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『天章堂講座』へのアプローチ
【2012/12/24 23:50】 エッセイ
「幕末・維新史をどのように学ぶか」

弘道館24.10.5


幕末維新史に関心・興味を持つ人は、一般的には「嘉永6年のペリー来航」を以て幕末史の開幕を告げたように思う人が多いかもしれない。
それはそれで、間違いではない。


ただ、その事件が歴史の大きなターニングポイントになったことは、誰もが首肯するところである。
近年の流行言葉でいえば「ペリーショック」という表現になるだろう。
しかし、歴史の変遷は、単なる一つの事件を以て、十全たりえない。

黒船2425.10


歴史学は、多面的な変遷を見渡さなければならない。いわく『社会史、政治史、経済史、人物史、地域史、民衆史、芸能史、様々な立場の人々が複雑に織り成す生活史』等々を網羅して認識、記述しなければならない。それを、実証するものとして、「信頼されるに堪え得る史料」が存在し、それらが「史料批判」を経て、正しく認識・叙述されなければ『過去との絶えない対話としての歴史の再構成は不可能』である。

『偶然・必然・自由』という要素が基本的な認識が基底に在って、様々な事象を総合的にとらえなければならない。「分析と総合」は学問研究に欠かせない要件である。そこで見逃してはならないのは、人間の在り方、考え方、行動のありかた等を学ぶことである。大変に多面的なので、困難が伴うが、現実の世の中とはそういうものである。「見えない自然」という言葉がある。人間の考え方や行動は帰納的に認識される。

今回の講座は、そのうちの「人物」に焦点をあてて「歴史に学ぼうとする」試みである。一般に、政治史や経済史は、教科書的な学び方になるが、人物史は社会人経験者にとっては、まことに興味が尽きない。なぜか?。
人生を生き抜くことの困難さを体験的に知っている人々にとっては、興味津々なのである。自己の確立した人は、歴史の動かし方にたいして、自分だったらどのように行動するか?と自らに引きつけて考えることが出来るからである。幸運、悲運様々に織り成す人生模様。それが歴史を学ぶ醍醐味なのであろう。

松陰正装画像



吉田松陰がいみじくも喝破したように歴史を学ぶことは、とりもなおさず人間とは?を学ぶことなのである。松下村塾記に強調される「学は人たる所以を学ぶ為り」との名言は、けだし人生一般に当てはまる名言なのである。
人は常に「どう生きるか」を模索し続ける。それは、人生の実際そのものなのである。それゆえ、生き方を学ぶ機会を提供してくれるのが「歴史を学ぶ」ということなのである。
そうして、「歴史に学んで」己の人生に役立てる契機となることこそ「歴史講座・教養講座を学びたい」として多くの人々からの要請が発せられる。

茨城県県南生涯学習センターが、「歴史講座を求める」理由の一端がそこにある。人間の持つ向上心がそれを求めてやまないのである。そういう観点に立って考えると、小学校に始まる教育制度としての学校は、豊かな社会を反映して『人間とは何か?』を考える遑を与えない。知識偏重の過程に堕落してしまっている。聖職者観の消え去った今日、自由と権利を混同して、分別すらつかないままに、実社会へ送り出される人々がいかに多いことか。
人間を教えない教育は、教育では実はないのである。

徳川斉昭24.10.5


わたしが、「人は教育によって人間となる」と説明をした時の若き大学生諸君たちが、眼を丸くしていた。おそらく、こうした自分を、そしてまた人間を考える教育が、文部科学省の指導要領に組み込まれていないか、さもなくば、軽視されているのであろう。難関大学に多数の合格者を輩出することをもって使命を全うしたという、本末転倒した教育職についとぃる人々が多いのではなかろうか? 


教育は國家百年の計であるとは明治このかた、心ある人たちから発せられた重要なメッセージであるが、現実にはそれが生かされているとは、とうてい思えない。

今回の『天章堂講座』の開講にあたって、心すべきことと思う。聴講者の方々と共に、ある種の共通認識をもって学べることを願うのみである。吉田松陰が嘉永年間に江戸遊学して、他藩の仲間から「御藩の人は日本のなりたちについての認識が欠けている」と指摘され、赤面ものだったことが吉田松陰全集の書簡篇に出ている。
その後、過所手形(他国を通るときに提示する身分証明書・藩主の印形が必要)の発行を待たずに東北旅行を強行した時、水戸の会澤正志斎に親しく教えをうけて、目からうろこのおもいだった吉田松陰。

帰還するや、待罪期間中に日本書紀、続日本紀等を猛烈に精読したことが『睡餘事録』という文稿に記されている。
曰く、「身皇國に生まれて、皇國の皇國樽所以を知らずんば、何を以てか天地に立たん、ゆえに日本書紀三十巻、続日本紀四十巻を読破せり」と、すさまじいまでの取り組みようが記されている。

歴史に学ぶ


歴史を学ぶことは、単なる趣味ではないのである。いわく「人間開眼」の契機となることを祈って、開講に臨みたい。それが、指名された講師の使命なのである。
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