24.3.25


木木氏に別る
郭公今を限りと鳴出とも君より見れば未だにやあらん

   ○
 小田村米甥を賀するの詩に跋す
吾が妹婿彝堂(いどう)村君は頸直敢言、夙に風采を著はす。吾れ嘗て三次(にたび)罪を獲しに、君皆その間に周旋す。吾れ再び野山獄に繋がるるに及ぶや、君力を致すこと最も多し。此の行再歸、期なし、寧んぞ一言なきを得んや。然れども情懷蝟聚し、言豈措き易からんや。因って今茲に端午阿甥に贈るの詩を書し、以て永訣の詞に代ふ。時己未の皐月、梅雨連天、白日見えず、中情知るべきなり。

   ○
 歌
鳴かずては誰か知らなむ郭公皐月雨くらく降りつづく夜は

   ○
 子遠の送詩の韵に次して却寄す。子遠云はく、斷琴の感切なり、終身誓って此の韻を廢せんと。其の言最も泣くべきなり 

 
入江九一

臣罪如山今日行    臣が罪山の如くして今日行く、
檻輿何面拝皇京    檻輿何の面あって皇京を拝せん。(面=かんばせ)
上林陰雨愁難霽    上林の陰雨、愁ひ霽れ難く、(霽れ=はれ)
東海風波険未平    東海の風波、険未だ平がず。(未平=いまだ平がず)
無補蜻洲千歳業    蜻洲千歳の業に補なく、
空偸蠹簡百年名    空しく蠹簡百年の名を偸む。(蠹簡=とかん)
極知汝痛加人痛    極めて知る汝の痛みは人の痛みに加り、(加り=まさり)
眞涙神交隔世情    眞に涙す神交世情に隔たるを。

   ○
 端午の詩に跋す
余、曾て屈原の詩を作り、之れを憂菴羽君に示す。羽君、深く激賞を加ふ。蓋し其の詩の言ふに足るに非ずして、羽君の屈原に於ける、均しく國の宗臣たれば、則ち其の感自(お)ら人に加(まさ)ること一等なるものありしならん。余、今将に東に往かんとす、頗る亦秦・楚の事に感ずるあり。因って復た此の詩を録して羽君に寄せ、永訣の贈と為すと云ふ。

   ○
家大人、岡田以伯を携へて臨まる。
『吉田家本・吉田松陰座像』



【用語】
思父= 品川彌二郎。村塾で松陰の教えを受け、薩長同盟、戊辰の役に活躍。明治後、内務大臣、子爵。松陰の遺品を蒐集して、京都に「尊攘堂」を建立。
辭章 = 文章。
闕と為す = 欠点。
別れに臨みての二章 = 後出の「思父」に與ふ(全集九巻・五七五頁)との二つの文。
神交 = 心交に同じ。心と心の交わり。全集第六巻・『照顏録』にもある。
木木氏 = 未詳。
小田村米甥 = 甥。小田村伊之助(松陰の妹)、後・初代群馬県知事、子爵。
頸直敢言 = 憶することなく自己の意見を堂々と述べること。
風采 = 名声。
情懷蝟聚 = 様々な思いが一時に胸に込み上げて来て、の意。
蝟聚は針鼠の毛の様に、多くのものが一時に集まるさま。

端午 = 陰暦五月五日の節句。古来この日を男子の節句として武者人形を飾り、鯉幟を立てて祝う。
中情 = 私の心情を察して欲しいの意。
鳴かずては = 乱れた世に、自分が今、殉国の大義を高唱しなくては、誰が大義名分を知ることができようという意を言外に含めている。
子遠 = 入江杉蔵。禁門の変で自刃。弟は後の子爵・野村和作。
斷琴 = 知己の友を失うの感。伯牙(春秋の人)の故事による。
檻輿 = おりかご。ここでは松陰が罪人護送用の駕籠に乗せられて東行することを言う。
上林 = 皇居をさす。
東海 = 江戸方面の海。
蜻洲 = 蜻蛉洲(せいれいしゅう)あきつしま。日本の別称。
蠹簡 = 図書を食う虫のこと。功なき読書家であることをいう。
端午の詩 = 松陰全集五巻、三一六頁の詩。『己未文稿』に収載。
屈原 = 屈平。楚の懷王に仕えて信任されるも、讒言に逢い左遷。「懷沙賦」を作って汨羅に投身自殺。
憂菴羽君 = 口羽徳祐。藩の老臣の家柄で、寺社奉行。詩文に巧みで松陰と意気投合。
宗臣 = 重要な地位にいる家来。重臣。
家大人 = 他人に対して自分の父を言う。父・杉百合之助。
岡田以伯 = 藩医。

この『東行前日記』を精読すると、いろいろなことがわかる。松陰自身の胸中や、門下生、家族、知己に対する思いもつづられている。
特に、「思父」には、松陰は特別な感慨があったようで、大変面白い。
全集には「思父をなじる」という文稿もあれば、今回のように、人となりの賛辞と、不足しているところもキチンとしている。いわゆる「可愛がった」との表現が相応しいと思われる。
尊攘堂


これに応えるかのように、思父の松陰への感謝の思いは、後に「尊攘堂」を建立して、師の恩に報いている。
愛すべき品川弥二郎子爵(内務大臣)の人となりが、何とも微笑ましい。松陰亡き後、薩長同盟や戊辰の役でも活躍し、見事、松陰の期待に応えた。

昭憲皇太后24.8.21


明治22年、明治の皇太后から、松陰の母に「下賜品」を賜ったとき、杉家に変わって下賜品を受け取ったときの感涙にむせびつつ、「地下の松陰もさぞかし喜んでいることだろう」と、畳に両手をついて感謝している姿は感動的でさえある。
そうして、下賜品を受け取って後、萩に添書した文言には、「弥次の心事、お察しくだされ!」と、松陰の兄、杉民冶(梅太郎)に宛てて書かれているのである。
生前、松陰が、目をかけた品川の人間性を偲ぶに、格好の秘話である。
この文章を読んで「靖国神社」の境内にある、品川の銅像が、微笑んでいるような気持にさせるのである。
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