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「森信三」先生の『吉田松陰全集』講読の奨め
【2012/11/23 23:14】 エッセイ
「森信三先生の講義録」

森信三先生は、善の研究で有名な「西田幾多郎」」の弟子で、教育学者にして哲学者である。今回の「ノーベル医学・生理学賞」を受賞した山中教授の、広い意味での母校に当たる学校である。今は「大阪教育大学」と名称されているが、戦前は「天王寺高等師範」といった。
たくさんの秀才を輩出した、いわゆる名門校のひとつである。加之、森先生も山中教授も「神戸大学」にご縁があったというから、不思議なご縁というべきなのかもしれない。

さて、この高名な森信三教授の講義録に「修身・教授録」(致知出版社刊)という本がある。
師範学校であるから、教育者の養成機関である。

森信三先生


この本の443頁に、吉田松陰全集のススメの一文がある。昭和10年代の講義録であるが、興味ある内容なので、再録してみる。

『さて、講義は一応これまでとして、今日は一つの書物をご紹介しましょう。実はこのたび吉田松陰先生の非常に手頃な「全集」が出ることになりました。先生の「全集」は、この前にも一度岩波書店で出ましたが、その時のは、全部原文のままで大部分が漢文でした。ところが今度のは、旧版の漢文を全部仮名混じり文にして、かつ難解なところには一々註をつけて、だれにも読めるようにしたものです。
そこで諸君にはやや高価なものでありますが、これだけは何とか工面して求めるようにされるがよいと思います。そして私の考えではこれをもって、諸君の卒業記念とされるがよいと思うのです。
実際、国民教育者は、ある意味では、この本だけを読んでいても十分と言えるほどで、あらゆる人生の教訓は、このうちにこもっているとも言えます。
もし諸君が、この本を求めて三年間読んでも、その真価が分からなかったら、私が引き取ってもらってもよいです。古本屋へ持っていっても、おそらく原価に近い値段でとってくれましょう。
マァ諸君“一つ私にだまされたと思って、求めてごらんなさい。三年もたてば、必ずうなずける時が来ましょう。私は以前の版を持っていますが、今度の分も買おうと思っているのです。これによっても私が、諸君にお奨めするわけが分かりましょう』。

『定本版・吉田松陰全集』


少し長い引用になったが、森先生はこのように「吉田松陰全集」を読むことを奨めているのです。このなかで言っている「全集」というのは昭和11年に刊行された「定本番・吉田松陰全集」を森先生が保持しているのですが、内容が原文(実は大半が漢文の白文)で、これを自家薬籠中のものにするのは大変なのである。中国の古代史、人物史や思想史、長州藩の内情、幕末史、漢文の素養等々が基本的に身についていないと太刀打ちできない難解な書物なのである。
私も保持しているが、大変な書物である。このため、国民的な知的財産足り得なかったので、原文を書き下しにし、さらに特殊用語には註を施して、理解しやすいように工夫して再度の刊行となったことを、森先生が「読んでご覧なさい!」と奨めているのです。

『杉家本・吉田松陰』


この内容ですと、ある程度の努力をすれば理解できるものなのです。
これを精読するだけで、師範学校卒業の価値があると言っているわけですから、自ずとその意味がわかるでしょう。この全集を「普及版・吉田松陰全集」と呼称しているのです。

さらに、戦後生まれの世代にとっては、これすらも難解であることから、昭和47年に「学制発布百年記念」として大和書房から、さらに読みやすくして、脚注を沢山挿入して江湖の期待に応えたのが「大衆版・吉田松陰全集」なのです。
戦前の「高等師範」の講義でこれを言っているわけですから、その教育的価値の高さが伺えるものと思うのです。

この『修身教授録』という本には「流石に一流教育者のことば!」と思わせる記述がたくさん出て来る。
●人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形作る支柱となるのであって、受身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もないと言う、考えさせる言葉である。
●人間の知恵というものは、自分で自分の問題に気付いて、自らこれを解決するところにある。教育とは、そういう知恵を身につけた人間をつくることである。
●「自己教育」についてはこんなことも言っている。『自分が躬をもって処理し、解決したことのみが真に自己の力となる』と。
●もし教師にして、真に限りなく自らの道を求めて已まないならば、自分もまた生徒たちと共に歩んでいる、一人の求道者に過ぎないという自覚が生ずる。そして求道者たる点では自分と生徒たちとの間に、何らの区別もない。この時、生徒は我と共に道を求めて歩むものである・・・・・・。松陰は、教えることはできないが、一緒に講究することは出来ると入塾希望者に答えたという門下生の回顧談が残っている。なるほど、と首肯されられる。
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