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『東行前日記』 連載⑦
【2012/08/26 23:48】 エッセイ
『東行前日記』⑦

二十一日(安政六年五月)
吉田松陰とその門下25.5.6


國司仙吉に與ふ
今朝志氣已全灰    今朝志氣已に全く灰となる、
前日塾童第一才    前日塾童第一の才。
安石多情傷仲永    安石多情、仲永を傷む、
猶将學業望将来    猶ほ學業を以て将来を望まん。

 人は言ふ、仙吉折けたりと。仙吉豈に其れ然らんや。今吾れ苦言するは、仙吉を棄つるに非ず、乃ち仙吉を愛すればなり。之れを識れ、之れを識れ。


   ○
自賛に跋するの一
長井を切腹に追い込んだ久坂24.8.20


實甫、無窮をして清狂の遺像を模し、余をして之れに賛せしむ。(賛)なる。又吾が像の賛を作りて之れに配せんと欲し、重ねて無窮を煩はして吾れに及ぶ。夫れ清狂は棺已に蓋はれ、論已に定まれり。吾れは大難まえにあるも、利鈍未だ覩ず、安んぞ遽かに清狂の對たるを得んや。然も吾が名節に玷あらば、歿しては亡友に負き、生きては存友に愧づ。是れを以て逼らるるは、我れに激すること深し。我れ得て辭せざるなり。


其の二
無窮、我れを貌し、我れ自ら賛を作り之れに題す。諸友多く絹紙を出して其の副(本)を存せんことを求む。杜碑・白集は前人其の名を好むこと過甚なるを譏る。然れども李卓吾言へることあり、「吾が死旦夕に在り、猶ほ名に近づくの累を免れず」と。眞なるかな、此の言。吾れの辭せずして之れに應ずるも亦何ぞ可ならん。況や子揖の敦く逼るを以てやを。時に己未五月、東行の期近し、吾が字多く得べからざるなり。


其の三
吾が友無窮は畫家にして、慷慨志あるも、反って乃ち畫に隠れ、好んで吾が黨に従って遊ぶ。其の天下を跋渉するや、奇人偉士に遇ふ毎に必ず其の面を貌して去る。前年已に清狂を貌す、清狂逝けり。今吾れ将に清狂と幷せ傳ふべし。此の像連作數本あり、此れ其の家藏に係る。其の意を用ふることを他幅に過ぎたるや知るべきなり。

品川彌二郎


其の四
思父は年少なるも能く我れを敬することを知る。我れ是を以て深く思父を愛す。思父無為にして死せば、思父我れに辜くと為し、我れ義を害ひて生きなば、我れ思父に負くと為す。思父、室に我が像を懸け、两心相照さば、一幅感深からん。辜負の二字は天地豈に之れを容れんや。歳の五月念一、松陰書す。


   ○

東へ出立つ時亡友金子生の事を思ひて
箱根山けはしき道を越す時は過ぎにし友を猶ほや思はん


   ○
冷泉雅次郎に贈る
 賤が身はよには合はねど大空をてりゆく日やは照さざらめや

   ○
 岡田耕作に留別す
奇童田耕作    奇童田耕作、
勿慙汗血駒   汗血の駒に慙づるなかれ。汗血駒
期汝十年後    期す汝十年の後
堂々一丈夫    堂々たる一丈夫

   ○
 座右の銘 木々主人の為めに
一日在世    一日世に在れば、
一日有為    一日為す有り。
人言何問    人言何ぞ問はん(じんげん)
吾心自知    吾が心自ら知る。
雲霧雖翳    雲霧翳ると雖も、
天日赫曦    天日、赫として曦らす。
姦賊得志    姦賊、志を得るも、
能保幾時    能く幾時を保せんや。
道若得聞    道もし聞くを得ば、
死何足悲    死は何ぞ悲しむに足らん。
妖壽不貮    妖壽うたがはず、
修身俟之    身を修めて之れを俟つ。

吉田松陰画像2012.3.30


【用語】
國司仙吉 = 松陰の兵学門下の長州藩藩士。後に松下村塾に学ぶ。
王安石 = 北宋の神宗時代の宰相。博学能文で唐宋八大家の一人。
仲永 = 王安石に「仲永を傷む」の一文がある。「唐宋八家文」収載。神童も学問を怠ればただの人の意。
論已に定まれり = 清狂の人物評価のこと。
利鈍 = 事がうまくいくか、いかないか。
名節 = 名誉と節操。
是れを以て = 自賛をいっている。
杜碑 = 晋の杜預。後世自分の名が伝わらないことを憂い、石碑を建てた。左伝に通ず。
白集 = 唐の詩人白楽天の詩文集。彼は自己の作品の散逸を恐れ、諸方で保存させた。
李卓吾 = 明代の学者。陽明のながれを汲み禅の影響を受けていると思え、松陰の晩年に影響を与えた。
旦夕 = 朝と夕。ここでは時期が迫っているということ。
名に近づく = 名声を得たいと思い煩うこと。
子揖 = 岡部富太郎。門下生。
跋渉 = 山を踏み越え、川を渡ること。転じて、諸国を遍歴すること。
思父 = 品川彌二郎。後の内務大臣。松陰門下生。
辜負 = 相手の意向に負く事。
念一 = 二十一日。
金子生 = 松陰と共に下田蹈海を試みるが、失敗、萩の岩倉獄で病没。
冷泉雅次郎 = 長州藩大組士。後に天野徳民となる。
賤が身 = 松陰自身をさす。
奇童 = 才知ある優れた子供。
汗血の駒= 一日に千里を走る駿馬。走る時に血のような汗を出すという。転じて、賢才の人に喩えて云う。
丈夫 = 才能ある立派な男子。
木々 = 未詳。
人言何ぞ問はん = 他人のことなど気にする必要ない。
赫として曦らす = 輝くさま。
姦族 = 悪人。
道若得聞 = 『論語』里仁篇第四章に「朝聞道夕死可矣」とある。
妖壽不貮(妖壽うたがはず) - 短命も長命も天命に任せて疑わない。『孟子』尽心上篇首章。

この日、松陰は久坂玄瑞の慫慂で自賛肖像を作った。松浦松洞が清狂上人の貌を画いたことから、松陰の貌を画かせたことがわかるが、門下生に宛てた「跋文」を次々に書いたり、詩を贈ったりして将来の大成を願っている。
幕末にこれだけ門下生を「愛する」と書いたものを遺した人物は、おそらく吉田松陰のみであろう。
門下生に寄せる愛情と期待、一人一人の門弟の人となりを見抜いて、巧みに、誠実に贈る言葉を選んでいる。
嘗て、10歳の岡田耕作が、新年の挨拶に訪れ、挨拶終了後に現況を乞うたことに感激した師は、「岡田耕作に示す」を書き与え、褒めちぎった。その時の思いが残っているのか、「奇童」と表現して、激励、十年後を期待する留別の詩である。


こうした、人間教育を自分の大難をさておいて、行えることは「至誠」を貫いた松陰らしい。そして、自ら先頭に立って勉学に励み、「万巻の書」を読んだ。その原点は「志」であり。「人たる所以を知るための」学問であった。こうして、新時代を切り開く教育をし、自らは信念を貫いて死んで見せたのであった。なかなか出来ないことであって、最後のダイイングメッセージを発して、後事を門下生に託したのであった。
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